06


「覚えていらっしゃらないのですね」

 凛とした声はどこか呆れの色を含んでいて、思わず心が抉られる。無意識に心臓を押さえてしまったのは不可抗力だった。

「……ごめん」

 思わず、その場で頭を下げかけた所を止められて、顔を上げればユーリが首を横に振った。なんだか少し、力が抜けたように見える表情。

「抱いてなどおりませんので、ご安心ください。昨夜は殿下の枕代わりをさせて頂いただけです」
「枕代わり……」

 手を出していないと聞いて「え?本当に?」なんて聞き返したい気持ちがあったけれど。ユーリの言葉に嘘はないような気がした。

「そうか、それは勿体無い事をしたよ」
「え?」

 わざとらしく残念がってみれば、ユーリは驚いた顔をしたけれど。オレが自分で言ったものの先に吹き出してしまえば、釣られたように顔を綻ばせた。昨日の宴と比べて化粧が優しいせいかもしれない。幼さの残る笑顔に、心のどこかで安堵した。

「父上の思惑通りにはいかなかったけど、そういう事にしておこうと思うんだ。その方が色々と勘繰られないし。でも、ユーリが嫌ならやめとこう?昨日の楽団の人達の所へ帰りたいなら送ってあげる」
「楽団の座長……養父は王様から金貨を戴いておりますので、すでに昨夜のうちに王宮を発っていると思いますよ」
「そうなの!?」
「はい」

 右手で摘んだナツメがコロコロと転がる。ユーリは視線を伏せて、転がるナツメにそっと手を伸ばした。

「……養父でも家族じゃないの?」
「血の繋がらない娘なので、金貨に変わるならその方が良いのでしょう」

 服の裾でそっとナツメを拭くと、それ以上の会話を拒むようにユーリは口に含んだ。カリ、と乾いた音がどこか虚しさを誘う。

「ユーリ、食事が終わったらオレの宮を案内するよ。それから、やっぱりオレのことはタクトって呼んで欲しいし、敬語もいらない」
「私はただの踊り子です」
「じゃあ、これは命令にするよ。それならきいてくれるでしょう?」
「……タクト様!」

 ナツメを飲み込んだユーリが困り顔になったけれど。やっぱり、オレは堅苦しく呼ばれるのは好きじゃない。籠の中から葡萄の房をちぎると、一粒ユーリの口に押し込んだ。

「敬語、もしくは様付けで呼ぶ度に、オレは葡萄をキミの口に押し込むことに決めた」
「何を仰っているんですか!?」

 モグモグと口を動かすユーリの口に、また一つ葡萄の粒を押し込む。その後も、何度もオレをタクト様、と呼ぶからユーリはその度に一生懸命口を動かしていた。

「ユーリ、オレはこの国の第一王子だから、キミの両頬を葡萄でいっぱいにしても、この件に関しては譲らない」
「そんな事で、王子アピールしないでください」
「意外と頑固だなぁ。でもオレも負けないよ」

 ツプリ、と唇の隙間に葡萄をまた一つ押し込む。なかなか折れてくれないユーリにオレも少し困惑してしまう。これ、いつまでやり続けるんだろう、と。ユーリが折れてくれるまで、葡萄足りるかな。

「王子って意外と不自由なんだ。オレ、あんまり上手く立ち回れないし。だから、せめて寝台から転がり落ちた、かっこ悪いオレを知っているユーリにはもう少し普通に接して欲しい」
「……わかりました」
「あ、敬語」

 また一つ葡萄を押し込めば、もう!とユーリが急いで咀嚼を始める。飲み込んだ後、少し戸惑った顔で「……タクト、ってワガママ?」と呟いたから嬉しくなってしまった。

「そうだよ、オレはワガママ。だから、ユーリも好きに過ごしてくれていいよ。ここはオレの宮だから」

 養父といえども金貨と引き換えに送り込まれた先は王子の寝台。昨日、オレが来るまでどんな気持ちでユーリはここにいたんだろう。オレは酷く酔っていて、何も覚えていないし、記憶もない。だから、どんな流れで彼女を抱き枕がわりにしてしまったのかはわからない。

