真波と塩パン、明太子おにぎり添え

 地面が揺らぐような暑さに耐えきれないと毎日思う。教室の中はクーラーが効いていて、勉強には支障は出ないと言っても登下校するだけでも頭はクラクラするし、バス停で立っているとじりじりと肌を焼かれて辛い。バス停から箱根学園の校門までは徒歩10分。日傘で多少は陽射しを遮っても、やっぱり暑いものは暑いから学校に着いた時にはすでに力尽きてしまうのが毎朝のこと。
 楽しみだった購買の焼きたてパンの日も、この季節になると食べたい気持ちよりも涼しい教室から出たくない気持ちが勝ってしまって、なかなか買いに行けなくなってしまった。
 暑さに弱い自覚はあるし、体力もあまりある方でもない。運動部の人達はどうしてこんな炎天下の中、走ったり出来るのか不思議でたまらない。7月に入って上がり続ける温度をニュースで見る度にうんざりするし、日に日に食欲は落ちてしまって、今朝も野菜ジュースしか飲めなかった。

「ミョウジさん、大丈夫?少し顔色が悪いみたいだけど」

 4限目が終わった、お昼休み。換気の為にと開けられた窓から熱風が吹き込んできて、頭がずきりと痛んだ。ほんの少しの冷たさを求めて、机に顔を伏せると隣の席の泉田くんが声をかけてくれた。生真面目な顔をした泉田くんは私の顔を覗き込むと、教科書でゆっくりと風を送ってくれる。

「泉田くんはこんなに暑い中でも自転車に乗ってるんだよね。尊敬する」
「まぁ、ボク達の場合は慣れもあるけど……。あまり体調が悪いようなら保健室に行った方がいいと思うよ」
「うん、ありがとう。でも少し休んだら大丈夫だと思う」

 夏はまだまだこれからが本番だから。今から夏バテしていたら、とても体が持ちそうもない。分かってはいるけれど、体がだるい。気圧のせいなのか頭痛はなかなか良くならないし、夏はやっぱり苦手だ。

「ナマエさん、体調悪いんですか?」

 不意に顔面に感じた強い風。びっくりして目を開ければ目の前にはノートを思いっきり振って、私に風を扇ぐ一つ年下の真波山岳が立っていた。彼が一年生の時から委員会が一緒で、よくサボる彼と一緒に組まされた私は散々苦労させられたし、体育祭や文化祭でもなぜか同じ係になる事が多かった。人懐っこい笑顔で「ナマエさん、また一緒ですねげ」なんてニコニコするくせに仕事は上手にサボるから、一度文句を言ってやろうと思った事もあったけれど、普段のニコニコした顔とは違う真剣な眼差しで自転車に乗る彼の姿を知ってしまったら、何も言えなくなってしまった。
 あんなに何かに必死になった事、一生懸命頑張った事が自分にはあったかなと思ったら、割と衝撃を受けたし、応援したくなってしまった。
 そんな気持ちで委員会や行事の係の仕事を彼の分まで肩代わりしているうちに、なぜかすっかり懐かれてしまったのはいつからだろう。

「真波、今日はあげられるお弁当はないよ」
「え?」
「……真波、ミョウジさんのお弁当を定期的に貰いにくるのはやめないか」

 きょとん、として目を丸くする真波と呆れた顔で諭す泉田くん。後輩のくせに、ふらりと3年生の教室にも平気で現れる真波は毎週金曜日になると私のお弁当を狙いにくる。

「オレ、ナマエさんの卵焼きが一番好きなんですよ。ほんのり甘くて優しい味がするから」
「今日はごめん、お弁当作ってないの」

 真波が金曜日に来るのは、彼が購買のパンをよく買いに行くのも理由の一つだ。私のお弁当からおかずを攫った後は、必ずお返しを買ってきてくれる。なかなか手に入らない季節限定、数量限定のパンを私が定期的に食べられるのは真波のおかげだった。

「ナマエさん、お腹痛い?」

 ノートが曲がるぐらいの勢いで扇いでくれた真波は不意に私の席の横に座り込む。心配そうな顔で見上げられて、思わず息を飲んでしまう。真夏の空みたいにびっくりするぐらい澄んだ瞳がいつもよりも近い。
 笑うとふにゃりと可愛い顔になるくせに、自転車に乗ると凛々しくて真剣で、知らない男の人みたいな顔をする。思わず真っ直ぐに見つめられてしまって、恥ずかしくて顔を背けた。

「頭がちょっと痛くて。暑いのが苦手なの」

 夏バテするほど何もしていない事が恥ずかしくて、語尾が段々と小さくなってしまう。顔を背けていても、すぐ隣には真波の気配。ほんのりと香るシトラスの制汗剤に真波の存在を強く意識してしまって、顔があげられない。

「……ナマエさん」

 少し上擦った声の後、ふわりと後頭部に触れる感触。想像よりも大きな手で躊躇うみたいに、そっと私の頭を撫でている真波は何を考えているのだろう。ノートはあんなに乱暴に振っていたくせに、私に触れている手は驚くほどに優しくて。一つ年下のくせに、なんだかこれでは私の方が年下みたいだ。

「保健室、オレ送りましょうか?」
「平気。この後、今日はまだ小テストあるし」

 進学を考えている身としては、あまり授業も休みたくはないのが本音だった。お弁当を作る元気はなかったし、けれど一階の購買まで行くのも億劫で。かといって、朝も昼も食べないのはさすがに良くないかと溜息をつく。真波に頭を撫でられていると、不思議と鈍い痛みが和らぐような気がして、気持ちが良い。

