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 眠れないと思っていたのに、一日中動き回っていたせいか、いつのまにかぐっすりと眠っていた。物音と衣擦れの音に弾かれた様に目覚めて飛び起きれば、部屋の端にある長椅子の下に上半身裸のタクトが転がっていた。すらりと伸びた手足も高身長もいつの間にか見慣れていたけれど、薄い腹筋を見たのは初めてだった。寝返りを打って長椅子から落ちたのか、タクト本人も転がり落ちたことに驚いたようで目が合っても呆然としていた。半ば寝ぼけた頭は思考回路が停止していて、思わず無言で見つめてしまう。王子様でも寝ぼけたら床に転がり落ちるんだな、と当たり前の事を思う。私の視線に気が付いたタクトの顔が見る見るうちに赤く染まるのを見て、昨晩交わした言葉が頭の中をぐるぐると回る。優しいタクトの笑顔も暖かい腕も、脳裏にしっかりと焼きついて離れない。

「お、おはよう。着替え手伝おうか?」
「手伝わなくていいよ!むしろ、じっと見るのやめて!?」
「だって、タクトが裸でいるから!」
「裸じゃないよ、下は履いてる!ちょっと寝苦しくて脱いじゃっただけだし。寝ぼけてユーリが一緒なの忘れてただけだよ!」
「……忘れてたんだ」

 必死に言い訳をしながら体に巻きついた掛物をタクトは外す。あからさまにしまった!という顔で口元を覆った彼の仕草に思わず吹き出せば、緊張した空気が少しだけ綻んだ。タクトが譲ってくれた寝台から降りて、彼の方へとゆっくりと近寄る。裸の上半身から目を逸らすように視線を長椅子へと向ければ、昨日着ていたタクトの服が散乱していた。王子様は脱いだ服なんて畳まないのかな、なんて半分寝ぼけた思考回路で誤魔化しても、つい視線がタクトを追ってしまう。

「オレ、ユーリに何にもしてないからね、信じてね?」
「……何かされたなんて思ってないよ」
「そこは少しくらい心配して?」

 上半身が裸なのはタクトだけだし、昨晩は寝台と長椅子に横になってからお互い一歩も動いていない。よく眠れたけれど、目覚めた時に隣には誰もいなかった事が少し寂しいと思ったのは、まだ言えるわけもなかった。

「タクト、風邪ひくよ?」
 
 慌てふためいたタクトが服を頭から被ったけれど前と後ろが逆になっていて、やっぱり王子様には手伝いが必要なのかもしれない。

「タクト、前と後ろが逆」
「だってユーリがじっと見てくるから!せめて目を逸らすとか何かして」
「あ、うん。紐、結ぶね」
「ユーリ、オレの話をちゃんと聞いて……!」

 前と後ろを着直したタクトの服。腰あたりの紐を三箇所結んで「出来たよ」と顔を上げれば、タクトが怖い顔をしていた。

「ユーリ」
「タクト、まだ眠たい?長椅子だから、あんまり眠れなかった?」

 寝不足で機嫌が悪いのか、タクトの眉間に皺がよる。半分欠伸を噛み殺して脱ぎ捨ててあった衣服へ手を伸ばせば、急に背後からタクトが手首を掴んだから驚いた。

「昨日、オレが好きって言った事、ちゃんと覚えてる?」

 いつもよりもずっと近い場所から聞こえるタクトの声がくすぐったい。脳裏には昨日の告白が何度もよぎって夢ではなかった事を思い知らされて、心臓が急に跳ねあがる。

「ユーリ、もう忘れちゃったの?」
「……ちゃんと覚えてるよ」
 
 耳元で囁くようなタクトの声は少し不満そうなのに、甘く柔らかく耳をくすぐる。一瞬、躊躇った後に背後から抱きすくめられて、身動きがとれなくなる。簡単にふり解けるくらいの優しい抱擁。けれど、すりすりと頬を寄せられて「……夢みたいだ」なんて呟かれたら、現実と夢の狭間で寝ぼけているのは自分のような気がした。

