雷のなる教室で黒尾と2人きり


「降り出したな。帰るまでもつかなと思ったんだけど」
「……だからもう少し早く終わればよかったのに」

 部活の片づけを終えて、体育館を出ると雨の匂いがした。少し前から遠くで鳴り始めた雷につられて空を見上げれば、ポツポツと雨が降り始める。舌打ちした夜久の声につられて顔を上げた研磨が恨めしそうに俺を睨んでいた。

「雨が降るから部活早く終わりまーす、って小学生じゃないんだから」
「だって傘持ってくるの忘れた」
「研磨さん、俺の傘に入りますか?」

 不貞腐れた顔で睨む研磨と湿った空を見比べれば、リエーフが背後から両手を広げてにっこりと笑う。鞄の中を漁って、自慢げに折りたたみ傘を広げたリエーフだが、どう見てもサイズ感が合わない。ポツポツと降り始めた雨は、俺達のやり取りを笑うかのように雨足は次第に強くなる。リエーフを見上げた研磨の顔が心底嫌そうで、思わず夜久と顔を見合わせて笑ってしまった。

「研磨、俺がいれてやる」
「……夜久くん、ありがとう」
「えー、なんで研磨さん俺を無視するんですか!?」
「そりゃ、リエーフの傘に入ったらずぶ濡れ確定だよな」

夜久の広げた傘に逃げ込むように研磨が身を寄せる。不満そうなリエーフが広げた小さな傘を見れば、むしろ一人で入っていても荷物が濡れそうだと思う。俺も自分の鞄を漁る。リエーフの物よりは大きめの折りたたみ傘を掴みながら、ふと携帯が無い事に気が付いた。
そういえば教室の机に入れたような、入れていないような。

「最悪。俺、どっかに携帯忘れてきた」
「黒尾、お疲れ」
「クロ、先に帰るね」

夜久と研磨の二人は顔を見合わせた後、さっと手を挙げて迷うことなく別れを告げてくる。清々しいほど、あっさりと置いてきぼりを食らえば、笑うしかなかった。1年のリエーフや犬岡が忠犬のように立ち止まっているのを見て、追い払うように手を振ってやる。

「お前らも先に帰れ。わざわざ待ってなくていいから」

 明日でもいいかと思いつつも、やはり携帯が手元にないのは家に帰っても落ち着かない気がして教室に探しに戻る事にした。雨も雷もこのままきっと強くなるのだろう。悪天候になるのが分かっていて後輩を待たせるつもりはない。二人が軽く頭を下げて、夜久と研磨の後を追いかけるのを見送ってから、ゆっくりと教室に向かって歩き出す。
部活の後の心地良い疲労感から自然と足取りがゆっくりになる。薄暗くなった廊下を歩けば、空に稲光が走った。階段を上って、教室につく頃には随分と光と音が近くなっていた。
 教室のドアを開けた瞬間、外でひと際大きな雷が鳴る。地響きのような音に一瞬驚いたが、それ以上に急に胸に飛び込んできた人物に驚かされる。

「うぉっ!?」

 まさか人が飛び出してくるとは思わず、うっかり跳ね飛ばす形になってしまい、慌てて手を伸ばす。小柄な女生徒の腕を掴めば床にへたり込んだのはクラスメイトのミョウジナマエだった。

「ミョウジ?お前、何やってんの?っていうか、ごめん。吹っ飛ばした」
「黒尾君……?」

掴んだ腕をそのまま引き上げるように助け起こせば、驚くほど軽くて掴んだ手首の細さに驚く。思わず強く掴んでしまった事を後悔して、ミョウジがふらふらと立ち上がったのを確認してから手を離した。少し捲れたスカートが気まずくて慌てて目を反らす。

「悪い、思いっきり掴んじまったけど大丈夫?」
「私のほうこそ、急に飛び出してごめんなさい」

ミョウジは反らした俺の視線で、乱れたスカートに気づいたらしく慌てて裾を直す。長い髪を耳にかけ直しながら、小さく謝る姿に視線を落とせば耳まで赤くなっていた。

「こんな時間に一人でなにやってんの?」
「教室に置き傘を取りに来て。黒尾君は?」
「俺は携帯を……」

忘れて取りに来た、と告げようとした瞬間に空に稲光が走る。目が合ったミョウジの顔が泣きそうだと思った瞬間には、雷鳴と共に悲鳴が上がって、ミョウジの上げた悲鳴に俺は驚いた。というか、悲鳴と共に俺の胸に飛び込んできた行動に度肝を抜かれた。

