03

 音楽は良い。何も考えず、心地良い音色に身を任せれば自然と心が穏やかになる。窮屈に閉ざされた宮殿の中ですら、ほんの一瞬でも心が満たされる。

「王子は音楽が好きですか?」
「うん、そうだね。好きなんだと思う」

 踊り子の少女が跪いて、タクトの空になった杯に琥珀色の酒を注ぐ。お酒はもういらない、と言いかけたものの、不意にベールで顔を半分隠した少女が目元を柔らかく細めたのを見て、つられて盃をあけてしまった。当然、空いた盃には再び琥珀色の酒が注がれて、揺れる水面に困ったように笑ったタクトの顔が映った。

「……君は踊るのは好き?」

 踊り子の少女に思わず問いかけてしまってから、余計な事を言ってしまったと思う。一瞬、目を丸くした少女が困ったように眉尻を下げた事に気付いた時には遅い。踊り子の少女にとって、これは仕事なのだ。好きかどうか、など王族の自分が問うべきことではない。

「タクト」

 父王に名前を呼ばれた気がしたが、気乗りはせず振り返る事もなく、聞こえないフリをした。曲調の変わった音色に意識を向けてウードを抱える。瞳を伏せれば鈴の音が響き、どこか心地良かった。

「好きですよ。踊る事」

 凛とした声の少女は小さく呟き、優雅に一礼すると、ひらりと布を揺らしてタクトの前を去った。踊り子の少女を思わず視線で追ってしまったのは、柔らかい声とは裏腹に、はっきりと自分の思いを口にした事に少し驚いて。鈴の音と共に踊る少女はずっと自分よりも不自由な立場で、けれど自由なようにも思えた。
 ベールで少女の表情は見えない。けれど、視線で追いながら彼女がどんな顔で踊っているのか、見てみたいと思った。

「タクト」
「ユキちゃん?」

 恭しく跪いた兄弟に、思わず自分も同じ目線に体を下げようとすれば、背後から服を引かれて思うようには動けなくなる。

「タクト、駄目だよ」
「でも……」
「タクト、いいからそのまま杯を持って」
「オレ、もう飲めない」
「いいから、主役は黙って飲んでろ。辛気くせえツラで踊り子見てんじゃねーよ」

 無理矢理に杯を持たされて、降ろしかけた手はトウイチローに諭されて。跪いたユキナリから酌をされて、再び満ちた琥珀色の酒。傍目には庶子の第三王子が、第一王子に平伏している様に見えるが、小声でのやり取りはもはや脅しに近い。

「オマエはふわふわしてても、この国の第一王子なんだよ。隙だらけの顔すんな、ちょっと可愛いだけの踊り子にいちいち反応すんな!」
「え、ユキちゃんも可愛いって思った!?」
「……ユキ、タクト。三人で祝うのは宴が終わってからにしよう」

 今はちゃんと役割に徹して、とトウイチローに静かに叱られながら、つい気が緩みそうになる口元を引き締めてタクトは背筋を伸ばす。
 元々、高身長の体は背筋を伸ばせば独特のオーラがある。気を抜いて緩んだ言葉を吐かなければ、言葉少なく語る声にも強さは宿る。

「跡目を継ぐべき、王子の宴だ。皆、今日は、心ゆくまで酔えばよい」

 不意にかけられた父王からの言葉に、内心溜息をつきながらも、タクトは今宵の宴を自らの立場に徹する事を心に決めた。王位など、どうでも良い。トウイチローの様な冷静さも賢さも、ユキナリの様な強さも判断力も持ち合わせていない自分が跡目を継ぐ器ではない事は自覚している。
 それでも、二人の兄弟が望むのなら。自分が王位につく事を、良しとするのなら。

「……皆の期待に応えられる様に努力するよ」

 必死に絞り出した言葉は嘘か、真実か、酔いの回り始めた頭の中では判断が出来なかったけれど。自分を守る様に背後に控えた兄弟が傍にいてくれるのならば、王位はいらないとは口にできるはずもなかった。

 跡目を継ぐのは、第一王子のタクトである。父王の明らかな意思表示を兼ねた宴は夜更けまで続き、タクトの薄っぺらな笑顔が表情筋に刻まれる程度には、自身の立場に忠実であるように振る舞った。時折、踊り子の少女を視線で追ってみたが、少女がタクトの傍に侍ることはなく、宴が終わる頃には楽団と共に姿を消していた。
 背筋を伸ばして、自分の宮へと戻るまではタクトは第一王子として、振る舞った。慣れ親しんだ宮に足を踏み入れた瞬間、背後についていたユキナリとトウイチローに抱きつく。

「ユキちゃん、トウちゃん、オレもう飲めない。吐きそう」
「バカ!オマエでかいんだから、上からのしかかってくるな!オレが吐くわ!!」
「二人とも、品がないよ。……うっ」
「え、トウちゃん吐く!?大丈夫?……あ、オレもうダメかも」
「だから、体重かけてくるんじゃねぇよ!っつーか、トウイチロー!オマエ、顔色やべーぞ!?」
「ユキ!真っ直ぐ歩いてくれ!」

 三人でもつれ合いながら第一王子の宮に転がる。半分だけ血の繋がった兄弟だけになれば、気負うこともなくなり、全てがさらけ出せる様な気がした。
 見上げた空に浮かぶ星も月も、見える景色は同じはずなのに、立場が変われば見える空すら、霞がかかる。その事実が歳を重ねる毎に顕著になって、ひどく寂しさが募った。

「タクト様、湯浴みを」
「んー、もう今日はいいよ」
 
 ふらつくユキナリとトウイチローに半ば引き摺られて寝室へと押し込まれたタクトは大きな身体を寝台に投げ出す。遠くで侍従の声が聞こえた様な気がしたが、目を閉じれば煩わしさは遠ざかっていく。

「……タクト様」
「ん、誰……?」

 甘い花の様な香りが鼻腔をくすぐる。手を伸ばせば、柔らかい感触と温もりが心地良い。思わず引き寄せれば、一気に疲労感と睡魔に襲われて、重い瞼が帳を下ろす。遠のく意識の中、心地良い鈴の音が聞こえたような気がした。

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