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 タクトの宮はとても穏やかな場所だった。女官達は働き者だし、侍従は気配りのできる人で、宮の主人であるタクトも穏やかで朗らかな人だ。第一王子の立場から幾人もの大臣や王様の側近達が彼の宮を訪れる事はあるけれど、その度にタクトは私を人目から隠したりはしなかった。

「ユーリが嫌だったら、自分の部屋に居てもいいからね」

 身分の卑しい踊り子を片時も側から離さないこと。時々、あからさまに嫌味を含んだ言い方をする大臣もいるけれど、タクトはニコニコと笑みを崩さないまま、私にいつも笑いかける。恥じることなんて、何一つないという涼しい顔をした彼はこの国の第一王子だというのに、いつだって私の気持ちを一番に考えてくれる。

「オレが好きだからユーリには側にいてもらっているんです。何か問題がありますか?」
「第一王子の立場から、寵姫がその娘だけでは心許ないでしょう」
「え?腕なんて二本しかないから一人抱きしめるので精一杯ですよ」

 ふふ、と蕩けるような笑みを浮かべてわざとらしく両手を広げるタクトはどこまでが本気なのだろう。タクトの側で大臣達とのやりとりを見ていると、彼が複雑な立場である事を思い知らされた。タクトのお母さんだった第一王妃は隣国の姫君で、彼が小さい頃に亡くなっていると聞いていたけれど、異国の血の混じった彼が王の後継者である事に不満を抱く者も少なからずいるようにも思える。
 その反面、タクトが私を側に置いた事で気に入った娘には心を砕くとわかったのか、あわよくば自分の身内を側に上げさせようと画策する大臣達もいた。あからさまに着飾った娘を連れてくる者もいたし、本音を言えばタクトの謁見の場に私がいる事は場違いだ。タクトは私が嫌じゃなければ側にいて欲しいと言うけれど、むしろ側にいることが迷惑になるんじゃないかと思うと言えば、タクトは首を振ってそうではないと否定した。

「オレがユーリを好きな事なんて、見ていればちゃんとわかる事だから。隠す必要もないし堂々としていればいいと思う」
「でも、タクトの立場もあるから」
「第一王子だからとか、そんな事は理由にならないからいいんだよ。大体、ユーリをオレのところに送り込んだのは父上なんだから、何か言われる筋合いはないし」

 柔らかい口調だけれど、タクトは私以外の娘を宮に迎える気はない事をはっきりと口にしていて。嬉しいと思う反面、どこか不安になるのはなぜなのだろう。タクトの愛情表現は真っ直ぐで、偽りなど何も無いことはわかっている。優しく抱きしめてくれる両腕が暖かい事も優しい事も知っている。ユーリ、と甘く優しく呼んでくれる声にも馴染んでしまって、タクトが出かけて彼の声が聞こえない日は寂しいと思うようになってしまった。
 年頃の長女が大変美しいと評判である事を雄弁に語った大臣と会談すること一刻。のらり、くらりと交わしながら結局ただの一度も娘の名前も特徴すらも問う事もしなかったタクトを苦虫を噛み潰すような目で見ていた大臣が、広間を足早に出ていった。ひらひらと手を振って「父上によろしくお伝えください」なんて、飄々としている姿を見ると少し驚いてしまう。
 そのくせ、大臣の姿が完全に見えなくなると安堵したような溜息をついて、タクトは私を引き寄せる。自分の足の間に私を座らせて、背中から抱き締めてくる姿を知ってしまうと、どんなに居心地が悪くても会談の席に座る事を拒む事は出来なかった。

「今夜はユーリの部屋に行ってもいい?」
「いいけど……。今日は王様に呼ばれているんでしょう?」
「うん。本当は行きたくないけど。気が重いから戻ってきたらすぐにユーリの部屋に行くよ」

 タクトが用意してくれた私の個室。結局、一人で寝るのは三日に一度くらいで相変わらずタクトの部屋に入り浸っているけれど、夜毎第一王子は寵姫に溺れているなんて噂話とは全く違う事が現実だった。
 何をして過ごしているかと言えば、一緒に楽器を弾いたり、お喋りをしたり。タクトが教えてくれたボードゲームをしたり、最近は本を読んで貰う事も多い。文字が読めないわけじゃないけれど、子供の頃に本を読んでもらった事などほとんどないと言ったら、タクトは書庫から子供向けの冒険話やお伽話を埃だらけになりながら引っ張り出してくれた。幼い頃に与えられなかった時間を埋めるみたいに、タクトが読み聞かせてくれるようになって、最初は戸惑ったけれど今は私自身も待ち遠しいと思うようになった。

「今日はこの前の続きのお話?」
「そうだよ。この前は途中になっちゃったからね」

 だって、ユーリが寝ちゃったからと笑われて、頬が熱くなる。タクトの膝の間にすっぽりと収まって、柔らかく語る優しい声を耳元で聴いていると、とても心地が良い。優しい声色のせいなのか、触れ合う体温のせいなのかはわからないけれど、時折そのまま眠ってしまう事がある。
 それはタクトに完全に心を許しているからだと自分でも理解しているけれど、王子様に対してあまりにも失礼だとは思う。

