16

 明るい音色が終わると、すぐにタクトは店主に声をかけて賑やかな輪の中から抜け出した。タクトのウードはどうみても値打ち物なのに無造作に置いていこうとするから、慌てて店主に声をかけて店の奥に預かってもらう。タクトは難しい顔をしたまま、急かすみたいに私の背を押して建物から足早に出ようとする。そんな私たちを気の良い隊商達は止めもしなければ口も挟まず、道を開けてくれた。

「タクト、どこへ行くの?」
「二人きりで話が出来るところ、かな」

 きゅっと口を真一文字に結んだタクトは時折振り返って、私の姿を確認する。遠慮がちに掴まれた手首は痛くはないのに、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。夜になると温度が下がって上着がなければ寒い事なんてわかっているはずなのに、店から軽装のまま出て来てしまった。

「ねぇ、どこまで行くの?夜は危ないよ」

 タクトは王子様だから。もしも何かあったらと思うと気が気ではない。品の良い雰囲気を自分が纏っていることをタクトはわかっていないし、街中だって一歩間違えば簡単に身ぐるみを剥がされる事を彼は知らないのだろうか。

「……オレってそんなに頼りない?」

 不意に足を止めたタクトが建物の影に隠れるように方向転換をした。大きな掌を背中に添えられて、気がついた時には冷たい壁に背中を押し付けられる。正面に立つタクトの両腕は私の肩近くの壁を押さえていたから、壁とタクトの隙間で息を呑む。視線を逸らしたいのに、頭上から見下ろす寂しそうな瞳から目が離せなかった。どこか苦しそうで、悲しそうな瞳。この国で一番尊い立場にいる彼は時々、とても悲しい顔をする。

「ユーリ、急にごめん。言うのやめようって何度も思ったんだ。困らせたくないし、悲しい顔が見たくないから。でも……やっぱり、言うなら今しかないのかなって思って」

 何から話せば良いんだろう、と頭上で聞こえた深い溜息に無意識に息を飲んで喉が鳴る。張り詰めた雰囲気に息苦しくなって目を伏せれば、顎に触れたタクトの指先が視線を逸らすことは許さなかった。話したいことがあると言う癖に、タクトはなかなか口を開かない。ただ、一分一秒がどうしようもなく長く感じて、居心地の悪さに落ち着かない。無言で見つめる瞳も、伏せた長い睫毛も。時折溢れる切ない溜息にさえも、彼を恋しいと思う気持ちだけが掻き乱されて、許されるならこの場所から走って逃げたい衝動に駆られる。それをわかっているから、タクトの両腕は私を閉じ込めているのか、その理由はわからなかった。

「宿に戻ろう?ユキが心配する」
「守れるよ」
「え?」
「……オレにだってユーリを守るくらいの力はある。多分だけど」

多分って何、と思わず返そうと思ったのに。身を屈めたタクトの唇が耳元で震える声で呟くから、自分の心臓なのにドクドクと熱くて苦しくなる。

「守らなきゃいけないのは私じゃないよ。タクトだよ?」
「オレなんてどうでもいいんだ」
「……王子様が何を言ってるの、どうでもいいわけないでしょ」

 なんだか子供みたいな言い方に困惑しながらも、どこか期待している自分がいる。タクトは王子様なのに。この国で一番身分が高い人なのに。恋をしてはいけない相手なのに。

「オレがユーリの事を好きって言ったら迷惑なんじゃないかなって思って。けど……やっぱり、どう考えてもユーリには側にいて欲しくて」

 壁に手をついていたタクトの掌がゆっくりと両肩に置かれる。指先に力がこもっていて、本当は少しだけ痛くて。けれど、そんな痛みよりもまっすぐに向けられる視線から目が離せなかった。

「……王子だからとか、従わなきゃいけないとかは思わないで。ユーリの気持ちがオレに向いてないなら、自由にしてあげたい。この街で暮らせるように手配はするし、もっと行きたい場所や帰りたい場所があるなら用意する。父上にはユーリのことは飽きたから手放したって言えば、連れ戻されることもないと思う」

 タクトが口を開く度に、長い指に肩に食い込むほど力がはいる。いつも優しく笑う顔は、どこか苦しそうで泣きそうで。真剣な目をしたタクトは王子様なのに、どうしてそんなに必死になるのだろう。砂の混じった冷たい風が髪を攫う。あまり寒く感じないのは、タクトの大きな体が風除けになってくれているから。

「このまま、ユーリをオレの宮に連れて帰ったら、自由にするタイミングを無くしそうで怖くて。もし、ユーリが離れたいって思ってるなら……オレの事、少しも好きじゃないなら、ちゃんと言って欲しい」
「……私の気持ち、優先してくれるの?」
「当たり前だよ!ユーリの気持ちが一番大事でしょ?」
「……タクト、王子様なのに」
「そんな事、関係ない!」

 吐き捨てるみたいな強い言葉に肩が震える。今まで聞いたタクトの声で、一番厳しい声色に反射的に目を瞑ってしまったら、目の前でタクトが驚いたように両手を離す。行き場を無くした両手がゆっくり拳を握ると、つらそうに顔を歪ませた。