「あ、朝ごはん食べよう?ユキをあんまり待たせたらタクト怒られちゃうんじゃない?」
「ユキちゃんはそんな器の小さい男じゃないと思う」

 甘えるみたいに大きな体を屈ませて、徐々に抱きしめられた腕に力が籠っていくのを感じる。タクトの両腕から伝わる熱が、何度も昨夜の言葉が脳裏に浮かんで離れない。王子様なのにタクトは無防備すぎる。こんな簡単に気持ちを口にして大丈夫なんだろうか。私みたいな庶民に本当に恋をしてしまって良かったのだろうか。

「ユーリ、大好き」

 タクトの柔らかい声に混じる熱。目を閉じたらそのまま膝から崩れ落ちそうなほどに甘く脳に響く声をずっと聴いていたい気持ちと朝から流されてはいけないと思う自分がいる。ぎゅっと抱きしめてくれる両腕を僅かに残った理性で押し返す。

「着替えたいから、タクトはあっち向いていて」
「ご、ごめん!オレ、部屋出てるよ。ユキちゃんに声かけて先に一階に降りてる。ユーリはゆっくりでいいから」

 するりと解かれた両腕に一瞬の寂しさと、気遣う言葉に安堵して。タクトは足早に部屋を出て行こうとするけれど、扉を閉める前に一度振り返って、ふにゃりと笑った。

「ユーリ、オレの気持ちを受け入れてくれてありがとう」

 屈託のない優しい笑顔と少し照れたように緩んだ口元はすぐに部屋から出て行ってしまったから、ほんの一瞬しか見せてはもらえなかったけど。なんとなく今まで見ていたタクトの笑顔とは少し違ったように思えて、熱を帯びる頬を自覚してしまう。思わず寝台へとうつ伏せに倒れ込んで、緩み切ってしまった顔をなんとかしなければと思えば思うほどに口元の緩みが治まらない。

「……ずっとこうしていられたらいいのに」

 無意識に口をついて出た本音。知らない街で誰もタクトがこの国の王子様だなんて知らないし、私が隣を歩いていても許されるような気がしてしまう。少しも王族である事を鼻にかけないタクトは街を歩けば、ほんの少しだけ世間知らずな人、という印象だ。人当たりも良くて子供達にも優しくて、彼がウードを奏でると聴いている人はみんな笑顔になる。宮殿に戻っても、タクト自身が変わるわけではないけれど、私は絶対にどうしようもない壁を感じるのはわかっていて、不安がゆらゆらと揺らいでしまう。
 タクトを好きだと思えば思うほど。気持ちが通じ合えば合うほどに一生、越えることのない身分差に不安が募ると言ったら、タクトは絶対に悲しい顔をするのはわかっているから決して顔に出してはいけない。
 いつまでも寝台で拗ねているわけにもいかず、荷物の中から着替えを引っ張り出して更衣を急ぎ、食堂へと向かう。

「ユーリ!」
「バカ、うるせーよ!」

 奥の席から私を見つけたタクトが長い手をブンブンと振って、合図をする。タクトの声よりも良く通るユキの怒鳴り声に思わず笑ってしまいながら、席に着いた。暖かいスープと焼きたてのパン。下町の味付けが珍しいのか、取り合うように食べているタクトとユキの姿を眺めていると街での視察がずっと続けばいいのに、なんて思ってしまう。

「今日はお買物に行こうか。ユーリは何が欲しい?」

 幸せそうに笑うタクトが頬杖をついて、愛おしそうに瞳を細める。ヘラヘラすんな!とユキが怒っていたのには笑ってしまったけれど、これ以上何かを欲張ったら罰があたってしまうと思ったし、もう欲しい物なんて何も思いつかないから黙って首を横に振るしか出来なかった。

 朝食を食べ終えて、街を散策しながら乾いた地面をサンダルで歩く。街の喧騒に溶け込みながら当たり前のように繋がれたタクトの手が嬉しくて、このまま醒めない夢を見ていたいと願わずにはいられなかった。この国の未来を見つめるタクトのまっすぐな瞳。時折、こっちを見て欲しくて握った手に力を込めると「ユーリ?どうしたの?」と身を屈めてくれる。

「ううん、なんでもない」

 優しいタクトの瞳を一瞬だけ独り占めする度に愛しさと切なさが込み上げて、心の中がタクトの存在でいっぱいになっていくのを自覚すれば、この感情を大切にしたくて、ほんの少しも後悔がないように、彼の手を強く握った。
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