巻島くんの片恋とクロワッサン

 元々それほど量を食べたい方ではないし、食べられる方でもない。それでもクライマーとしての筋力を維持する事は意識しているし、実際にも維持は出来ていると思う。それでも食が細いと思われるのは、比較対象が俗に言う大食いな奴らなわけで、ハンバーガーを二口で食べる相手と一緒にされたらたまったものではない。

「巻島、クロワッサン食わねぇか!?」
「今、サンドイッチ食い終わった所っショ。っつーか、田所っち、なんだその大量のクロワッサン」

 教室の窓際、ほどよく心地良い風が抜ける昼下がりをぼんやりと過ごしていると、突然目の前に紙袋を突きつけられた。大きなグローブみたいな手の主は、紙袋の中身を広げると「美味いぞ」と大きな声で笑った。チラリと覗くだけでも6、7個は入っていてバターの香りが美味そうだった。それでも、すでに昼飯は食べ終えた後でそれなりに腹は満たされている。空になったサンドイッチの袋を揺らせば、田所っちは目の前でニカッと白い歯を見せて笑った。

「デザートにどうだ?」
「……クロワッサンはデザートじゃないっショ」

 田所っちなら確かにクロワッサンもデザートのような物かもしれないが、サンドイッチの後にクロワッサンのデザートは常識的に考えてもおかしい。普段ならば、人に勧める時には本人も食べている事が多いのに、やたらと食べさせたがるのには何か理由があるのかもしれない。

「もしかして、コレ田所っちが作った?」

 パン屋の息子である田所っちは時々店を手伝っているらしく、自分が作った物を学校に持ち込む事がある。単純に腹が減るから量を食べる、というのも理由の一つだが上手くできた時は人に食べさせたくなるらしい。部の後輩達がキラキラした目で「田所さん、美味いです!」なんて喜べば、明らかに嬉しそうな顔をするし、大きな体を揺すって足取り軽く歩く姿もよく見かける光景だった。

「まぁな。クロワッサンはちょっと初めて作ったんだ。割と美味いと思うから一つ食ってみねぇ?」
「ん。じゃあ一個貰うっショ」

 どこかワクワクとした友人の顔を見るのは悪い気はしない。袋の中の減り具合を見るとすでに後輩達の所へ配り終えた後なんだろう。手嶋が美味いと喜んでいたとか、青八木の顔が輝いていたとか。嬉しそうに笑う田所っちはよほど嬉しかったのか上機嫌だった。
 勧められるままに、一つクロワッサンを取り出す。バターの香りが美味そうで、サンドイッチの後なのに普通に手が伸びて自分でも驚いた。

「二個でも三個でも食っていいぞ!」
「田所っちじゃないんだから、そんなに食えねぇよ」

 上機嫌な田所っちに吹き出しながら、クロワッサンを一口大にちぎる。男ならガブっといけよ!なんて声は無視して口の中に頬張れば、優しい味が広がった。普通に美味くて思わず目を丸くすれば、満足そうに田所っちが笑う。

「美味いだろ!」
「美味いっショ」
「そうだろ!お、いいところに来たな。ナマエも一緒に食わねぇか?」

 クロワッサンを頬張っていると、不意に田所っちがオレの背後へと視線を向けてミョウジを呼ぶから驚いた。慌てて振り返れば、ミョウジが大きな声にびっくりして立ち止まる。ちょ、今何気なく田所っちはミョウジの事を下の名前で呼んだ気がした。

「迅くん」
「迅くん!?」

 思わず、ブハッとクロワッサンを吹き出しそうになって慌てて飲み込む。つい声が上擦ってしまったオレを見て、ミョウジは「巻島くん?」と心配そうに声をかけてくれた。長い髪が似合うミョウジは比較的おとなしめの女子でそれほど男子生徒と騒ぐタイプではない。趣味で絵画展に行くと言っていた彼女が田所っちと名前で呼び合うほど仲が良かった事に心底驚く。
 何か言わなければと息を吸い込んだらクロワッサンの欠片を吸い込んでしまって、咳が止まらなくなってしまった。

「巻島くん、大丈夫?あ、紅茶ならあるけど少し飲んだ方がいいんじゃないかな」

 遠慮がちに背中をさするミョウジの手。不意打ちで触れた温もりと優しさに頬がかっと熱くなる。慌てて片手で口元を押さえれば、正面に座っていた田所っちがびっくりした顔でオレと背後のミョウジを見比べる。微妙な一瞬の間。一瞬浮かんだ田所っちの笑みにオレの片恋がバレたことを悟った。
 何か言わなければと思っても、止まらない咳に涙目になるし、耳まで熱を待っているし、そんな中でミョウジは心配そうな顔でオレの顔を覗き込んでくる。喉にはまだクロワッサンの欠片が張り付いているのか、一向に咳が止まらない。目の前に差し出されたペットボトルはアイスティーだった。何を思ったのか、ミョウジはオレの空になったペットボトルに挿してあったストローを抜いて、わざわざ入れ直すと口元へと差し出してくれる。いや、自分で飲めるっショ、と羞恥心から断ろうと思っても喉が掠れて、声が出なかった。

