15

 いつも良くしてくれるからと侍女達のお土産を買ったユーリが自分の物は何ひとつ買っていなかったとオレが気が付いたのは宿屋に戻ってからだった。荷物をまとめている時に、誰のお土産なのかと聞いたら嬉しそうに教えてくれたけれど、その中にユーリ自身の物は何一つなかった。ユキちゃんがそのことを指摘すれば、自覚もなかったのか少し驚いた顔をして「忘れてた」なんて笑う。
 そんな彼女は、やっぱり働き者らしく、宿屋に戻って一刻もしないうちに店主から隣接している食事処が人手が足りなくて忙しいと聞いたら、手伝いに行ってしまった。

「あいつは大人しくしていられねぇのか?」
「ユーリはオレの宮にいる時でも侍女の仕事を手伝ってばかりだったよ」

 ユキちゃんは呆れた顔で寝台に転がると、大きな欠伸をして体を伸ばす。借りた部屋は二部屋で、オレ達がいる部屋には寝台が一つと長椅子が一つ。大きい方の寝台はユキちゃんがもう寝転んでいるから、オレは空いていた長椅子に座った。

「タクト、今夜はどこで寝るんだよ」

 ユキちゃんは猫みたいに目を細めて、寝台に寝転がったままオレを見る。

「え?ユキちゃんと二人で寝台は狭いよ。先に取られちゃったからオレはここでしょ」

 長椅子といってもそれほど大きくはないから、膝から下がはみ出るなぁ、なんて溜息をつけばユキちゃんはわざとらしく溜息をつく。寝転がっていたくせに、勢いをつけて体を起こすと部屋の隅に置いていた荷物からウードを取り出すとお腹の上に放り投げられた。

「そういう意味じゃねぇよ。ユーリの部屋に行かねぇのか、って聞いてんの」
「え!?」

 ユキちゃんが部屋を二つ借りた時、オレは当たり前にこの部屋分けだと思っていた。だってユーリは女の子だし、ユキちゃんとオレは兄弟だ。

「いつも同じ部屋で寝起きしてるのに?」
「一緒には寝てないよ。部屋は同じだけどユーリは長椅子で寝てる」

 前にも話した事はあったのに、ユキちゃんは目を見開いて眉間に皺を寄せる。声には出さなかったけれど、口の動きで根性無し、と言われた様な気がする。
 
「タクト、あいつの事好きなんだろ」

 照れた様に頭を掻きながら、ユキちゃんが投げた言葉が必死に隠そうとしている気持ちを剥き出しにする。一瞬、静まり返った室内に階下からの賑やかな笑い声が空気を揺らした。団体の客がどうやら隣の店に入ってきたらしい。ユーリが手伝いに向かった食事処だろうか。

「……そんなのわからないよ」

 好き、という言葉とモヤモヤした感情が微妙にすれ違う。真っ直ぐに見つめてくるユキちゃんの視線から逃げれば、脳裏に浮かぶのはユーリの顔。笑った顔、ちょっと困った顔、それからポロリと零した涙と悲しそうな顔。無意識に膝の上にウードを抱え直して、指の腹で弦を弾いた。音楽を奏でる時、いつも心は穏やかになる。寂しい時も、心がざわついた時も、音楽を奏でている時間は全てを忘れられる。第一王子の座を疎ましく思った夜もあった。大好きな弟達と隔てられる事も嫌だった。けれど、泣きたくなる様な夜でも、母の遺したウードを弾けば不思議と心が凪いでいたのに。

「オレはユーリを好きになっても良いのかな」

 いつもと同じ、ウードの音色。指先で弾けば弦が揺れて、心も揺らす。無意識に零した泣き言に自分でも正直、驚いた。目の前のユキちゃんから拳骨を食らうと思って思わず目を瞑ったのに、衝撃はこなかった。
 ただ、慣れない手つきで頭を撫でたのは、剣を握ってできた豆の痕がある無骨なユキちゃんの掌で。顔色を伺うみたいに視線をあげれば、ユキちゃんは怒っていなかった。
 オレと視線が合うと、撫でていた手を後ろ手に引っ込めて急かす様に足先を軽く蹴られる。まるで追い立てられるみたいに立ち上がれば、ユキちゃんの手は今度はオレの背中を叩いた。

