02
上辺だけの祝いの言葉。他国からの珍しい贈物。柔らかい笑みを浮かべた第一王子のための宴。二人の弟以外から見れば、タクトは愛想良く穏やかに笑って歓談しているように見える。持って生まれた穏やかな空気と柔らかい声は未来の王が治める御世は平穏な光景を想像させた。仲が良いからこそ、見えるもの。大切に思うからこそ気付くもの。トウイチローとユキナリの瞳にはタクトの張り付いた嘘の笑顔が目についてしまい複雑な思いを抱いていた。
「あのバカ、愛想笑いしやがって」
「まぁ、それに気付くのはボク達だけだと思うよ」
トウイチローが止めなければ、今すぐにでも嘘の笑顔で対応しているタクトの頭を殴りにいきそうなユキナリは小さく舌打ちをすると、祝いの酒を勢いよく飲み干した。
後継者は第一王子のタクト。そこに揺らぐものなどない。父王の隣に席を設けられ、盛大に祝われる誕生日をあれほど嫌がるタクトの本音を知っているからこそ、トウイチローとユキナリも手放しに祝ってやる事が年々難しくなっていた。
王位に執着などなく、親友の様に自分達の事を慕い、手放しに褒めてくれるタクトは正妃の産んだ第一王子。正妃は元々隣国の姫であり、タクトが王になれば隣国との関係性もより深まる利点もある。
「……あのバカ、オレ達に気を遣いすぎなんだよ。第一王子なんだから、ふんぞり返ってりゃいいのに」
「タクトは優しいからね」
「優しすぎるバカはダメだろ」
皿に盛られた肉料理を食べながら憤慨するユキナリは庶子であり、本来であれば第一王子であるタクト、第二王子であるトウイチローとは立場が異なる。周囲に聞こえるのであれば言葉遣いを正すが、子供の頃にタクトから「ユキちゃんとトウちゃんはオレの兄弟なんだから遠くにいちゃだめ!」と泣かれてからは距離を置く事は諦めた。父王の事はいけすかないやつだと思っていても、同い年の兄達の事は信頼しており、武の道に進んだのは二人の為でもある。
「まぁ、ボク達がその分しっかりしていればいいんじゃないかな。タクトはぼんやりして見えるけど、ちゃんと色々見えてるから」
「あのでっかい背で見えねーもんがあんなら、それこそ問題だろ」
わざと棘のある言い方をするユキナリに苦笑しつつもトウイチローは穏やかに微笑みながらもタクトから視線を外さない。ユキナリもそれは同じであり、周囲に悟られない程度に警戒を向ける。悪意がタクトに近づく事がないように。
「……踊り子か」
不意に聞こえた凛とした鈴の音。一瞬の静寂の後、緩やかに音楽が鳴り響く。フェイスベールで顔を半分隠した一人の踊り子は煌びやかな衣装を纏って、ゆっくりと広間の中央へと進んだ。王とタクトの前で恭しく一礼した踊り子は視線を伏せると一瞬、ぴたりと動きを止めた。
細い指先が誘うように音楽を引き寄せ、小さな身体がリズムを刻む。踊り子は軽やかな足取りで、蠱惑的な笑みを浮かべた。あまり年頃は変わらないぐらいの少女にも見えるし、ふとした一瞬の視線は大人びて見える。
一身に注がれる視線に、少しも臆することのない踊り子の右足首と左手首の飾りには小さな鈴。飾りの中に潜む心地よい音色に自然と人の視線は奪われた。
「ユキ、少し場所を変えよう」
人の視線が一箇所に集中する時は危険が伴う。宴の中、静かにトウイチローとユキナリはタクトの後方へ移動した。踊り子に視線が集まる一瞬、悪意が万が一にもタクトに牙を向く事がないように。
「お前達はよく心得ている」
一瞬、振り返った王の言葉にトウイチローは静かに頭を下げ、ユキナリも睨みつけたい感情を抑えてそれにならう。てめーの為じゃねぇよ、と飲み込む感情を押し殺して。
タクトの視線は踊り子に向いていて、無意識に指先がリズムを刻む。昔から音楽が好きな第一王子は穏やかな表情を浮かべて、音色に耳を傾ける。彼の場合、踊り子に興味を持ったのか、音楽に心を砕いているのかは定かではない。
「おい、ウード持ってこい」
ユキナリはタクトの側仕えの少年に声をかけてタクトの愛用している撥弦楽器を運ばせる。背後から背中を軽くつつき、楽器を差し出せば退屈そうな表情が一変した。
「ありがとう!ユキちゃん」
「……バカ!ンなとこでユキちゃんって呼ぶな!」
小声でタクトに釘を刺して、数歩後方へと下がり、ユキナリは膝をつく。一瞬、2人のやりとりを見ていた踊り子が、小さく笑ったように見えた。慌てて表情を隠すように、ふわりと薄衣がタクトの視界で音楽に合わせて揺れる。人形のように表情を変えなかった踊り子が一瞬見せた柔らかな笑み。
ウードを抱えて、音色を奏でようとしたタクトの指から撥が滑り落ちた事に気が付いたのは宴の場にいた何人だろう。第一王子の視線が1人の踊り子にほんの一瞬でも奪われたこと。
落ちた撥を拾った側仕えの少年に差し出されて、小さくタクトは頷く。まだ、視線は先ほど笑った踊り子に向けられていて、側から見ていると気が気ではない。
タクトは自由だ。第一王子という身分にあっても、その心は自由で立場や継承権など興味がないとでもいいたげに、腹違いの弟達を慕い音楽を愛する。
「気に入ったか?」
どこか懐かしそうにウードを奏でるタクトに父王が静かに声をかける。問われた意味を正しく理解しないまま、ふわりと微笑んだ第一王子はやはり自分の立場をわかってはいない。
「……音楽の話じゃねぇよ」
誰にも聞こえないほど小さな声で舌打ちをしたユキナリの複雑な表情は俯いた視線と共に誰の目にも触れることはない。強く握りしめた拳に込めた感情は怒りと憎しみに似ていて。音楽と共に軽やかに踊る少女をまっすぐに見ることができなかったのは、ユキナリを産んだ母もまた少女と同じ、かつては踊り子だったからかもしれない。