13


 宮殿での生活に不満があったわけじゃない。むしろ自分みたいな庶民が足を踏み入れて良い場所じゃない事はわかっていて、第一王子のタクトにも気安く口をきけるような立場でもない事もわかっている。久しぶりに街中の賑やかな食堂で働いて、余分な事を考える暇なく手足を動かす事はとても楽だった。働いた後の串焼きも美味しくて肩の力が抜ける気がした。

「ユーリちゃん、このままここで働けばいいのに」

 お店の奥さんは食材が余らなくて良かったと笑ってくれて、店主のおじさんもたくさん売れたと上機嫌だ。お客さんが全員帰って一旦店を閉めるタイミングで遅くなった食事を貰い、冗談でも役に立てたなら良かったと安堵する。

「二人が戻るまでここにいてもいい?他に手伝える事はある?」
「いや、十分手伝ってもらって助かったよ。のんびり休んでいってくれ。あと、これ。少ないけど」

 差し出されたのは銅貨の入った袋。最初に買った串焼きの金額では到底足りない量の食事を三人分も用意してもらったから、給金が発生するのはおかしい。貰えるほどは働いていない、と押し返せば「まぁ、とっておきなよ。駄賃ぐらいだ」と苦笑いで肩を叩かれた。

「あんた生まれはどこだい?ここらの子じゃないただろ」
「生まれはどこかはわからない……かな」
 
 タクトやユキの事を聞かれたら、正直困ってしまうなと思えば、答えるのに迷ってしまった。実際、自分の生まれについては詳しい事はわからないから言葉を濁しただけなのに、どうやら夫婦の同情を買ってしまったらしい。良い人達だと思うと申し訳なくて、曖昧に笑って誤魔化しながら使った食器を片付けた。
 
「そうかい。立ち入った事を聞いて悪かったね」

 調理場にはまだ洗い物が残っていたから、許可を取って手伝わせてもらう。そんな事までしなくてもいいよ、と言われたけれど体を動かしていないと、余計なことばかりを考えてしまって落ちつかなくなる。タクトが側にいないことが落ち着かない、なんてどうかしている。
 あのふわふわとした笑顔が近くにいないだけで、なんだか不安になるなんて身の程知らずも良いところだ。こうして元々生活していた街に似ている環境に戻ると、全部が夢だったような気がしてしまう。
 王様の前で本当は踊れるような立場じゃないし、養父が旅の一座に取り入ったのも打算だった事もわかっていた。興味本位で王宮に行ってみようなんて思わなければ良かった。そうすれば、あの優しい王子様を困らせる事も悩ませる事もなかったのに。このままタクトとユキが迎えに来なくても、それは当たり前の事かもしれない。
 わけもわからないまま押し付けられた踊り子を傍に置いておく利益がタクトにはない。建前は第一王子を虜にした踊り子なんて事になっているらしいけれど、実際は夜伽どころかタクトの役に立つことなんて何一つしていないお荷物だ。
 
「……もし、行くあてがないって言ったら本当にここで雇ってくれますか?」

 本当は視察のついでに、厄介な荷物を宮殿から離れた街に下ろしに来たのかもしれない。そうだとしても、何も責める理由はないし、むしろ手間をかけさせて申し訳ないとさえ思える。タクトは王子様だから、私が触れていいような人じゃないのだから。

「ユーリちゃん、何言って……」
「ユーリ!?」

 店主が私の言葉に目を丸くした瞬間、店先から響く大きな声。うるせぇよ!と怒るユキの声に思わず自分でも、泣きそうになるのがわかった。

「あのでっかい兄さん、あんたの今の言葉聞いたら悲しむと思うぞ?」
「兄さん、ユーリちゃん、奥で片付け手伝ってくれてるだけだから!こっちにいるから!」

 店先で騒いでいるタクトとユキの姿を見て、慌てて奥さんが声を上げる。一瞬ぼやけた視界を服の袖で擦っていると、奥さんが私の背中を押す。
 店の入り口で右往左往している長身のタクトが私の姿を見つけた瞬間、満面の笑顔を浮かべてくれるから思わず胸がぎゅっと苦しくなる。呆れたユキが溜息をつきながらタクトの背中を叩いた。