「ごめん。怖がらせたいわけじゃないのに」
「……怖いなんて思ってないよ。びっくりしただけ。タクトもそういう声、出るんだと思って」

 背伸びをしても届かない高身長。今にも泣き出しそうな頬に触れたくて手を伸ばせば、一瞬躊躇ったタクトがゆっくりと身を屈める。冷たい頬に指先が触れた。泣き出しそうな目尻を指先でなぞれば、タクトが柔らかく笑う。

「私、タクトに何もあげられない」

 優しく笑う瞳と大きな体躯に見合わない繊細さと優しい所に惹かれた。踊り子にも分け隔てなく接してくれる王子様は、人の心に寄り添える素晴らしい人で、いつか素敵な王様になるのは想像出来る。国も人も、きっと慈しんで大切にしてくれる王様になるんだと思う。そんな姿は思い描けるのに、そんな彼の隣に立つのは私であるはずがない。タクトの隣に立つのは他の国のお姫様か、大臣達の姫達だ。そんな彼の背中を遠くから見つめる未来を思い描けば苦しくない筈はないのに。

「……ユーリが傍にいてくれるなら、他には何もいらないよ。オレの事、少しでも好きだと思ってくれるなら、それだけでいい」

 他には何もいらないよ、と笑うタクトはそれ以上もう何も言ってはくれなくて。ただ、じっと私の答えを待っていた。伸ばしてしまった手を今更引くこともできず、ただそっと何度もタクトの頬をなぞる。どこか心地良さそうに目を閉じる無防備な王子様は急にどうして連れ出した挙句に特大の感情をぶつえてきたりするのか。好きだなんて言われなければ、この気持ちは隠して抑えて、見ないふりを貫き通すことも出来たかもしれないのに。柔らかい頬の感触に触れて、無防備に全てを預けるような顔をするタクトに段々と腹がたってきて、柔らかい頬をきゅっと摘んだ。

「……タクトのバカ」
「え?なんでユキちゃんみたいなことユーリまで言うの!?」

 丸くなった瞳に浮かぶ困惑の色がずるい。王子様のくせに優しくて、少しも気取ったところもなくて、踊り子なんかに真面目に好きだと言ってくれる所もどうしようもなく恋しい。勘違いしないように、必死に考えないように、望まないようにと考えていた筈なのに。

「……タクトの傍にいたい」

 摘んだ頬を指先でなぞって、私を好きだと言ったタクトの唇にそっと触れる。出会えた事は偶然で、運命なんて呼ぶにはタクトは遠すぎる存在だった。

「タクトが好き」

 言葉にしてしまえば、自分の中で押さえ込んでいた感情が溢れてしまって、それ以上は何も言えなくなる。大きく目を見開いたタクトが、ぎゅっと手を握ってくれた。

「……ユーリの事、ちゃんと抱きしめてもいい?」

 触れる事すら許可を得る王子様なんて、世界を探したってきっとどこにも彼以外、いない。もう嗚咽しか出てこなくて頷いて見せれば、数秒の間を置いて優しい抱擁に包まれる。

「ユーリ、大好きだよ」

 頭上から降り注ぐ優しい声につられて顔を上げれば、タクトの優しい笑顔に涙が浮かぶ。彼の肩越しに見えた空には溢れ落ちそうな星が綺麗で、夜を彩っていた。優しい腕に少しずつ力が籠って、温もりを分けてもらう頃には随分と月が高くなっていて、どれだけの時間が過ぎたのかはわからなない。手を繋いで宿に戻ると、タクトのウードは借りていた部屋に運ばれていて、二つ借りた部屋の一つは鍵が掛かっていてタクトはユキに閉め出されたらしい。

「ユキちゃん、ユーリがオレを受け入れてくれなかったら野宿になるとか思わなかったのかな」
「多分、そうならないってわかってたんだと思うよ」
「え、なんで?」

 くしゃみを一つしながら、真顔で聞き返すタクトは私に寝台を譲ると、長椅子からはみ出たまま窮屈そうに横になる。鈍いのか、勘が良いのかわからなくて「長椅子、狭いから一緒に寝る?」と言ってみたら、首を大きく横に振って断られてしまった。

「オレはこっちでいいよ。いつも宮ではユーリが長椅子で寝てくれてたし」
「だって、今までは……」
「うん。でも、今日はもうオレ勢いで何するかわかんないから、ここでいいから!」

 照れたように笑う王子様の言動に振り回されながら、それ以上はお互い恥ずかしくなってしまって、そっと無言のまま寝台に横になる。明かりを消したらお互いの息遣いだけが妙にリアルで心臓がうるさいくらい早鐘を打った。掛け物にぎゅっと包まって目を閉じれば「ユーリ、大好きだよ」なんて甘い声が離れた場所から聞こえて、もう今夜は朝まで眠れそうもないと思った。
- 17 -
[*前] | [TEXT]| [次#]
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -