風邪引きの大学生荒北

 「しばらく会えない」なんて、素気ない文面を最後に途切れた靖友からの連絡。大学の構内でも見かけないし、自転車部の練習にも姿がない。よく一緒にいる金城君に声をかければ、少し迷った様子で「荒北は風邪で寝込んでいる」と教えてくれた。

「なんで教えてくれないのかなぁ」

 半分怒りながら食材を詰めたエコバッグを片手に向かったのは靖友のアパート。簡単に食べられそうなものとか、飲物を用意して、家に向かっているとメッセージを送れば「来んな」と一言。どうせそう言うと思ったから「もう着いた」と返せば、三日振りの電話が鳴った。

「オマエ、バカなの?」
「色々買ってきたから鍵、開けて?」
「……来んなって言ったんだケドォ」

 扉越しに近づく声はいつもより覇気がない。なかなか開けてはくれなかったけど、しばらく粘っていたら諦めたような大きな溜息と共に「うつっても知らねーから」と言いながら鍵の開く音。

「体調悪いなら教えてくれれば良かったのに」
「言ったらオマエ、ぜってー来るだろ」

 3日ぶりにあった靖友は怠そうで、普段に比べて3倍くらい目つきが悪かった。黒いマスクとの相乗効果で顔が怖いくせに、片付いてねーからとか、うつっても知らねーとか色々と文句を吐きながらも、部屋の中に入れてくれる。

「熱、ちょっと下がった?」
「あー。今日は微熱。すげーダルい」

 靖友は相当怠いのか、口数少なく布団に倒れ込む。大の字で転がった布団の周りには空のペットボトルや服が散乱していた。

「金城君に寝込んでるって聞いてびっくりしたんだけど」
「ただの風邪だろ。大袈裟なんだヨ」
「病院は?」
「金城に連れてってもらった」

 寒くない程度に換気をして、散らかった服を集める。私には頼ってくれないのに金城君には手を借りるんだ、とか情けないヤキモチを洗い流すべく洗濯機を回す。
 小さなキッチンには洗い物が溜まっていて澱んだ空気。窓を開けて換気をしながら、買ってきたゼリーとかを冷蔵庫に詰めた。冷蔵庫の中もほとんど空っぽで何を食べていたんだろう。

「うどん作ったら食べられる?」
「……食いてェ」

 腹減った、と弱った声に思わずやる気が出る。誰でも簡単、美味しい、で調べておいたレシピを横目にふわふわの卵とじうどんを作った。ここで問題発生、大きめのお皿はラーメンの器しか見当たらない。しまった、お皿も持ってくるべきだった。

「スゲェ美味そうなニオイ」

 マスク越しでもわかるのか、布団で横になっていたはずの靖友が背後に来てフラフラしながらもたれかかってくる。肩に顎を乗せて「早く食いてェ」と言われれば、マスクが頬に触れてくすぐったい。

「フラフラしてるんだから大人しく座ってよ」

 よく一緒にいる金城君も体格の良い人だから並んでいると靖友は少し細く見える。それでも体調が悪くても、押し返してもびくともしない。よほど空腹なのかラーメンの器に入ったうどんを凝視していて、器を運ぶと後ろから素直についてくるのがちょっと可愛い。目の前に差し出せば、マスクを外して勢いよくうどんに飛びついていた。

「アッチ、っつーかうめェ!」
「良かった。食欲あるね」

 ズルズルとうどんを啜る嬉しそうな靖友の顔に満足する。溜まった洗い物でも片付けようと立ち上がりかければ、腕を掴まれて阻まれた。

「靖友?」

 チラッとだけ目を合わせて、靖友は無言でうどんを啜る。もしかして、と靖友の隣に座れば腕を離したから、思わず頬が緩んでしまった。傍にいて欲しいの?なんて口が裂けても聞けないけれど、無言の行動の意味ぐらい理解できる。多分、私のにやけている顔に気づいているんだろう。靖友は小さく舌打ちすると「……ッセ」と悔し紛れの一言を吐き捨てた。

「靖友が頼ってくれなかったの、寂しかったんだからね?」
「何このカマボコ。顔ついてんだけどォ」

 靖友が連絡して来なかった理由なんて、私にうつさない為だって分かってはいる。だけど、散らかった部屋も空っぽの冷蔵庫も靖友が辛い時に何も出来なかった事が寂しい。話を聞いてないみたいな顔して誤魔化してる事も分かってはいるから、それ以上は体調が悪い事を教えてくれなかった事を責めるつもりはない。
 話のネタに入れたキャラクターのカマボコを一口で食べる靖友を見つめながら、おかわり食べる?と聞くと無言でラーメンの器を差し出された。綺麗に全部飲み干してある器に思わず頬が緩む。良かった、多めに作っておいて。
 二杯目のうどんも綺麗に完食した靖友は、満足そうにお腹をさする。よっぽど空腹だったのか、大きな欠伸を噛み殺していた。

「布団、行く?」
「いや、いい」

 重いため息を1つ吐き出すと、靖友は不意に私を引き寄せて足の間に座らせる。背後から抱きしめながら、額をグリグリと肩に押し付けてくるのがくすぐったい。触れる肌は少し熱を帯びていて背中越しに触れる温度が心地良い。

「……早く帰れ、って言おうと思ってたんだけどォ」

 首筋に軽く一度だけ吸い付いた靖友は耳元で笑うと黒いマスクをつけ直す。少しだけ名残惜しそうに笑った目元を細めながら、遊ぶみたいに絡める指先は久しぶりに触れていて、私も離したくはなかった。

「やっぱ無理」

 寂しかったのは私だけじゃない、と絡む指先は雄弁に語っていて。うつしたらゴメンネとぼそりと呟いた靖友の髪に手を伸ばして、撫ぜると気恥ずかしいのか、聞こえてくる小さな舌打ち。普段見る事のない甘えた姿も愛おしいけれど、早く元気になればいいなと願わずにはいられなかった。

「靖友?」

 不意にぎゅっと強く一度抱きしめられたと思ったら、靖友は散らかった机の上から何かを探すように手を伸ばす。硬い金属音がして、掌に乗せられたのは鍵。見た事がある、靖友のアパートの鍵。何も飾りのついていないスペアキーだとわかって、振り返ろうとしたけれど、靖友の顔は私の肩に押し付けられているから、どんな表情をしていたのかはわからない。
 黒いマスクは靖友の優しさで、無言でキスはしないという意思表示。それでも、少しでも触れていたい気持ちは同じだと思う。背後から抱きしめてくれる靖友の腕を抱きしめながら、スペアキーをくれた指先に、ほんの小さなキスをした。
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