年下彼氏の悠人に癒されたい

 社会人2年目になった彼女と大学4年生の自分。同じ学生の頃は気にならなかった歳の差が最近はひどく距離を感じる。ちょっとしたすれ違いが増えてきて、見える景色が違うんだろうなって悲しくなったり、悔しくなる時がある。
たとえば最近、彼女の溜息が増えたこと。一人暮らしのナマエさんの部屋は以前よりも散らかっていて仕事の忙しさが垣間見える。LINEの既読がつかないまま、朝になる事も増えて「体調大丈夫?仕事忙しい?」って聞いても「大丈夫」って言われればそれ以上何も言えなかった。
遊びに行こうよ、とか会いたいなんてワガママのような気がして言えなくなったのはいつ頃からだろう。もう1ヶ月は会えてなくて、本音は寂しい。大学の友達に彼女の事を聞かれて現状をぽろりと喋れば、他に男がいるんじゃない?なんて腹の立つ事を言われて二度と彼女の事を話すもんか、と思った。
 だから、バイトの後にナマエさんからの着信履歴があって単純に嬉しかった。日付が変わりそうな時間に気がついても、疲れて寝ちゃってないかな、なんて思うと電話がかけにくくてメッセージを送る。すぐに折り返しの電話が鳴って、やっぱりかければよかったと後悔した。

「ごめん、バイト中だったから出れなくてごめんね」
『私の方こそ、ごめん。悠人も忙しいのに』

 久しぶりに聞くナマエさんの声は少し疲れていて。就活どう?とか、大学はどうかとか。オレのことばかり、どちらかといえばどうでもいいような事ばかりを聞いてくる。

「ナマエさんはどう?最近、あんまり会えてないしさ。忙しいのかな……って思ってた」

 ナマエさんはあまり仕事の話はしない。オレが聞いてもわからないからなのかもしれないし、言ってもしょうがないからかもしれない。アルバイト先からの帰り道、愛車のサーヴェロを引きながら、ナマエさんの声に耳を澄ます。電話越しでも、久しぶりの彼女の声を聞けるだけでも嬉しかった。

『あのね、悠人』

 彼女がオレのナマエを呼ぶ声が好きだ。優しくて、少し愛おしそうに呼ぶ声が。本当は抱きしめた時に少し余裕がなくなって甘くなる瞬間が1番好きだけど。

「うん。ナマエさん、どうしたの?」

 何かを言いかけては言葉を飲み込む。そんな雰囲気を電話越しに感じて、彼女の言葉を気長に待った。街路樹で鳴いてる虫はとりあえず黙れ、ナマエさんの声が聞こえなくなる。
 
『……今すぐ、悠人に会いたい』

 数十秒の無言のあと、ぽつりと呟いた彼女の声に心臓が鷲掴みにされる。震える声にナマエさんが泣いているような気がした。

「いいよ、今すぐ行く。家だよね?ごめん、電話切る」

 電話越しにナマエさんが何かを言った気がしたけれど、耳には届かない。スマホをポケットにねじ込んで、サーヴェロに跨る。アルバイト先からナマエさんのアパートまでは電車で三駅。そんなに時間のかかる距離じゃない。
 ナマエさんからの急な電話にびっくりしたけれど、「今すぐ会いたい」って言われて嬉しくないはずがない。年下の大学生なんてやっぱりダメなのかな、なんて最近ちょっと思ってた。でも、彼女が元気のない声で「悠人に会いたい」って言うなら、一分一秒でも早く駆けつけたくなる。車もなければお金もない。就職活動で時間もなくて、オレにあるのなんて愛車の白いサーヴェロとナマエさんを好きな気持ちぐらい。真夏の夜にペダルを踏んで、風をきって走れば、彼女のアパートまでの道のりなんて苦になるはずがない。

「ナマエさん!」

 三階の彼女の部屋まで階段を駆け上がり、預かった合鍵で扉を開けるのすら、もどかしい。ご近所さんに夜中に騒がしくてゴメンナサイ、なんて内心思いながらも勢いよく扉を開ければリビングからナマエさんが飛び出してきた。赤くなった目元は泣いていたのかもしれない。後ろ手に鍵をかけて、慌てて靴を脱ぎ捨てれば、ナマエさんが胸に飛び込んできた。