「ほら、ちゃんといただろうが!」
「ユーリ、待たせてごめんね。ご飯、ちゃんと食べた?」
「さっき食べ終わった所だよ」

 タクトは柔らかく笑うと店主達に向かって「ユーリを預かってくれてありがとう」なんて言うから、私とタクトを見比べてお腹を抱えて笑われてしまった。私の杞憂を吹き飛ばすような優しい笑顔で笑うタクトは、出かけていく前に私の頭につけた羽飾りに手を伸ばす。視界でふわりと揺れる羽飾りが離れていくのがなんだか少し寂しい、と思うのは気がつかないほうがいい感情。

「行こう、ユーリ。買物しよう?」

 はぐれないようにと差し出された手。一瞬、掴んでしまっていいのかと迷う。思わず助けを求めるようにユキを見上げれば、少し困ったような顔をしていたけれど「……タクトはすぐどこかにフラフラ行くから捕まえとけ」と言ってくれたから、そっと繋いだ。串焼き屋の夫婦にもう一度挨拶をして、店を出る。歩き出せば歩幅が違いすぎて、タクトについて行こうとすると小走りになってしまった。

「あ、ごめん!もう少しゆっくり歩くね」 
「……ありがとう」

 タクトは時々、私の方を見て歩幅と歩くスピードを気を付けてくれる。露店が並ぶ通りは、人が多くて賑やかだ。タクトは露店の一つ一つを物珍しそうに眺めていて、整った横顔はどこか気品がある。ぎこちなく繋いだ手に意味を考えてはいけない。ただの優しさを勘違いしてはいけない。

「……王妃様にお土産って何買えばいいんだろう」
「ユーリが選んでくれるなら、きっとなんでも喜んでくれるよ」

 宮殿で目にした絹の衣装も煌びやかな装飾品も、こんな街中で買えるような物ではない。食べる物だって、王妃様の口に入る物だと考えると下手な物は選べない。

「お土産を持って、会いに行く口実を作ってあげればいいんだよ。トウちゃんだって、いつも側にいるわけじゃないから、きっとあの宮で一人で過ごすのは寂しいと思う」

 ユーリが思うほど、多分幸せなわけじゃないから、と呟く声が聞こえなかったわけじゃない。不意に脳裏を過ぎるのは静かすぎるタクトの宮。タクトはあまり人を側に置かないから、宮にいるのは限られた侍従や女官達だけ。
 中庭や寝室で音楽を奏でる彼はとても寂しそうな横顔をしていて、目が合うと嬉しそうに笑ってくれる。ユーリ、と優しく名を呼ぶ声はいつから孤独を抱えていたんだろう。

「え!?ユーリ?どうしたの!」
「なにが?」
「だって、ユーリ泣いてるよ!?」

 驚いたタクトに指摘されて慌てて目元を触れば、両目からポロポロと涙が溢れていて自分でも驚く。どこか他人事のように思えて、呆然としていると、オロオロと慌てたタクトが不意に私の体を抱き上げた。

「ごめん!ユキちゃん、ちょっとだけ散歩してくる!」
「は!?タクト?おまえ何言って‥‥!おい!」

 担ぎ上げられた肩越しに唖然としているユキと目が合う。そんなにひどい泣き顔なのか、一瞬視線がぶつかって、ユキが足を止めた瞬間にタクトが走り出す。想像以上の視線の高さに驚いて、肩にぎゅっと掴まれば、体を支えてくれるタクトの腕にも力がこもった気がした。
 タクトに抱き上げられて高い視線から見る景色。知らない街なのにどこか懐かしくて、自分の日常はこちら側なのだと思い知らされる。

