葦木場とハロウィン
季節感は大事だと思うし、イベントは楽しまなきゃ損だと思う。けれど、いざ自分がもてなす側となると場合によっては二の足を踏む。例えば、ファミリーレストランに仮装はいらない。いつもの制服に猫耳だったり、魔女の帽子だのがついたカチューシャから好きな物を選べと言われても、貰えるお給料に変わりがないなら率先して選びたくはない。「恥ずかしい。無理」
けれど、一瞬の迷いが出遅れた。小さなお化けや帽子がついた無難なカチューシャは一瞬でなくなって、残ったのは猫耳と尻尾のついたベルト。でも、何か違う。猫じゃない。オレンジがかった色に太い尻尾。
「……狐?」
頭に浮かんだのは可愛い女優のCM。待って、比較対象のハードルが高すぎて倒れそう。思わず、バイト仲間を振り返って誰か交換してくれないかと目で訴えたけれど、みんなわざとらしく視線を逸らす。
キッチンにそっと逃げ込めば、「狐はホールをよろしく」とばかりに摘み出されて逃げ場もなく。もはや、半笑いでハロウィンの合言葉を口にしながらホールを走り回った半日。段々と羞恥心も薄れて半ばやけくそで笑顔を振り撒きに入り口へと出迎えた瞬間、思わず回れ右をして逃げたくなった。
「ナマエちゃん、可愛い!」
入り口に立っていたのは恋人の拓斗。ただでさえ202センチの長身は人の目を引くのに「どーしよう!オレの彼女、可愛すぎるよ」なんて大きな声で騒ぐから周りのお客さんも笑ってる。
目をキラキラさせて大きな声で誉めてくれる彼氏の拓斗に半笑いを浮かべて泣きたくなる。高校時代、三年間腐れ縁で同じクラスだった黒田が恋しい。あの鋭いツッコミを拓斗にしてくれる黒田がここにいないことが悔やまれる。せめて、空気を読んで当たり障りなく対応してくれる泉田君でもいい。天然な拓斗を止めてくれるストッパーがいないハロウィン、本当にしんどい。
「すっごく可愛い!CMの女優さんに負けてないよ!」
「いや、全面的に負けてるから。むしろ戦える相手じゃないから」
とりあえずお願いだから黙っていて、と口を塞ぎたくても拓斗は背が高すぎる。他のお客さんの脳裏には絶対、CMの可愛い女優さんが浮かんだはずだ。目の前にいるのが一般人の狐コスプレバイトでごめんなさい、と謝り倒したくなる。
いつもの定位置、2人がけの窓際に拓斗の大きな体を押し込めて「お願いだから静かにして」と懇願した。バイトが終わる30分前。迎えに来てくれた彼氏に塩対応だとは思うけれど、似合わないコスプレを大きな声で賛辞されても辛い。
「ねぇ、なんで狐さんなの?ハロウィンなら猫とか、魔女とかじゃないの?」
「……カフェオレでいいですか」
「でも、すごく本当に可愛い。お店入って可愛すぎてびっくりした」
可愛い以外の語録を失った、ニコニコ笑顔で頬杖をつく202センチ。可愛いのは彼の方だと思いながらも、無言で席を離れれば周りのお客さん達の視線が痛い。キッチンへと戻ればバイト仲間の視線も痛い。
「ミョウジさん、これ3番テーブルに運んで」
「はい」
「彼氏さん、可愛いってベタ褒めだったね」
「3番テーブル行ってきます!あとカフェオレ1つお願いします」
生暖かく見守られる空間に耐えられず、逃げるようにハロウィン仕様のデザートを子供連れの席に運ぶ。
「おねーさん!とりっく、おあ、とりーと!」
舌足らずな声で合言葉を言ってくれた子供達にはポケットに入れたマシュマロをプレゼント、が本日のプチイベント。声をかけてくれた男の子は、にっこり笑顔が可愛らしい。
「キツネのおねーさん、ありがとう!」
手を振る男の子を膝に抱えた女の人は大きなお腹。優しく男の子がお腹を撫でる様子にじんわりと胸が暖かくなって、自然と頬が緩む。
「あの、良かったらもう一つ」
男の子に、さっきとは違ういちご味のマシュマロを差し出せば、驚いた顔の女の人。
「お腹にもう1人、お子さんがいらっしゃるので、あの。良かったらお兄ちゃん代わりに食べてあげて?」
