社会人の彼女を応援する荒北
試験まであと少し。やれるだけの事はやったし、多分大丈夫だって思えるレベルには努力した。あとは体調を整えて、当日に備えるだけだって自分に言い聞かせているはずなのに、落ち着かなくて気持ちが焦る。
だから気が付かなかった。テレビを見ていたはずの靖友が、いつの間にか背後にいて、ずっと私を見ていたなんて。
「ピリピリしたニオイだ」
首筋に触れた微かに唇が掠る感触。耳元で吐かれた溜息に驚いて振り返れば靖友の顔が至近距離にあった。思わず驚いて体を離せば、触れかかっていた唇がつまらなそうに口角を上げる。
「ごめん。急に後ろにいるからびっくりした。え、いつから後ろにいたの?」
「10分ぐらい」
チラッとスマホを見た靖友は背後から今度は机の上を覗き込む。参考書や問題集が散乱した机を見られるのは恥ずかしくて、慌てて隅へと積み上げた。一瞬だけ背後からぎゅっとしてくれた靖友が、頭の上に顎を乗せて気怠そうに笑う。すぐに手を離されてしまった事が名残惜しい。
「なぁ、ナマエ。冷蔵庫のプリン、いつになったら食うんだヨ」
試験勉強があるからと言ったら、差し入れを買ってきてくれた彼の言葉に時計を見て驚く。靖友が来てくれてから2時間は経っていて、どうやら見ていたサッカーの試合も終わったらしい。
いつもならテレビでスポーツを見ていると熱が入って賑やかなのに、あまりにも今日の靖友が静かだったから、どれだけ気を遣われているのかを自覚する。それと同時に思っていた以上に余裕のなくなっている自分を実感した。
「今から食べでもいい?」
「ン、いつでもイイヨ」
せっかくだから温かいカフェオレでも飲もうとキッチンへ向かえば、靖友の視線は机に向かっていて。参考書をパラパラと捲りながら「難しいこと、やってんネ」と呟く声が聞こえた。
靖友がいつ来ても良いように、冬でも冷蔵庫にはベプシを、常備している。カフェオレとどちらを飲むか声をかければ「寒いからカフェオレ」と即答しながらキッチンへと入ってきた。
電気ケトルのスイッチを入れてマグカップを用意する。冷蔵庫から牛乳を取り出せば、ふとデザートの存在感に思わず手が止まった。
「……コンビニのプリンじゃないじゃん」
「アァ?嫌なら食うなヨ」
冷蔵庫の中には私の好きなケーキ屋さんの箱。中を開けばプリンとタルトが入っていて、それも期間限定のちょっとお高めのやつだった。
無言の激励をもらった気がして、抱きつこうとしたら大きな掌に額を止められる。抱きつこうとした腕が空振りすれば、突っぱねた靖友の腕一本分の距離の先で少しだけ意地悪な顔が笑った。
「こっちも我慢してンだから、オメーも我慢しろ」
「30秒……せめて10秒チャージして?」
靖友にぎゅっとして欲しい!と訴えれば「調子に乗んナ!バァカ!」とそっぽを向いたくせに、諦めずに止められた掌にグリグリとおでこを押さえつければ、大きな溜息が聞こえた。
舌打ちしたくせに「ン、やっぱ10秒だけネ」なんて両手を広げたと思ったら手首を掴んで引き寄せられる。狭いキッチンで、力一杯ぎゅっとされれば体中の力が抜ける気がして、緊張で凝り固まった体が弛緩するのが実感できた。
いつもより今日は優しいね、なんて言ってしまったら怒られるのはわかっていたから黙って靖友の胸に顔を埋める。
お湯が沸くまで60秒。カチリと音が聞こえて、とっくに10秒なんて過ぎていたけれど靖友も手を離さなかったから、怒られるまで知らないふりをしようと思った。