高校生東堂の初キス未遂

 気のせいだと思いたかったが、やっぱり気のせいではないらしい。唇に触れる。たった、それだけの事がこんなにも難しい事だなんて思いもしなかった。

「あの、東堂くん……やっぱり無理」

 唇に触れるまであと10センチ。そんな距離まで近づいたのに、やんわりと拒絶されて落ち込まない男はいない。互いの唇の間に滑り込んだ彼女の指先からは甘い香りがして、悔し紛れに指先を啄めば真っ赤になった恋人が潤んだ瞳を伏せる。これで誘っていないというのだから、手に負えない。

「待たない、と言ったぞ?」

 視線を合わせずに逃げようとしたナマエの両頬を挟み込んで、親指で唇を撫ぜる。耳まで赤くなって、今にも泣きそうな顔を見れば、まるでこっちが苛めている様で複雑な心境になった。精一杯、俺の顔を押し退けようとする細い指先の拒絶に耐えられなくて、ゆっくりと体を離せばナマエは安堵した様に小さく溜息をついた。

「理由を聞いてもいいだろうか。正直、ここまで嫌がられると俺も落ち込んでくる」

 もう何もしないとばかりに両手を上げれば、ナマエは瞳を潤ませて俺を見つめる。本音を言えば泣きたいのは俺の方だ。付き合って三ヶ月、キスを拒否されたのはこれで二度目。一度目は一週間前のデートの帰り道。ごめん、と謝られて学校や寮の近くだった事が悪かったのかと思ったがどうやら違うらしい。高校三年生の健全たる男子の忍耐力など、好きな女子の前では風前の灯だとナマエは知らないのだろうか。
 制服姿もナマエは可愛い。けれど、私服はもっと可愛い。笑っても可愛いが、潤んだ目をして見上げてくる姿は可愛いを通り越して、もはや誰にも見せたくはない。

「俺とキスするのは嫌なのか?」
「嫌なわけない!私だってほんとはしたいけど」
「したいけど?」

 したい、と思うのになぜ逃げるのかと問い詰める言葉を飲み込んでナマエの目をまっすぐに見つめる。両手を繋いでしまえば、簡単に唇など重ねられるのだろうがそれではなんの意味もない。嫌がる彼女に無理やりキスしても、それは俺の自己満足でしかない。

「……東堂くんの顔が良すぎて」
「ん?顔?」

 思いがけない言葉を口にされて、思わず間抜けな声を出してしまった。ナマエは更に顔を赤くすると、俺の顔から目を背けてボソボソと小さな声で言い訳を始める。

「だって、東堂くんカッコ良すぎて……。キス、されるんだなぁと思ったら恥ずかしくて。しかもキスする前の東堂くんの目がなんていうか、吸い込まれそうで逸らせなくて」
「それは目を閉じれば解決できるのでは?」
「見られてると思うと、本当に耐えられなくて……」
「わかった。それなら俺も目を瞑ろう」
「でも、私のことだけ見てくれてる東堂くんを見ていたい」
「それは理由にはならないな」

 必死の妥協案をことごとく突っぱねるナマエは、自分で何を言っているのか理解できているのだろうか。全力で俺を無自覚で煽ってくる彼女にどうしたらキス出来るのだろうと思案しながら、ナマエの頬に右手を伸ばす。予見する様に親指で柔らかいナマエの唇をなぞれば、潤んだ瞳が俺を見上げる。

「もうちょっと、待って……」
「待たない。もう待ちたくない」

 この場合、ワガママを言っているのはどちらだろう。押し退けようとするナマエの手には力が入っていないから、心の底から嫌なわけではないのだろう。ゆっくりと顔を近づければ、ナマエがぎゅっと目を瞑ると両手で俺の口元を覆った。

「東堂くん、顔が良すぎて本当に無理。もうちょっと待って……!」

 視線を落とせば耳まで赤く染まった小さな体。全身で俺を好きだと叫ぶナマエが口にする「顔が良すぎてキスできない」というパワーワード。

「……ならもう、見飽きるまで俺の顔を見て慣れてくれ」
 
 強引にキスをするのは簡単だが、どうせなら同じ気持ちで触れ合いたい。額が合わさるほど顔を近づけて、ナマエの掌越しにキスをすれば、小さな悲鳴が上がる。腕の中から今にも逃げ出しそうなナマエを抱きしめれば愛しさに胸がいっぱいになって、前途多難なこの恋をゆっくり大事にしていこうと思えた。
 待てというのなら、待ってやる。そのかわり、待たせた分の反動がどうなるかは、俺は知らないからな。
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