最低の元カレから真波が守ってくれる

「悪い、他に本命がいるんだわ」

 今まで聞いた言葉の中で一番最低な別れの言葉。悪びれもなく平然とそんな事を言った昨日までの恋人を睨み付ければ、やっぱり泣かないんだな、なんて追いうちがかけられる。
 思わずふざけた顔に平手打ちを叩き込もうと思ったのに、握った拳は震えるだけで膝の上から動かせなかった。

「お前、マジで可愛げなくて萎える」

 冷たい言葉。ひどい言葉。え、昨日まで手を繋いでいたのに何がどうしてこうなった、なんて頭の中が混乱すれば震える声で「じゃあ、もう視界から消えて」と強がるのが精一杯だった。
 泣きたくない。でも泣きたい。そんな正反対の感情に振り回されれば、何も見たくはなくて瞳をぎゅっと閉じた。大学に一番近いカフェなんかで、こんな振られ方をしたら噂にだってなるし、最悪だ。

「……あんたもクズすぎてひく」
「ほんと、可愛くないな」
 
 振られた。それも結構派手にこっぴどく。精一杯の反抗で睨みつけた元カレの冷たい瞳に心臓が壊れそうになる。
 
「えー?ナマエさんは可愛いですよ?」

まるで一筋の風みたいに清涼感のある澄んだ声。弾かれたように声の先に視線を向ければ満面の笑みを浮かべた一つ年下の真波山岳だった。

「ごめんなさーい。手が滑りました」

 高校生の時と変わらない柔らかい口調と笑顔。穏やかな口調とは裏腹に真波はトレイに乗せていた紙コップを元カレの頭上で勢いよくひっくり返す。それも1番お店の中で大きなサイズ。氷の入ったメロンソーダは元カレの頭上から勢いよく零れ落ちて、目を見開いた顔があまりにも面白くて、思わず堪えきれない感情がプツリと切れた気がした。ポロポロと零れた涙に自分でも驚く。慌てて顔を背ければ机を叩く鈍い音と怒鳴り声。

「てめぇ、ふざけんな!」
「えー。謝ったじゃないですか」

 真波の胸ぐらを掴もうとした元カレの手を軽く振り払い、至って澄ました顔のまま、真波は「ナマエさん、大丈夫?」と私の隣に来てくれた。

「おい、ふざけんなよ!」
「ふざけてるのはどっちですか。付き合ってた相手によくそんな事言えますね。聞いてて驚いたから手が滑っちゃいました」

 激昂する元カレと涼しい顔で微笑む真波。対象的な温度差に静まり返る店内で注目を浴びているのはわかる。真波は不意に「余計な事してごめんなさい」と小さく謝ると羽織っていたパーカーを脱ぐと、周りの視線から隠すみたいに頭の上から被せてくれた。
 ほんの少しシトラスの香りに混じるメロンソーダの甘い匂い。白いパーカーが最悪の状況から守ってくれているみたいで思わずぎゅっと薄い生地を掴む。視界の端で揺れた長さの不揃いな紐に思わず真波らしさを感じて、視界が涙で滲んだ。
 淡々と元カレに真波が返す言葉は柔らかい口調とは裏腹に、棘がある。
 
「オレの大事な人なんで、もう関係ないなら帰ってもらっていいですか?クリーニング代、欲しいなら払いますけど」

 わざと頭の上からかけた癖に、年上相手にも容赦ないなぁなんて思いながらも、元カレの立ち去る足音に内心ホッとする。パーカーで遮られた視界をそっと上げれば、脱ぎ捨てた元カレのジャケットが目の前の座席に残っていて、思わず目を逸らしたくなる。

「ナマエさん」
「……真波、ありがとう」

 お邪魔しまーす、なんてパーカーをそっと持ち上げた真波は優しいけれど悲しい目をしていて。涙の浮かぶ目元を指先で拭ってくれた。なんとなく雰囲気を察してくれた女性店員さんに促されて、奥まった席へと移動する。

「ナマエさん、先に行ってて」

 真波に軽く背中を押されて、思わず振り返れば真波は軽やかな足取りで元々私達が座っていた座席に戻る。何をするのかと思えば、元カレの残したジャケットでおもむろにテーブルと床を拭き始めるから驚いた。なんだか周りのテーブルの人達から拍手をされている姿に、思わずこんな状況なのに笑ってしまう。
 爽やかな笑顔のまま、元カレのぐしゃぐしゃになったジャケットを店員さんの広げた可燃ごみの袋に押し込む。軽やかに手を振りながら戻ってきた真波は、私の前に座ると前髪を揺らしながら、頭を下げた。

「……目立つことしてごめんね」
「ううん。嬉しかった」
「……黙っていられなかったから」
「うん。ありがとう」

 真波が喋るたびに揺ら揺らと揺れる長い前髪。高校の一つ年下の後輩は優しくて強いんだなぁと思いながら、最悪の状況を打破してくれた事実に安堵する。

「だって、ナマエさん男の趣味悪いんだもん」
「え?」
「高校の時に付き合ってた男子校の人も変な人だったのに、また大学でもダメな人なんだもん」
「……え?」

 下げていた顔をあげた真波はムスッとして、少し怒っているみたいだった。

「オレがナマエさんの事好きって高校の時だって言ってたのに、本気にしてくれないし」
「…………え?」

 真波に好きなんて、言われたことがあっただろうかと記憶を呼び起こしても曖昧で。
 まるで内緒話をするみたいに真波は私に被せたパーカーの中をそっと覗いて、とても優しい顔で笑った。とても優しい顔。だけど、どこか少し寂しそうな顔。

「ナマエさん、ごめんね。こんな気持ちの時に」

 パーカー越しに遠慮がちに触れた掌は私が思うよりも、ずっと、ずっと大きくて分厚かった。

「オレ、ナマエさんの事が大好きだから」

 大きな掌は遠慮がちに頭を撫ぜて。まるで小さな子供に言い聞かせるみたいな柔らかい声が降り注ぐ。

「ナマエさんの事、世界で1番可愛いって思ってる」

 元カレの言葉を上書きするみたいに、鋭い言葉で抉られた場所を優しい言葉が埋めるみたいに。

「でも今は、返事とかいらないから、好きなだけ泣いてもいいよ。オレ、どんなナマエさんでも大好きだもん」

 真波の言葉と優しいパーカーに包まれて。声を押し殺して、テーブルに顔を伏せて泣いた時間がどのくらいだったかなんて覚えてはいないけれど。
 涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげた時、真波はどこか安堵した表情で「ナマエさん、可愛い」と笑ってくれたから、やっぱりまた私は涙が止まらなくなってしまった。
 
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