14

 零れる涙を止めたくて、何度指先で拭っても次から次へと溢れてくるユーリの涙。ユーリは悲しそうな顔でオレを見ていて、どうすれば良いのかわからなかった。泣いている理由を聞かないのなんて、情けなくも自分の為だ。
 串焼き屋で楽しそうに働いていたユーリは元の生活に帰りたくなったのかもしれない。もう、オレと一緒に宮殿に帰りたくはないのかもしれない。泣いている理由を聞いて、答えを聞くのも聞けないのも怖いなんて言えなくて。いっそ、ユーリと一緒に泣きたい気持ちにもなったけれど、オレが一緒に泣くのは絶対に違うのだろうって事だけはわかっていた。
 オレが宴でユーリを気にしなければ、父上は彼女に目をつけなかった。父上がユーリの養父にお金を払わなければ、ユーリはオレの寝台に送られることもなかった。オレが酔っ払ったままユーリと一晩過ごさなければ、彼女を宮に引き留めることもなかった。
 ユーリが泣いている理由なんて、どう考えたってオレが原因なんだろう。だけど、それを直接受け止めるほどの勇気もなくて、オレはただ早く泣き止んで欲しくて、ユーリの涙を拭った。

「ごめんね、ユーリ」

 抱きしめたら泣き止むのかな、なんて思わなかったわけじゃない。小さな体を両腕で抱きしめて、大丈夫だよと言える男なら良かった。王子なんかじゃなければ良かった。当たり前に街で出会って、ユーリに恋をするただの男なら良かったのに。そこまで考えて、やっと自分で理解する。あ、オレはユーリの事を好きになってるんだって事。
 宮で毎日顔を見て、一緒に食事をして。寝台は違っても同じ部屋で寝起きして。最初は落ち着かなかった存在だったのにユーリが「タクト」と名前を呼んでくれることが嬉しくて。いつの間にか、ユーリが側にいることが当たり前になっていたのだ。 
 ユキちゃんと仲良くしていた時も、オレの知らない顔で働くユーリを見た時も。お店にいるはずのユーリの姿が見えなくて、一瞬このまま会えなくなるんじゃないか、なんて不安になったり。
 急に泣き出したユーリを誰にも見られたくなくて、気がついたら抱き上げて走ってしまった。ユキちゃんは絶対怒ってる。多分、トウちゃんにもバラされるから確実に帰ったら怒られる。大好きな腹違いの兄弟2人の顔を思い浮かべれば、心の中は暖かくなった。でも、宮殿に戻ったら、ユーリをまたオレの宮に閉じ込めなきゃいけないのかと思うと、胸が痛かった。

「ユーリは……」

 名前を呼べば、ユーリが顔を上げる。涙に濡れた潤んだ瞳でオレを見上げる。本当はユーリはどうしたいのだろう。オレが聞いたら、やっぱり彼女は困るんだろうか。本当はどうしたいのか聞いたら、本音で答えてくれるんだろうか。
 第一王子なんかじゃなければ聞けただろうか。オレの側に居たくないのが本音だとして、それをユーリは言葉に出来るんだろうか。

「……タクトも目に砂が入った?」

 泣き顔のユーリが小さく笑うと背伸びをしてオレの顔に手を伸ばす。彼女の指先が目元に触れて、自分も涙を浮かべていた事を知った。堂々巡りの答えが出ない感情に頭の中がクラクラする。

「うん。多分そうなんだと思う」

 一緒だね、なんて馬鹿な事を呟けばユーリは一瞬、きょとんとした顔をしたけれど、目を細めて笑った。精一杯、背伸びをしてオレの涙を拭ってくれたユーリに少しだけ触れたくて、彼女の指先を掴まえる。本当は抱きしめたかった。けれど、拒絶されるのも怖かった。オレが王子だから、ユーリは突き放したくても出来ないかもしれないと思うと、気持ちを自覚してしまえばもう安易に触れる事は出来ないと思った。
 ユーリは自分の袖で目元を擦ると、何回かゆっくりと深呼吸をする。目は真っ赤になっていて鼻も赤くなっていたけれど、もう下を向いてはいなかった。

「タクト、多分ユキに怒られるね」
「そうだね、すごく怒ってると思う」
「……ユキの所に戻ろう?」

 ユーリは一緒に怒られてあげるね、なんて笑うと繋いでいた指を離す事なく、オレの手を引いて歩き出す。たった二本の絡んだ人差し指と中指が嬉しくて、オレがまた一つ涙を零した事には気が付かないでいて欲しいと思った。