「それはオレに聞く事じゃねぇよ。っつうか、いい加減に覚えろよ。オレもトウイチローも、なにがあったってタクトの味方だって何回も言ってんだろ」
「……ユキちゃん」

 思わず嬉しくて、目の前のユキちゃんに抱きつこうとしたら避けられた上に背中を押してくれた掌は拳に変わった。ウードを抱えたまま、視線は食事処の方へと向ける。耳をすませば賑やかな声と、笛の音。団体の客は隊商だったのかもしれない。彼らは陽気で歌と踊りとお酒が好きな人達が多いから。

「ユーリがやたらと働こうとしてる意味、考えた事あるか?」
「え?ユーリは働き者で優しいから、困ってるお店の人を放っておけないからじゃなくて?」

 宮殿にいる時も、この街に来てからも。ユーリがあまりじっとしているのは見たことがないけれど、そこにどんな意味があったのかなんて、オレには想像がつかなかった。

「体動かしてる方が考えなくて楽なんだよ。オレがガキの頃から護衛兵の兵舎に入り浸ってたのと同じなんじゃねえかって思ってる。頭空っぽにして、がむしゃらに剣教わって、護衛のアラキタさんに何回も吹っ飛ばされて勝てなくてさ。そういう事やってる時は、しんどくねぇんだよ」
「……ユキちゃん」
「オレはタクトやトウイチローと比べて庶子だからな。割とあからさまな態度取るやつもいたんだ。まぁ、弱いから舐められンだよ!ってアラキタさんには鼻で笑われたのが悔しかったのもあるけどな」

 小さい頃から武芸に秀でたユキちゃんは剣の腕も確かで。オレよりもずっと機転がきくし、頭の回転も早い。父上もユキちゃんの力量は認めていて、武官の集まる会議にも呼ばれているから、いずれは要職につけるつもりでいるのだと思う。

「側にいて欲しいなら、ちゃんと言えよ。めんどくせぇ事考えずに、好きならそう言え。ユーリがおまえといたくねぇっていうなら、手放してやれ」

 王族が庶民の女に飽きて手放すなんて、よくある話なんだよ、と呟く言葉には棘が見え隠れする。

「そんな言い方しなくても」
「愛情もねぇのに、側に置いて飼い殺す方がずっと気の毒だ」

 ユキちゃんの言葉は冷たいけれど正論で。街ではオレの寵姫と呼ばれているユーリは本当は違う。父上の気紛れでオレの寝所に送られた可哀想なユーリ。
 オレが寝ぼけて一晩一緒に過ごさなければ、こっそり家に帰してあげられたかもしれないのに。考えれば考えるほど、どんな顔でユーリに側にいて欲しいなんて言えるのだろうと思う反面、嘘が真実になるだけだとも頭の片隅で考えた。

「……ユーリの所に行ってくる」
「泣いて帰ってくるなよ?」
「泣かないよ!」

 思わず声を張り上げてしまって、自分でも驚く。ユキちゃんは目を細めて笑うと、それ以上は何も言わなかった。ウードを抱えたまま、音楽に誘われるようにふらふらと階段を降りれば、灯がゆらゆら揺れて宴の夜を思い出した。

「お、兄さんウード弾いてくれるのかい?」
「おい、楽師の兄さんが増えたぞ!」

 賑やかな店内に気後れして、そっと様子を伺っていたらすぐに客に見つかった。上機嫌な酔客に引っ張りこまれて、他の奏者のテーブルへと無理やり座らされる。
 明るい笑い声に安酒の匂い。ユーリの姿を探して慌ただしく視線を動かせば、まるで岩間を泳ぐ小魚みたいに給仕をしていた。