「……父上がひどいことをしてごめん」 

 謝っても取り返しのつく事じゃないし、あまりにも身勝手な話だとは思う。王様だからって、何をしても許されるわけじゃないし、父上の人の気持ちを考えないやり方は本当に嫌いだ。
 オレが視線を向けた。興味を惹かれた。たったそれだけの事で、女の子が寝室に送り込まれるなんて思いもしなかったし、考えもしなかった。
 握りしめた拳がやり場を無くした時、皿の上に盛り付けられた串焼きが不意に顔の前に差し出されて、思わずのけぞる。ユーリは困り顔のまま、オレを見上げて「気にしないで」と笑った。

「でも!」
「それ以上、タクトが謝るなら私は串焼きを1本ずつ貴方の口に押し込む」
「ちょっ、ユーリ!?」

 宣言通り、串焼きが口の中に押し込められて、必死に咀嚼すれば肉の旨味が口いっぱいに広がった。

「謝られると惨めになるから謝らないで欲しい」
「ごめん……あ、しまった」

 慌てて口を塞いだけれど、目の前には二本目の串焼き。今度は口の中に押し込まれる前に自主的に食べる事にした。
 そこからは言葉を慎重に選びながら、お互いの事を話した。ユーリの年齢はオレと同じ18歳。隣の国に比較的近い場所にあるオアシスがある街から来たらしい。養母の営む宿場を手伝いながら、養父の楽団で踊り子をしていた事を、ユーリは少しずつ教えてくれた。
 食事を食べ終えて、約束通りに宮の中を案内する。寝室を出るとユーリは敬語に戻ってしまったけれど、それはもう仕方がない事なのかもしれない。

「タクト様、どちらへ」
「ユーリに宮の中を案内してくるよ。それから湯浴みを手伝った侍女はそのまま、ユーリ付きにして」
「かしこまりました」

 部屋はどこがいいだろう。オレの部屋の隣かな、それとも中庭が近い陽当たりのいい場所がいいだろうか。思わずいつものペースで歩き始めれば、隣を歩いていたはずのユーリがいない。背後を振り返れば、侍従は困り顔でため息をついた。

「……タクト様、もう少しゆっくり歩かれた方がよろしいかと」
「もう少し動きやすい服も用意してあげて?」
 
 長い裾を歩きにくそうに少しだけ持ち上げて、何度も引っかかりながらユーリが追いかけて来る。踊り子の衣装もひらひらしていたから、そんなに違和感がないと思ったけれど生地が違うと肌にまとわりつくのだろうか。

「ユーリ、おいで」

 ユーリのペースで歩いていたら、いつまでたっても案内が終わらない気がして。追いついてきた所を待って、そのまま抱き上げたら、目を白黒させたユーリの右足から履物がするりと抜け落ちる。どうやらサイズが一回り大きかったらしい。

「なんだ、サイズが合わなかったんだね」

 左足を確認すれば、やっぱりサイズが合っていなくて、これではそのうち転ぶか、足を痛めるかのどちらかだろう。昨晩のユーリの軽やかなステップを思い出して、革のサンダルは脱がせておく事にした。

「タクト……様、下ろしてください」
「え?だって裸足になっちゃったから危ないよ」

 侍従にサンダルを渡せば、ユーリが焦った声を上げる。縦に抱き上げたから、真っ赤な顔が思ったよりも近くにあって、長い睫毛が忙しそうに瞬きをしていた。大きな瞳はなんだか宝石みたいで覗き込んでみたくなる。

「タクト」

 ここはオレの宮で、オレだけの居場所。滅多に顔を出すこともない父王が回廊の先で声を上げた瞬間、思わずユーリを抱いた腕に力をこめてしまった。

「……父上」

 オレは父王が嫌いだ。望みはないかと問うくせに、本当に望むものは何一つ叶えてはくれない。そのくせ、身勝手な権力でいつも全てを奪って、壊していく。父王の声を聞いた瞬間、ユーリの体がびくり、と震えたけれど、大丈夫だよ、なんてオレに言える権利がないことくらいバカなオレでも理解はできた。
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