 情けない泣き顔を晒した事が後から恥ずかしくなって、自分の両頬を両手で三回叩く。そんなオレの仕草を見上げたユーリも自分の頬を同じ様に叩くから、慌てて彼女の手を掴んだ。しかもオレよりも強い力で叩いたせいか、彼女の頬はうっすら赤くなっているから驚かされる。

「ユーリ、やりすぎだよ!」
「ちょっと自分でも泣きすぎたと思って」
「だからって、そんなに思いっきり叩かなくても」

 何か冷たい物でも買って、冷やした方がいいかなと思うくらいにユーリの頬は赤かった。それ以上に赤い目元を見ていられなくて、一刻も早く冷やしてあげたいと思う。早く買物をしようと不意に胸元に手を入れて、お金を入れた袋を探せば、あるはずの感触がない。

「……あれ?」

 服の上から叩いても何の音もしない。脳裏に浮かんだのはユキちゃんが青筋浮かべた顔。思わず血の気が引く感覚に息を呑んだ。ユーリに視線をむければ視線が痛い。泣き顔を見ているのも辛いけれど、明らかに目が笑っていないし、気まずい空気に耐えかねて、目を逸らした。

「ねえ、タクト」
「……はい。なんでしょうか」
「ちょっと屈んでもらってもいい?」

 思わず敬語になってしまうオレを呆れた顔で見上げるユーリから視線を逸らせば、服の裾を強めに引かれる。怒っているのだろうなと思えば、罰が悪くて恐る恐る身を屈めた。

「ユーリ!?」
「お金、もしかして落とした?」

 有無を言わさない勢いで、ユーリはオレの上着を剥ぐ。思わず驚いて逃げようとすれば、反射的に腕にしがみつかれて、その場に尻餅をつく。

「もう、だから気をつけてって言ったのに!」
「ちょっ、ユーリ!待って!」

 小柄なユーリに上着を奪い取られて、服を叩いても音がしない事を確認すると、おもむろにオレのズボンを掴むとポケットに手をねじ込むから、慌ててユーリの手を引っ張り出せば、不満そうな顔。

「タクト、いくら世間知らずでもお金の管理はもう少しちゃんとしないと駄目だと思う」
「ユーリも女の子なんだから、いきなりの男の服を脱がしたりするのは良くないと思うよ!?」
「え?それは今、関係ないと思うけど」
「関係あるよ!」

 念入りに上着の内側のポケットの中を探すユーリは腑に落ちない顔をしていたけれど、そういう問題じゃない。慌ててユーリの手から上着を取り上げて、袖を通していると、背後から聞き慣れた怒鳴り声がした。

「あ、ユキだ」
「ユキちゃん!?聞いてよ……って、痛い!」

 振り返って視界に入ったのは、鬼の様なユキちゃんの顔。ユーリがオレの服を奪い取った事を話そうとしたら振り上げた掌が勢いよくオレの後頭部を叩く。一発じゃなくて、今日は二発。地面に座り込んでいたから、それはもう叩きやすかったらしくて全く加減もされなかった。いつもならトウちゃんが三回に一回くらいは諌めてくれるのに、今日は誰も止めてくれない。

「勝手にどっかに走って行くな!バカタクト!!」
「……ごめんなさい」

 目を釣り上げたユキちゃんはユーリの顔を見て一瞬、黙る。ユキちゃんも赤くなったユーリの目を見て、彼女が泣いていた事はわかったんだろう。

「痛い!」

 三発目は無言の拳骨が脳天に叩き込まれる。最初の二発は多分、勝手にどこかへ行った事、それからユーリを巻き込んだこと。三発目はユーリを泣かせた事を察したのかなと思えば、ユキちゃんからの拳骨も甘んじて食うべきだと思った。

「ユキ、怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「あ!?まだ、なんかあんのか!」

 目を釣り上げて、仁王立ちでオレを見下ろすユキちゃんとの間にユーリが立つ。ユーリの背中に守られているみたいでカッコ悪くてゆっくりと立ち上がった。

「タクト、多分お金落としたか、盗られたみたい」
「オマエ、それ何回目だよ!!」
「ユキちゃん、痛い!」

 立ち上がりかけたタイミングでユキちゃんが思いっきりオレの頬を抓る。慌てたユーリが止めに入ってくれたけど、ユキちゃんはそのまま頭突きをしてくるし、オレは涙目で頬と後頭部を押さえた。散々、ユキちゃんに叱られたし、喧嘩と勘違いされて人が集まってきたりしたのをユーリが兄弟喧嘩だから大丈夫です、と淡々と対応しているのを横目で見る。