「ごめんなさい。せっかく読んでくれていたのに」
「え?別にいいよ?それはそれで嬉しいから」
「嬉しい?どうして?」

 お伽話も面白くて、つい聴き入ってしまうのだけれど、物語の合間に語られるタクトの子供の頃の話を聞く事も楽しみの一つだった。けれど、抗えない眠気に誘われてしまう事があるのも事実で、目が覚めたらいつの間にか寝台だった、なんて事も一度や二度ではない。

「オレの膝の間でユーリが寝ちゃうのは、オレに気を許してくれているって意味だと思ってるから」

 頬を染めて嬉しそうに笑うくせに、タクトは相変わらず同じ寝台で休んではくれない。なぜかいつも長椅子だったり、お喋りまでは寝台に座っていても、気がつけば離れてしまう。膝の間に座らせて本を読んだり、手を繋いだり。触れ合う時間は増えているはずなのに、未だ口付けすら交わしたことがないと誰が信じるだろう。

「……今日は途中で寝たりしないから、タクトが来るのを待ってるね」

 出かける支度をするタクトの首元の飾り紐に指を絡めて無意識に引いたのは、もう少しだけ一緒にいたくて。タクトが私の視線に気がついて、ふわりと微笑んで体を屈めてくれたから、思わず無意識に背伸びをした。
 優しく弧を描く唇に思いを寄せて、瞳を閉じれば柔らかい感触が触れたのは額。ご丁寧に前髪をあげて、私の額に口付けたタクトは満足そうに笑うけど、多分私はとても不満な顔をしていたんだと思う。

「ユーリ?どうかしたの?」
「……どうもしてないよ」
「え、でも何か不満そうな顔してる」

 第一王子のタクトはもっと我儘でもいいし横柄でもいいはずなのに、いつもとても優しい。しがない庶民で踊り子の私を本当に大切にしてくれる彼がとても優しい人なのだとわかってはいるのだけれど、無意識の期待を裏切られた気がして恥ずかしくなる。タクトがくれる、たくさんの「好き」という言葉と抱擁に戸惑う事もあったけれど、少しずつ積み重ねられていく愛しさは身に沁みて実感していた。
 なんでもない、と言おうと思っていたのに。目の前でタクトがあまりに幸せそうに笑うから、彼の顔に手を伸ばしてゆっくりと唇を指でなぞる。それでも、きょとんとして小首を傾げているタクトの反応に焦らされて、思わず彼の指を掴むと自分の唇に押し当てた。
 さすがのぼんやりした王子様も意図に気がついたらしく、目を丸くしながら間の抜けた声で「ユーリ!?それはどういう意味で……!」なんて慌てるから、こっちも引っ込みがつかなくなる。
 思わず、逃げ腰になっているタクトにぎゅっと抱きついたら恥ずかしくて顔があげられなくなってしまった。頭上でタクトが何か上擦った声で叫んでいる気がしたけれど、両腕でぎゅっと抱きしめ返されたら、自分の心臓の音が煩くて、もう何を言われているのかわからなくなる。

「……帰ってきたら、ちゃんとしよう!?」

 何を、とは聞けなくて。ただ、真っ赤になった顔を上げる事も出来ず、タクトの声に静かに頷く。気恥ずかしさで身動きが取れなくなって、ただぎゅっと抱きしめ合うだけの奇妙な時間が過ぎるのを待っていたけれど、どちらも手を離したら先に何かを言わなければいけない気がした。タクトもそれがわかっているからなのか、時折落ち着かないように髪を指で梳いてくれるけれど、それ以上は何も口を開かないから余計に気まずい。

「タクト様、そろそろお時間が……」
「ごめん、すぐに行くから!」

 結局、侍従のユウトが気まずそうに声をかけるまで、私とタクトは身動きが出来なくて。ユウトの声に弾かれるように体を離せば、今まで触れ合っていた温もりを手放してしまって、少しだけ寂しくなる。

「出来るだけ早く戻ってくるから、待っててね」

 タクトは名残惜しそうに私の指先に口付けると、足早に部屋を出て行ってしまったから、部屋に一人きりで残されると静か過ぎる空間に居心地が悪くなってしまった。
 なんとなく落ち着かなくて部屋の掃除をしてみたり、調理場を覗いて手伝う事はないかと動き回っていると、段々と自分のとった行動が恥ずかしくて居た堪れなくなる。いくらタクトが優しくても、相手は王子様なのに。

「ユーリ様、今日は早めに湯浴みをしましょう」

 調理場の次は洗濯場へ。落ち着かなくてとにかく女官の仕事を無心で手伝っていると、気がつけば髪も服も濡れてしまっていて、最終的には半ば呆れている女官達に強制的に湯殿へと連れて行かれてしまった。
 湯浴み後、髪と肌に塗ってもらった香油はほんのり甘くて柔らかい香り。タクトが選んでくれたのだと聞かされて思わず顔が赤くなれば、着替えにと用意された服に袖を通しても火照った頬はすぐには冷めそうもない。タクトは王子様だから、私以外の女の人を迎える日は必ずくる。そんな事は痛いほどわかっているのに、タクトがあまりにも幸せそうに私を見つめるから、時々勘違いをしてしまう。
 幸せなはずなのに、いつも頭の片隅には不安がよぎる。タクトの唇に触れたいと願ってしまったのは、わずかな時間だとしても、愛しい彼を独り占めしていたい子供みたいな感情だった。
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