「タクト?」

 オレを見つけて心底驚いた顔をしたけれど、他の奏者が祭の曲を鳴らし始めるから、思わずつられてオレも撥を握る。知っている曲で良かった。目配せもなく、何の合図もなく、即興で始まった曲に慌ててウードを弾けば、他の奏者が口角をあげて満足そうに笑う。

「飛び入りのでかい兄ちゃん、上手いなぁ」

 笛を斜めに構えた二人の男が遊ぶように笛の音が踊り、太鼓が空気を震わせて店内は自然と高揚する。ウードを抱えた年配の男は「おまえさん、随分と上品に弾くねぇ」と上機嫌だった。
 ユーリが給仕の手を止めて、オレを見ている。酔客に揶揄われたのか、何か必死に言い訳をしているようにも見えた。肌を見せた踊り子の女がユーリの背中を押して、オレの正面へと押してくる。隊商というのは仕事も生活も集団で行動するから、まるで家族のようで温かいのだと聞いた事がある。他所者にも寛容で、助け合いの気持ちも強いらしい。
 オレ達の音色に合わせて踊り子が踊る。ユーリの手を掴んだまま、くるくると回れば、周りの男達が目配せをしてテーブルを動かした。ぽっかりと空いたスペースでユーリは困惑したまま、踊り子にリードされてお祭りみたいな曲でステップを踏む。自然と笑みが溢れるユーリを見ていると、心の中が暖かい。
 手拍子も口笛も、宮殿で開かれるような宴とは全然違うのに、自然と頬が緩んでしまう。ユーリと視線がぶつかれば、オレも自然と笑ってしまって、それは周りにもすぐにわかったらしい。
 急に背中を叩かれて、ウードを取り上げられたと思ったら顔を真っ赤にした酔客がオレの背中を押して、ユーリの方へと突き飛ばす。

「次の曲は若い恋人が踊る曲なんだ」
「えぇ!?」

 ユーリも踊り子の女に押されるようにして、オレの前に立っていた。いつの間にか周りには年頃の男女が向かい合っていて、手を繋いでいる。

「オレ、全然わからないんだけど……!?」

 踊りなんてわからないよ、とユーリに小声で訴えれば一瞬躊躇った後に、柔らかい手がオレの手を握る。きゅっと握られた感触にブワっと顔が赤くなったような気がしたけれど、どうやらそれは勘違いではないらしい。

「でかい兄ちゃん、初心すぎるだろ」

 ゲラゲラと笑われているのは自分だと思えば、羞恥心で顔を伏せたくなる。でも顔を伏せれば見上げるユーリの視線とぶつかって、逃げ場がない。

「大丈夫だよ、簡単な踊りだからすぐに覚えられるから」

 繋いだ手を器用に引き寄せて、ユーリがリードしてくれる。足を踏まないように気をつけながら彼女に合わせてステップを踏めば、照れたユーリに上手だね、と褒められた。

「ユーリ、話したい事があるんだ」

 この曲が終わったら、少し外に出ようよと勇気を出して小声で囁けば、ユーリの眉が下がって困惑顔。隊商の人達で溢れかえった店内はオレ達二人が抜けても、誰も気にはしないだろう。給仕だって、よくよく見れば隊商の人達は自分達で料理やお酒を取りに行っているし、割と自由だ。オレにしてみれば驚く光景だけど、ユーリは当たり前みたいな顔で眺めているし、そういうものなんだろう。

「……次の曲が終わったら」

 しばらく黙っていたユーリがオレの袖をぎゅっと握る。寄り添ったオレとユーリの様子を見て、奏者が奏でたのは、やっぱり若い恋人達に向けた曲だった。また、見よう見まねで必死にステップを踏むオレの手を繋いだユーリがそれ以上はもう目を合わせてくれなくて、居心地の悪さを感じながらも、繋いだ手を離したくはないから少しだけ力を込めて握り返すことにした。
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