「あ、そういえばオマエの金、よく考えたらオレが預かってたわ」
 
 これ以上オレがユキちゃんに叩かれない様にとユーリが真ん中を歩いてくれた。散々、悪態をついていたユキちゃんが喉が乾いたと言い出して、オレ達はユキちゃんの奢りで絞りたての果汁の入った飲み物を買いに露天に立ち寄った。不意に立ち止まったユキちゃんが思い出した様に、上着の中から見慣れた袋を取り出してオレの前にぶら下げる。

「……ユキちゃん?」
「視察に行く時にタクトが持ってると落としそうだからって取り上げたの忘れてた」

 ユキちゃんは飲み物を三つ買うとオレの預けた袋から当たり前の様に支払いをして、そのまま皮袋をオレに投げる。ユーリはユーリで、真顔でオレの上着をまた引っ張ると、上着の内側の隙間に手を捩じ込んで「タクト、ちゃんとここに入れてね。落としちゃダメだよ」と言い聞かせてくる。しかもご丁寧に服の前を合わせてくれるし、なんならお金を入れた側の腕側に立つからなんだか複雑な気持ちになった。

「……ユキちゃん、謝って」
「は?誰に?」

 ユキちゃんは当たり前みたいな顔をして、ユーリにオレの分の飲み物も渡す。

「オレに決まってるじゃん!」
「タクト、こっちも落とさないでね」

 ユーリはオレに一言釘を刺すと、ゆっくりと器に口をつける。コクリ、と飲んだ瞬間に表情が緩んだから、美味しかったんだろう。

「ユーリ、驚かせて悪かったな。こいつに急に担がれてびっくりしただろ。どっかで頭、ぶつけてねぇか?」
「だから、謝るのはオレにだよ!絶対余分に叩いたもん!」
「叩いたもん!じゃねーよ、女子か!!姫か!」

 目を見開いて怒鳴るユキちゃんは軽く拳を握ると全然痛くない強さでオレの胸を突く。基本、ユキちゃんは宮殿で他の人の目がある時はオレよりも一歩下がる。それどころか会話もどこか一線を引いていて、臣下のように振る舞う。だから、オレはユキちゃんと宮殿の外へ出かけたり、視察に出るのは好きだった。気兼ねなく接してくれる事も、宮殿の中ではピリついた雰囲気をまとうユキちゃんも、街に出ていると肩の力が抜けていると思うから。

「もっと腹のうち、見せろよ。何があってもオレとトウイチローはオマエの味方なんだから」


 呆れた様な怒った様な顔でユキちゃんはオレとユーリを見比べる。思わず、ユキちゃんの言葉が嬉しくて抱きつこうとしたら勢いよく振り払われて悲しかった。

「本当に仲が良いね」
「うん。オレはユキちゃんもトウちゃんの事も大好きだから」

 ユーリから渡された器に口をつければ、甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がる。野いちごかなぁ、なんて舌に残ったザラつきを味わえば、ユキちゃんが眉間に皺を寄せてオレを睨む。

「……オマエ、本当バカだろ」
「え!?なんで急にバカ呼ばわりするの!?」

 ひどいよ、ユキちゃんと抗議すれば「もうバカは放っておこうぜ」なんて呆れた顔でユーリの腕を掴んで歩き出そうとするから、慌ててユーリを片腕で引き寄せる。驚いて小さな悲鳴をユーリがあげたから、慌てて「ごめん!」と手を離せば、ユキちゃんが目を細めた。

「……だからバカだって言ってんだ。何でそこで離すんだよ」

 ユキちゃんは呆れた様に呟くと、オレとユーリに背中を向けて歩き出す。オレは半ば手探りでユーリの手を掴むと、人混みの中を掻き分けて進むユキちゃんの背を追う。

「待ってよ、ユキちゃん!ユーリ、行こう」

 繋いだ手ははぐれないために。ユキちゃんに置いていかれないために。そんな言い訳を用意したけれど、ユーリは何も言わなかったし、繋いだ手が離れることもなかった。ユキちゃんはオレの気持ちに気付いているのだと思うと照れ臭かったけれど、背中を押された気がしたから、やっぱりユキちゃんには敵わない。
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