「大丈夫?」

 もはやどうにもならずに差し出されたストローに口をつければ、紅茶と林檎の風味が口の中で広がる。よく冷えたアイスティーは咳き込んだ喉に優しく染み渡って、思わず喉を鳴らして飲んでしまった。鬱陶しい髪を耳にかけながら、落ち着いた所でミョウジの差し出したストローから口を離す。一瞬、正面からミョウジと目が合ってしまい羞恥心でまた顔が赤くなった気がした。

「悪い!ちょ、あの、紅茶……どうも」
「ううん、落ち着いて良かった。あの、ごめん。勝手に巻島くんのストロー触っちゃって」

 ミョウジの頬もオレにつられたのか、いつもよりも少し赤くなっていた。申し訳なさそうに頭を下げられて、慌てて気にしなくて良い事を告げる。オレとミョウジはクラスメイトだ。時々、機会があれば話をするけれども、それほど仲が良いわけじゃない。ましてや下の名前で呼び合った事もないし、むしろミョウジはオレの名前が裕介だとすら知らないかもしれない。

「……さっき、迅くんって呼んだっショ」

 他に言うことは色々あったはずなのに、思わず口をついて出たのは最大の疑問で。思わず言ってしまったから、やっちまったと思ったけれど、今更誤魔化す術は見つからない。気まずい空気が流れて、思わず空を仰ぎたくなったが生憎それすら出来そうもない。

「私達、中学が同じなの」
「こいつ、昔からうちの店のお客さんなんだよ。ナマエ、クロワッサン好きだろ。おまえもここ座って一緒に食おうぜ」

 ニカっと笑う田所っちにつられたのか、ミョウジは小さく頷く。紙袋の中を覗き込んで、目を輝かせて喜びが顔いっぱいに広がるのを見て可愛いと思った。一瞬、手を伸ばしかけて動きを止めたミョウジは、オレの方へと視線を向ける。

「巻島くん、私もお邪魔しても良いかな」
「別にわざわざ聞かなくてもいいっショ」

 クロワッサンを作ったのも、持ち込んだのも、誘ったのも田所っちだからオレに聞く必要なんて何もない筈なのに。そんな真面目さがミョウジらしい。

「あ、うん。お邪魔するね」

 なぜか申し訳なさそうに頭を下げられて、言葉の選択を間違えた事に気がつく。冷たい言い方に聞こえたのかもしれない。口を開けば、また気まずい事を口走りそうな気がして、無言で二つ目のクロワッサンに手を伸ばす。ミョウジも「ありがとう」とお礼を言うと、クロワッサンに手を伸ばした。机の上にわざわざハンカチを広げるあたり、机の主のオレに気を遣っているのだろう。

「……美味しい!巻島くん、美味しいよね?」
「ショ……!」

 小さな一口をぼんやり眺めていたら、不意打ちの満面の笑みを向けられて、思わず声が上擦ってしまった。もう田所っちは色々と察したのか、ニヤつきを通り越して若干の憐れみさえ感じさせる視線を向けてくるのもつらい。

「お店の味に負けないくらい美味しい!サンドイッチにしても美味しいと思う!」

 美味しい、幸せと微笑むミョウジはとても幸せそうで。美味しいね、と微笑まれれば思わず無言で何度も頷いてしまった。

「私も最近、新しいお菓子作ろうと思ってるんだよね。今度試しに食べてくれる?あ、巻島くんは甘いもの苦手?」

 田所っちとミョウジはどうやら、中学の頃からお菓子とパンの試作をトレードし合っているらしい。世の中で言うところの幼馴染みたいなものかと心のどこかで安堵すれば、不意打ちで話題を向けられて、一瞬答えに戸惑ってしまう。好きか、嫌いかと問われれば嫌いなわけじゃない。むしろ、話の流れ的に気を遣って聞かれたんじゃないかと思わないでもなかったけれど、ある意味これはラッキーな話だった。

「……大好きっショ」

 一緒、おまえそうだったか?と言いたげな田所っちの視線に気が付かなかったわけじゃないけれど。オレなりに頑張った事は自分でもわかっている。

「良かった。じゃあ、週末に作るから月曜日に持ってくるね」

 ふわっと柔らかく微笑むミョウジの笑顔は隣の田所っちではなく、向かい合ったオレに向いたと思いたい。楽しみにしているなんて柄にもない事を口走りながら、後で散々、田所っちにからかわれることは覚悟しておいた方がいい。

 だって、仕方ないショ。オレだって、いつかミョウジに「裕介くん」なんて呼ばれたいなんて思ってしまったら、ほんの少しのきっかけも見逃すわけにはいかない事くらい、不器用なオレでも理解は出来るのだから。
 
 
 
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