高校生悠人の初キスは甘くてほろ苦い

 高校1年生と3年生。たった2年の歳の差は高校生活にとってみると大きな壁で。ナマエさんが高校1年生で初めての彼氏が出来た時、俺はまだ中学2年生だったと思うと、どうしようもなく虚しくなる。なんでもっと早く出会わなかったのかな、とか早く出会っていても中学生じゃ相手にされなかっただろうな、とかどうにもならない事実にモヤモヤするのは意味がないとは分かってる。
 多分、隼人君だったら、こんな小さな事は気にしない。不意に鏡に映った自分の明らかに不機嫌な顔を見て、思わず思い描いたのは3つ年上の兄の顔。余裕のある笑みは隼人君の専売特許みたいなもので、鏡の中の俺はどこか拗ねたガキの顔をしていると思うと、少し悔しい気持ちになった。

「……カッコ悪い」

 吐き捨てるように呟いて、部活の休憩中に冷たい水で顔を洗う。モヤモヤした感情ごとキレイさっぱり流してしまいたかったのに、鏡の中の不満気な顔は何も変わらない。無意識に濡れた唇に触れれば、自分の吐いた言葉を思い出して余計に情けなくなってしまった。
 ナマエさんはオレの初めての彼女で2歳上。彼女にオレの前に付き合っていた人がいた事は知っていたし、別に気にしたことなんてなかった。だけど、この前のデートの別れ際。自然な流れで初めてキスをしそうな雰囲気になった時に気づいてしまった。
 身長差を埋めるための、彼女の背伸び。ほんの少し引き寄せられるみたいに回された腕。頭の中が真っ白になって両腕の置き場がわからず狼狽えるオレとは対照的に落ち着いていたナマエさん。潤んだ瞳で見上げられた瞬間、不意に思ってしまった。

『オレが初めてじゃないですよね』

 思わず浮かんだ言葉は混乱した状況の中で口走ってしまった最悪な一言。なんで、あんな事を言ってしまったのか後悔しても、もう遅い。一瞬、凍りついた顔で視線を伏せたナマエさんの顔が忘れられない。泣きそうな顔でごめん、って呟いたナマエさんは弾かれたみたいに手を離すと「……またね」と走り去ってしまった。

 あれからもう、一週間。ナマエさんとはどんどん気まずくなるばかりで今日は目があった瞬間避けられた。全面的にオレが悪い自覚はあるし、喧嘩しているわけでもないのに仲直りの仕方がわからない。謝ればいいのか、この前の事は忘れてくださいと言えばいいのか。何を言っても墓穴を掘る気がして溜息ばかりが積もる。
 フラフラと3年生のナマエさんの教室近くまで来ても声がかけられないまま戻ってくるのを何回繰り返しただろう。

「あれ?悠人もそんな顔してるんだ」
「え、葦木場さん?」

 不意に背後から肩を叩かれて飛び上がれば、鏡の中には葦木場さんの笑顔。

「ミョウジさんと喧嘩中なの?」
「喧嘩中っていうか。ちょっとうまくいってない……です」
「やっぱりそうなんだ?なんか、同じ顔してるなぁと思って」

 どういう意味ですか、と聞き返したのに葦木場さんはそのまま顔を豪快に洗い始めて返事はくれない。窮屈そうに体を屈めて水道の水を頭から被ると「あー、さっぱりした!」と人の気も知らないでにっこり笑う。
 首にかけていたタオルで周りに水を撒き散らしながら拭いているから、オレにも大分かかっているんですけど。

「ミョウジさんも最近溜息ばっかりだよ。悠人みたいに怖い顔して、時々泣きそうな顔」

 そういえばナマエさんと葦木場さんは同じクラス。付き合っている事も知っているから、きっと違和感に気づいたんだろう。

「今日の2時間目、体育でグラウンドにいたよね?」
「え?はい。そうですけど」
「ミョウジさん、窓際だから多分ずっと悠人の事を見てたよ。オレ、ミョウジさんの後ろの席だから気づいちゃった。でも、先生にもバレてたから大量にプリント渡されてた」

 だからまだ、教室に残ってるんじゃないかなぁ、なんてニコニコ笑う。

「塔ちゃんに悠人は15分休憩って言っとくね」

 大きな手で思い切り背中を叩かれて、よろける。満面の笑みで送り出されても心の整理は出来ていない。それでも15分と時間を限られれば校舎に駆け出さずにはいられなかった。
 サイクルジャージのまま階段を駆け上がって、普段は近づきにくい3年生の階へ向かう。息を整えて、そっとナマエさんのクラスを覗けば窓際に1人で座っているナマエさんがいた。

「居残りですか」
「悠人?」

 そっと近づいてナマエさんの後ろに立つ。振り返ったナマエさんの顔が正面から見れなくて、ぎゅっと後ろから抱きしめる。柔らかい体にドキドキしながら、サラサラの髪にそっと顔を埋めた。

「……この前は嫌なこと言ってごめん」

 自然と謝る言葉は浮かぶけれど、彼女を傷つけた事には変わりない。一瞬、ビクッとした体をギュッと抱きしめるのは我儘で自分勝手な行為なのかもしれない。

「ナマエさんが好きです」

 腕の中にすっぽりとおさまってしまうナマエさんの体を抱きしめたまま、力加減がわからなくて「苦しくないですか」って確認する。

「……こんなガキみたいなオレでも、まだ好きでいてくれますか?」

 答えはYESですか、なんていつもみたいに言えなかったオレを見上げて「悠人がいい」と泣きそうな顔でナマエさんが振り返る。

「キス、やり直してもいいですか」
「……ここで?」

 廊下を気にするナマエさんは、少し躊躇った表情をしたけれど、小さく頷く。どこか恥ずかしそうにオレの方を向き直した彼女の手を握れば、オレよりもずっと小さい手。そっと彼女の掌に口付ければ仄かにハンドクリームの甘い香りがした。

「あんな情けないこと二度と言わないんで、オレだけ見ていてくれますか」

 両手を繋いで、引き寄せればナマエさんの潤んだ瞳が嬉しそうに笑う。キスをやり直そうと言ったくせに、この後どうすればいいんだと内心思いながら、体を屈めて彼女に唇を寄せる。ほんの少し、柔らかい唇に触れただけのオレにとって初めてのキス。

「悠人、じっと見過ぎ」

 至近距離で恥ずかしそうに顔を赤らめたナマエさんが可愛くて、目が離せなかったとは言えるはずもなく。

「……ナマエさんの事が好きすぎるんで、しょうがないです」

 そんなガキみたいな言い訳で恥ずかしさを誤魔化しながら彼女の後頭部に手を回して、2度目は独占欲だらけの噛みつくみたいなキスをする。繋いでいた手をナマエさんがそっとほどいて、オレのサイクルジャージを握った時、小さなこの手を本当に大切にしたいと思った。
 
 ガキみたいな独占欲とワガママで彼女を傷つけた、オレの初めてのキス。甘くて、痛くて、多分一生忘れられない想い出ごと全部受け止めるみたいに、彼女はオレの頬を撫ぜて「私も悠人が大好きだよ」と笑ってくれる。オレはもう胸がいっぱいで何も言葉にできなくなってしまった。
 だから、触れたくなるのかもしれない。あなたの指に、掌に、そして柔らかい唇に。
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