「ミョウジ!?」
「もうやだぁ」

俺のどう考えても汗臭いであろう制服のシャツを握りしめた手は小刻みに震えていて。雷鳴と共にビクッと震える小さな肩を突き放すこともできず、行き場のない両手をその場で上げるしかなかった。ミョウジの態度と行動からよほど雷が苦手なんだろうと思う。

「えーっと、ミョウジ。俺、多分すごく臭いと思うんだけど」
「あの、黒尾君、ごめん」

あからさまに怯えた様子のミョウジは窓の外を警戒しながら、またゆっくりと体を離す。けれど握られた制服からは手が離せないらしく、泣きそうな顔でミョウジは俺に繰り返し謝っていた。

「雷、苦手で……」

苦手ってレベルではないんじゃないかと思いつつ、心底申し訳なさそうなミョウジは気の毒なほどしょげている。3年で初めて同じクラスになったが、どちらかといえば落ち着いたイメージをミョウジには持っていたので正直意外だった。

「あー、さっきから雷やばいもんね」
「傘、諦めて先に帰れば良かった」

ミョウジの席は1番窓際で、机の上には鞄がそのまま置いてある。散らばった教科書の様子から、雷に驚いて放り出して逃げたのだろうと察する。どこか不貞腐れた様子で呟いた姿が先程見送った幼なじみの反応と似ていて、思わず吹き出してしまった。

「ミョウジ。服、掴んだままでいいから、俺の席まで一緒に来てくれる?」

こくん、と素直に頷いた姿は可愛いとしか言いようがなく。教室に二人きりで向こうから体を寄せてくる状況はなかなか危険な気がした。正面に立ちはだかるミョウジを左腕側に移動させれば、歩きにくそうにしながらも余程手を離すのが怖いらしい。
 ミョウジはたしか、吹奏楽部だったはずだ。整った顔立ちと落ち着いた態度が知的な雰囲気を作っていて、男子生徒の中では密かに彼女は人気がある。正直、3年で同じクラスになった時はラッキーだと思った。

「ミョウジってさ、付き合ってるやつ、いる?」

正直、震えながら寄り添ってくるミョウジが可愛くて、破壊力が半端ない。ふとそんな事を聞いた理由としては、自分がもしこの状態のミョウジの恋人だったとしたら殴りたくなると思ったからだ。
 密かに彼女を好きだと言っていたサッカー部のやつとか、野球部のやつとかの顔が浮かんだが、ミョウジがきょとんとしたまま顔を横に振ったので内心ほっとした。

「それなら良かった。こんな状況、もし彼氏がいるなら俺殴られるんじゃないかと思って」

ミョウジをつれたまま、1番後ろの自分の席にたどり着く。机の中を覗けば、携帯と共に持って帰り忘れるところだった課題のプリントを見つけた。

「ごめんなさい。黒尾君の彼女に見られたら困るよね」

俺の質問の意図を違う意味に受け取ったミョウジは、はっとしたように手を離すと一歩後ろへと下がった。離れた手が一瞬寂しくて、思わず手を掴んでしまった事に自分でも驚く。いや、ちょっと待て。ミョウジの手、小さくてやばい。

「俺、別にいないから。大丈夫」

何が大丈夫なのかよくわからない。こんな状況を研磨や夜久に見られたら冷たい目で見られるのは安易に想像できて、先にあいつらが帰ったことを心底ラッキーだと思う。
 とりあえず携帯をズボンのポケットにねじ込んで課題は鞄の隙間に詰める。迷いながらも俺の掴んだ手を握り返したミョウジは顔を赤くしながら、良かったと笑う。

