相澤誕生日

 小さな手を伸ばして、ぎゅっと首筋にしがみついてくる子供だと思っていた者。柔らかでふわふわとした命は何よりも守りたいと思って、自分の手で守る事が幸せなのだと思っていた。信頼していた相手から託された娘だからなのか、それとも無防備に慕ってくる幼さに情が移ったのかはわからない。ナマエが笑う姿を見るのは心が穏やかになって、それは自分がヒーローである事の証明の様に思えた。

「しょーちゃん、お誕生日おめでとう!」

 両手を広げて抱きついてくるナマエを抱き上げて、プレゼントを受け取る。もはや、何年も当たり前だった関係が変わるなんて思った事はなかった。けれど、ナマエは雄英高校に入学した。先生と生徒になった以上は、今までのようにはいかない。
 未来を自分で決める、ヒーローになるとナマエが言うのなら。少しずつ大人になっていくナマエを、いつまでも子供扱いする事はもう許されない。「しょーちゃんの、お嫁さんになる」と物心ついた頃から、寝言を言い続ける子供に、俺の生徒になるなら2度と言うなと告げれば泣きそうな顔で頷いた顔は忘れられない。

「学校では、先生だ」

 1年A組に入学が決まってからは、しつこいほどに言い聞かせて。少し寂しそうな顔を向けてくるナマエから目を逸らして「ミョウジ、わかったな」と念を押す。それでも、時々気が緩んで2人になると「しょーちゃ……」と言いかけて慌てて口を押さえる姿。悪戯を見つかった時の顔と変わらない目元に懐かしさと寂しさを抱くのは、ナマエにとっての「しょーちゃん」でいたいと思う気持ちが俺の中にもあるのかもしれない。

 そんな事を不意に思ったのは、今日が誕生日なのだと気がついたからで、春からの先生と生徒というナマエとの関係をどこか寂しく思えたのかもしれない。
 だから、正直驚いた。寒空の下、寮の前に座り込んでいる名前を見つけた時は。膝を抱えて、両手を擦り合わせて。寒いのなら寮に戻ればいいものを。

「……ミョウジ?何をしている」
「相澤先生」
「なんだ」

 寮の入り口に座り込んでいたナマエに広がる安堵の表情。夕方になれば、それなりに冷えてくる季節だというのに制服のままで俺を待っていたと言わんばかりに立ち上がった。

「風邪ひくぞ。早く寮に戻れ」
「でも、先生に渡したいものがあって」

 ほんのりと赤くなった頬は一体いつから、この寒空の下で座っていたのか。鞄から取り出した小さな袋はどう見てもプレゼントの類。

「先生、お誕生日おめでとう」

 少し照れた表情は生徒が教員に向ける笑みには見えず。見え隠れする好意は子供の時と同じ感情だと思うべきだろう。去年までは遠慮なく首にしがみついてきた両手が差し出したのは小さな袋。薄くピンク色に色付いた爪に、子供のくせにと思う反面、自分が一つ歳をとるという事は、ナマエが一つ大人になるということか、とぼんやりと思った。

「生徒から貰うわけにはいかないだろ」
「でも、だって毎年……」

 受け取らないとばかりに腕を組めば、ナマエの瞳が揺れる。寂しそうな、悔しそうな瞳。小さなプレゼントはポケットに納まる小さなサイズで名前なりに気を遣ったんだろう。

「……先生に誕生日プレゼントあげちゃダメなんて、そんな校則ない」
「校則じゃない。常識だ」
「だって先生だけど、しょーちゃんは」
「先生、だ」

 一歩、ナマエが前に出れば一歩俺が下がる。縮まらない距離に痺れを切らせたナマエはぎゅっと唇を噛み締めると、プレゼントを無理やり押し付けようと詰め寄ってくる。

「あのな、雄英の制服を着てるって事は、お前は俺の生徒なんだよ」
「そんなの何回も言われて知ってるし」

 何度もいい聞かせた言葉に、不貞腐れた顔をあげる。不意に俺の顔を見つめて、黙り込んだと思えばおもむろにナマエはブレザーを脱ぎ捨てた。赤いネクタイを解いて、白いシャツで身震いをする。

「じゃあ、制服脱いだから受け取ってよ、しょーちゃん」
「そういう問題じゃ」
「しょーちゃん、誕生日おめでとう!」

 言い出したら聞かない、と思っていたのはそんなに遠い昔じゃない。ブレザーとネクタイを外しても制服は制服だろうと思いながらも、これ以上言えばムキになるのは目に見えていた。

「ん……ありがとうな」

 諦めて小さなプレゼントを受け取る。一瞬、飛びついてくるのかと身構えたが衝撃はこなかった。目を細めて、どこか恥ずかしそうに笑うナマエに思わず手を伸ばしたのは、合理的じゃない。
 やり場のない手で、柔らかい髪に少しだけ触れる。頭を一度だけ撫ぜてやれば、どこか物足りなさそうな瞳で見上げてきた。

「風邪を引くから、ちゃんと制服を着て早く中に入れ」
「はい。しょー……相澤先生」

 返事の割にはブレザーには袖を通さず、ネクタイも握ったままの姿。相変わらず一度で言う事を聞かないな、と小さな背中を見送ればナマエが不意に振り返った。

「私のこと、ちゃんと見ててね」

 それは先生に向けた言葉なのか、親代わりのしょーちゃんに向けた言葉なのか。曖昧な願い事に言葉が出てこず、歩き出した背中を見送れば、まっすぐ伸びた背筋に大きくなったなと思う。
 ポケットの中を探ればプレゼントは目薬が三種類。一つずつに小さなメモが付いていて、思わず見慣れた文字を目で追えば、空を仰ぎたくなった。

『相澤先生、いつもありがとう』
『イレイザーみたいなヒーローになれる様に頑張ります』
『しょーちゃん、大好きだよ』

「……末恐ろしいな」

 また一つ、歳をとる今日。慈しんできた少女の大人びた視線と幼い行動に振り回されて、向けられる信頼と感情に困惑する。少しずつ芽吹く、しなやかな若木。愛しく思うなというのは、多分無理な話なのかもしれない。
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