「じゃあ、お昼ご飯は何か食べられそう?オレ、買ってきますよ。無理なら飲み物だけでも」
「大丈夫だよ。もう少ししたら自分で行くから」
「ナマエさん、割と頑固だよね。泉田さん、オレ購買に行ってくるので、ナマエさんの事、お願いします」

 真波はゆらりと立ち上がると、泉田くんになぜか私の事を頼むと足早に教室を出て行ってしまった。伏せていた顔をゆっくりとあげれば、隣の席の泉田くんはポカンと口を開けていて、珍しい顔をしていた。

「……こんな時に聞くのも、失礼かなとは思うんだけど。ミョウジさんは真波と付き合ってるの?」
「え、付き合ってないよ!」
「それは失礼。でも、随分と仲が良いんだなと思って」

 泉田くんの視線は真波が飛び出していった廊下へと向く。まるで風みたいに教室を飛び出していった真波は購買に向かったのだろう。律儀な泉田くんが席を立つ様子はない。真波に頼まれた手前、きっと彼が戻るまで隣にいてくれるのだろう。
 部活の後輩とクラスメイトが想像よりも仲が良かった事に驚いたと話す泉田くんに、一年生から委員会が同じだった事を伝えると、徐々に顔を強張らせて、なぜか泉田くんが頭を下げた。

「……うちの真波が相当迷惑をかけていたんだね。申し訳ない。随分、懐いてると思ったらそんな経緯があったのか」
「別に迷惑ってほどではないよ?真波、ちゃんとお礼は言ってくれるし、手伝ってくれる事もあるしね」

 まるで保護者のような顔で泉田くんが真波の話を聞いているのがおかしくて。個性派揃いの自転車競技部の主将は大変そうだ。しばらく部活の話や当たり障りのない会話をしていると、教室の扉が勢いよく開く。飛び込んで来たのは真波で、三年生の教室に堂々とはいってくる彼は周りの注目を浴びているのに全く気にしていなかった。ニコニコと笑う額には汗が滲んでいて、出ていってから戻るまでの時間を考えれば真波が走って買いに行ってくれた事は明らかだった。

「真波、良かったらボクの席を使うといい」
「ありがとうございます!じゃあ、お言葉に甘えて借りまーす」

 泉田くんは真波に席を譲ると、私に「ミョウジさんも無理はしないでね」と声をかけて静かに廊下へと出ていった。泉田くんの凛とした後ろ姿を見送ると、不意に視界に飛び込んで来たのは真波の顔。澄んだ瞳に至近距離で見つめられて、思わず息を飲む。可愛いような、かっこいいような、どちらとも言いがたい真波の真面目な表情。この顔に何度ときめいたかなんて、言えるはずもない。

「ナマエさん、何か食べられそうな物はある?」

 私のすぐ近くに椅子を寄せた真波は机の上にビニール袋を乗せる。袋から取り出したのはアイスティーとスポーツドリンク、購買のパンが3個とおにぎりが3つ。おまけにヨーグルトとフルーツゼリー。
 机の上に並べてくれた真波は心配そうな顔をしていて。買いすぎだよ、なんて思ったけれど、私の好きな物ばかりが並んでいて思わず頬が緩んでしまう。塩パンと明太子のおにぎりを、そっと私の方に近づけた真波の顔は真剣だった。

「何が食べられるかわからなくて、適当に買ってきたんですけど」
「買ってきてくれてありがとう。お金返すからちょっと待ってね」

 お財布は廊下の鍵をかけたロッカーの中。ゆっくりと立ちあがろうとすれば、真波が急に手首を掴むから驚いた。想像よりもゴツゴツとした大きな手。思いがけない熱と力強さに心臓が跳ねて、立ち上がり損ねてしまう。

「ナマエさん、お金はいいから。どうせほとんどオレが食べるし。それより、何が食べられそうです?」
「……おにぎり少し貰おうかな」

 真波の真っ直ぐな視線はまるで全てを見透かすようで。塩パンと明太子のおにぎりが好きな事、話した事なんてあったかなぁとぼんやりと考えていると、真波は黙ったまま明太子のおにぎりのフィルムを外しておにぎりを半分に割る。上手に割れなくて、明太子は片方にだけ寄っていたのが真波らしい。

「食べられる分だけでもいいですよ」

 へへっと笑った真波は当たり前みたいな顔で明太子の入った方を渡してくれる。ゆっくりと食べ始めると、今日初めて食べるまともな食事にお腹が急に減ってくる。

「塩パンも半分にしますね」 

 具のなくなったおにぎりの半分を数口で食べ終わると、真波は塩パンに手を伸ばして半分に分けた。

「私、塩パンと明太子のおにぎりが好きな話、した事あった?」
「うーん、どうでしたっけ。でもオレ、ナマエさんが好きな物は知ってますよ」

 だから、良かったらどうぞなんて塩パンを差し出されたら、思わずつられて受け取ってしまった。私が食べ始めると、ほっとした顔をする優しい真波の笑顔をぼんやりと見つめながら、夏バテしている場合じゃないなと思い知らされる。

「ナマエさん、美味しい?」

 ねぇ、真波。私の好きな物がわかるなら、あなたの事が好きだという私の気持ちも実は知っていたりするのかな、と思ったけれど。今はまだその答えを知る勇気はないから、ありがとうと口にするのが精一杯で。目の前で笑う真波の笑顔が大好き、という気持ちは塩パンと一緒にゆっくり噛んで飲み込むことにした。
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