「小学生の頃、一人で家で留守番してた時にひどい雷で停電したことがあって。それから本当に雷が苦手なの。黒尾君が来てなかったら、今頃どうしてたか……」

眉間に皺を寄せながら、怯えた顔でミョウジの視線が泳ぐ。落ちつかない視線が普段のミョウジからは想像できず、意外な一面を見てしまった。

「あー、ガキの頃のトラウマか」
「あの、本当に黒尾君、ごめんね」

きゅっと握り返された手と、潤んだ上目遣い。怯えたミョウジと教室で2人きりで手を繋いでいる奇妙な状況。

「とりあえず、荷物拾いに行きますか」

窓際のミョウジの席に向かって歩き始めれば、外に稲光が走るたびにミョウジは目をギュッとつむっていた。落ちた教科書を2人で拾い集めるとミョウジはようやく俺の手を離して、両手で荷物を抱きしめる。雷鳴の度に顔をひきつらせる姿は気の毒で、冗談半分に両手を広げてみた。

「雷、収まるまでよかったら腕でも胸でも貸すよ?」

弱みにつけ込むとか、そういう気持ちはなくて。ただ、ほんの少しでも怯えたミョウジの気持ちが和めばと思ったのだが、一瞬考え込んだミョウジは神妙な面持ちで小さく頷くと荷物を机の上に置き直す。外が光った瞬間、ミョウジは目を瞑ると俺の腕の中に飛び込んできた。マジですか。本気で胸を選ぶんですか。

「黒尾君……すごく背が高い」
「俺よりもでかい1年が部活にいるけどね」

ミョウジが顔を俺の胸に埋めていて、心底良かったと思う。自分の耳が熱い。抱きしめ返すわけにもいかず、また俺の両手が行き場を無くした。頭を撫でてみたい衝動に駆られつつも手が出せず、硬直して立っている自分はネットの支柱になった気分だった。
俺のシャツをギュッと握り締めながら顔を埋めているミョウジが小さく溜息をつく。悩ましげな吐息だと無意識に思った自分を最低だと思った。

「バレー部の灰羽リエーフ君だよね」
「え、なに。リエーフと知り合い?中学一緒とか?」
「そういうわけじゃないけど、うちの部活の子がかっこいいって騒いでたから知ってるの。校舎の外周を走ってる所を見て……」
「あぁ、リエーフは黙ってればイケメンだから」

喋るとすげえ馬鹿だけど、とはさすがに言わなかった。そして、雷が鳴るたびにミョウジの会話が止まる。
その度に、場をごまかすように話題を振ればミョウジは俺の顔を時折見上げながら、ゆっくりと話の続きを口にした。

「何、吹奏楽部でリエーフって人気あるわけ?」
「人気があるのかはよくわからないけど……でも、男子バレー部ってすごいなって思う。スパイクとかサーブとか、音もすごいけど、黒尾君のブロックがすごいなって、いつも思ってた。一番かっこいいって」
「……いつも?一番?」

思わず、どういう意味かと口にしてしまってから後悔した。胸にしがみついていたミョウジがはっとしたように顔を上げたが、その顔は泣きそうなぐらい耳まで真っ赤になっていて、余計な事を言ってしまったと思ったがもう遅い。

「いや、うちの部ですごいのは俺よりも夜久とか、色々いるから」
「……えっと、あの、夜久君のレシーブもすごいよね。前、球技大会の時に教えてもらった事があるの」
「へー、そうなんだ」

 何かごまかす様に少しだけ早口になったミョウジは、ひきつった顔で笑うとそれきりもう顔をあげなくなってしまった。曖昧に相槌を返したものの、もはや両手は完全に行き場を失くしたし、会話が続かない。自分でも心臓の音が速くなっている自覚はあって、ミョウジに気づかれていないかどうかが心配になる。
可愛いと思っていた女子に一番かっこいい、と言われて嬉しくない男はいない。にやけそうになる口元を必死に堪えながら、ただの支柱となるべくまっすぐに立つ。いまだに雷は近くで鳴り響いていて、ミョウジの小さな肩がその度にビクッと震えるが、もう話をする余裕はないらしい。とりあえず、空に視線を向けて願わくば俺のにやけた顔が落ち着くまで、どうか雷が鳴りやまないようにと願わずにはいられなかった。

『一番かっこいい』

 冷静さを取り戻したいと思う頭の片隅から、ミョウジの言葉がいつまでも離れそうもない。
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