「ごめん、急に……」
「いいよ。会いたいって言われてすごく嬉しい」

 ぎゅっと抱きつくナマエさんを抱きしめ返して、そのままリビングに直行する。明るいリビングで改めて見下ろせばデートの時とは違う服装は仕事から帰ったままらしい。床に転がった仕事用の鞄からは色々とこぼれ落ちていて、机の上には食べかけの補給食が1本。思っていたよりも、悲惨な状況に思わずナマエさんの髪を撫ぜた。

「……悠人」
「うん。大丈夫、一緒にいる」

 彼女らしくない情けない甘えた声。小ぶりのソファーの上には綺麗に畳まれたオレの着替えが置いてあって、彼女の会いたいの意味を知る。

「オレ、明日はバイトないから泊まってもいい?」
「……急に呼び出してごめん」
「謝らなくていいよ。むしろ嬉しかった」

 ソファーにナマエさんを座らせようとしたけど、しがみついて離れてくれなくて。初めて見るほどグダグダになってる彼女に驚きながらもバスルームへ向かう。

「とりあえず、お風呂入ろう。あ、離れたくないなら、一緒に入ってもいいけど?」

 頭をぽんぽんと叩けば、一瞬迷ったあとナマエさんは首を横に振る。あ、そこは嫌なんだと苦笑しながらお風呂の用意をして、花の形をした入浴剤を投げ込んだ。ふわりと広がる柑橘系の香りが心地良い。一緒に入るのは嫌だって言ったくせに、バスルームに押し込んだら寂しそうな顔をされて本当、困る。

「……やっぱり一緒がいい」

 扉を閉めようとすれば、ナマエさんがオレのTシャツを掴んで引っ張るから、思わずポカンと口を開けてしまった。久しぶりの彼氏と会うのに無防備すぎて心配になるけど、どんだけ限界まで頑張っちゃったのかなと思えば彼女のお願いを断る気にはなれなかった。

「ナマエさん、オレにして欲しいことあったらなんでも言って、我慢しないで。オレにできる事なら何でもするから」

 ふわりと香るバスタブの中で彼女を背中から抱き締めながら、今日は彼女の望むままに過ごそうと決意する。年下とか大学生とか、なんか色々とモヤモヤしてたけど全部もうどうでもいい。

「オレ、ナマエさんに頼ってもらったり、甘えて欲しかったから会いたいって言われてすごく嬉しい。でも、どうせならこんなに我慢する前に、もっと早く呼んでよ」

 入浴剤の香りで少しリラックスしたのか、ナマエさんが静かに頷いた。顔が見えないからなのか、ぽつりと「……あのね」と迷いながら口を開く。仕事の事とか、普段ほとんど口にしない泣き言を聴きながら、彼女にとってオレの存在が何か力になっているなら嬉しいなぁなんて、思う。オレが感じてる社会人と大学生の距離感。多分それはナマエさんも同じで、いつもオレに気を遣っているのかもしれない。

「髪、トリートメントしてあげる」

 彼女の首筋に触れるだけのキスをして、ナマエさんの髪を指で梳く。ぽつりぽつりと溢れる泣き言を聴きながら、彼女が少しでも気持ちが楽になるのなら、髪の先まで癒してあげたい。

「明日は仕事休み?」

 こくりと頷くナマエさん。頑張りすぎた彼女を少しでも充電出来るなら、あとはオレに何が出来るかなと思いながら、彼女の髪にできる限り優しく触れた。あ、そうだ。バイト先の飲食店で最近作れるようになった、ふわふわのオムレツ。明日の朝、作ってあげたらナマエさんは喜んでくれるかな。

「悠人?」

 びっくりする顔を思い描いたらなんだか嬉しくて、髪を梳く手を止めればナマエさんが不意に振り返る。涙で潤んだ瞳が愛しかった。

「なんでもない。ナマエさんの事、好きだなあって思ってただけ。ほら、もう何でも吐き出しなよ」

 受け止めるだけなら、きっとオレにも出来る気がして。遠慮がちに零れる言葉を一つ一つ拾ったら、明日の朝にはナマエさんが笑ってくれたらいいなと思った。
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