自分でも少し気恥ずかしさを感じながら頭を下げれば、テーブルに広がる笑顔に思わず頬が緩む。おねーさん、ありがとう!と大きく手を振る男の子に手を振り返して席を離れて振り返れば、バッチリと拓斗と目が合ってしまった。ニコニコした笑顔で、手を振ってくる彼は全部見ていたんだろう。
「はい、ミョウジちゃん。これ、彼氏に持ってって」
他にもホールスタッフで手が空いている子はいるはずなのに、拓斗の席のカフェオレはカウンターに残っている。確かにいつも迎えに来てくれた時は自分で運んではいるけれど、さっきの事があるから少し行きにくい。
「早くしないと冷めちゃうから」
明らかに行きにくいと立ち止まれば、またフロアに追い出されて。トレイに乗せたカフェオレを運べば、拓斗の顔がへにゃりと笑った。
「狐のお姉さん、トリック・オア・トリート?」
カフェオレを机に置いた手を軽く掴まれて、上目遣いで囁かれる合言葉。
「小学生以下のお子様限定なんだけど」
「えぇ、そうなの?せっかくハロウィンでナマエちゃんが仮装してるのに」
「もう……子供みたい」
オレにはお菓子くれないの?なんて、甘えた声で言うから、仕方なくポケットを探る。指先に何も触れなくて、慌てて探したけれど見当たらない。あれ、そういえばさっきあげたマシュマロで最後だったのかもしれない。
「ごめん、ポケット空だった」
「えー。そうなの?」
なんだぁ、なんて残念そうに溜息をつく拓斗に手を振って席を離れる。カウンターでお菓子をポケットに補充してから残りの30分、忙しくホールの中を歩き回った。時々、感じる拓斗の視線がくすぐったくて、わざと視線を逸らして働く。
「ナマエちゃん、オレのこと無視してたのひどいよ」
「だって視線がうるさいから」
バイトが終わり、服を着替えるとちょうど拓斗が会計を済ませていて。店長がニコニコ笑いながら拓斗と話をしている所へ、そっと近寄る。
「ミョウジちゃん、今日はお疲れ様。はい、これお土産ね。ハロウィンのケーキ良かったら彼氏と食べて」
「……え、店長?」
差し出されたケーキの箱と一緒に入っていたのは、さっきの狐耳のカチューシャとふさふさの尻尾。思わず頭上で吹き出した拓斗を睨めば店長がにこやかに笑っていた。
「葦木場君があんまりにも可愛い、可愛いって言うから。ミョウジちゃんにあげるよ」
「貰っても困ります」
「いや、可愛かったんで貰います。ありがとうございます」
なぜかキリッとした顔で即答する拓斗に店長が吹き出しながら見送ってくれた。歩幅の長い拓斗を追いかけてお店を出ると、当たり前みたいにお店を出た瞬間に、きゅっと手を握られれば嬉しくないはずがない。
「ね、部屋に行ったらまた付けてよ」
「嫌だよ。恥ずかしい。じゃあ、拓斗が付けなよ」
「わかった。オレも付けるから後でナマエちゃんは付けてね」
無駄にキリッとした顔で何を言い出すのかと思えば、紙袋から取り出した狐耳のカチューシャを頭につける拓斗。尻尾はベルトからフックを外して、自分のベルト穴に引っ掛けたから拓斗が歩くたびにフワフワと揺れる。
「ねぇ!正気?家まで30分くらいあるけど」
「えー。だってハロウィンだから仮装の人、いっぱいいるよ」
駅に近いだけあって、ハロウィンの仮装は確かに何人もいるけれど、狐はなんかちょっと違う。しかも202センチに獣耳がつくと異様に目立つ。機嫌の良い拓斗がケーキの入った紙袋を振り回しそうになっていて、慌てて取りあげれば、するりと体に巻きつく長い腕。
「ナマエちゃん、そういえばさっきお菓子くれなかった」
「え?」
屈んだ拓斗の顔が近いと思った瞬間、触れた唇。まだバイト先から目と鼻の先の距離で不意打ちのキスをした拓斗は不満そうな顔でぎゅっと私を抱きしめると、今度はもっと深くキスを重ねてくる。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、でいいんでしょ?」
大きな身体に甘えた瞳。目の前の悪戯狐をどうやって大人しく家まで連れて帰ろうか困惑しながら、知り合いはいないかと周囲に視線を泳がせれば、大きな手が頬を掴んで、よそ見を許してはくれなかった。