『……タクトが王子様じゃなかったら良かったのに』

 声に出せない言葉が、涙になって溢れてくるものなのかわからない。けれど、タクトが足を止めたら涙の理由を説明しなければならない気がして、今は1秒でも早く溢れる何かを堰き止めなければいけないと思った。

「ユーリ、泣かないで」

 堪えようと思うのに、タクトが優しい声で名前を呼ぶ。王子様のくせに、もっと横柄に冷たく扱ってくれたら何の感情も抱かなかったのに。

「……ごめんね、ユーリ」

 タクトの寝台に送られたあの夜から、まだ1ヶ月も経っていない。優しい人なのは最初からわかっていた。そしてとても寂しい人なのだと思い知らされた。

「理由もわからないくせに、すぐに謝るタクトは嫌い」
「あ、ごめん……って、また謝ってるね」
「王子様なのに、変だよ」

 タクトは困ったように笑うと、大通りから一本中道へと抜けて、建物の間にできた空き地のような場所に身を潜める。心配そうな顔で私の顔を覗き込むと、長い指先が涙を拭ってくれた。何度も、何度でも。タクトが優しくしてくれるたびに溢れる涙はどうやったら止められるのかわからない。

「……砂が目に入っただけだよ」
「うん、そっか。オレもだから泣きそうになってるのかも」

 困ったねぇ、なんて笑うタクトが泣いてくれたらいいのに。ハートのホクロに涙が伝ったら、抱きしめる理由が出来るのに。タクトは困った顔で優しく笑うと、私の涙をずっと指先で拭うだけだ。自分だって泣きそうな顔してるくせに、泣かないなんて狡い。

「……ユキ、怒ってるよね」
「うん。多分めちゃくちゃ怒ってる。考えるだけでも怖い」

 ユキちゃんの拳骨、痛いんだよね……なんて眉を顰めるタクトに思わず笑ってしまう。想像できるし、考えるだけでも痛そうだ。

「でも、ユーリの事はオレが守るから大丈夫だよ」
「……そういう事、王子様なんだから簡単に言っちゃ駄目だよ」

 王子様、という言葉にタクトの表情が悲しそうに歪む。私は意地悪だ、と自分でもわかっていたけれど簡単に優しくしてしまうタクトも意地悪だと思うから、つい棘のある言葉を口にしてしまう。

「……今はただのタクト、だよ」

 顔を寄せたタクトが一瞬、口付けるのかと思って目を閉じた。むしろ、本当はそうして欲しかったのに、触れたのは布越しの額。コツン、と額を合わせたタクトの吐息を感じたら、触れ合えない唇が寂しくて私が精一杯絞り出せた一言は「タクトのバカ」という不敬罪極まりない、一言だけ。

「うん、知ってる」

 だからオレは王子には向いてないんだよ、なんて寂しそうに笑うタクトは私の目元をもう一度拭うと、とても優しい顔で笑った。
 好き、だなんて言葉を向けて良い人じゃない。けれど、どうしようもなく恋しく思えてしまって、また込み上げて来る涙は抑えきれない感情の逃げ場なのかもしれない。
 タクトが好きだ。王子様でも、叶わない恋でも。けれど、口にしてしまうには立場が違いすぎて、彼の優しさに勘違いしているだけなのだと思う方が自分にとっては都合が良いからそう思いたいのに。

「……お願いだからもう泣かないで、ユーリ」

 抱きしめるでもなく、ただ何度も涙を拭う指先を無意識に独り占めするみたいに溢れる涙。止めたくても、止まらなくて、自分の中で何かが壊れてしまったような感覚にどうしていいかわからなくなる。
 好きだなんて、認めたくなかった。けれどもう誤魔化しきれなくて、自分の感情が溢れて止まらないから誰かに助けて欲しいとさえ思った。
 王子様のタクトには似合わない、路地裏の小さな世界で二人きり。ほんの少しだけ、タクトを独り占めすることを今だけは許して欲しかった。
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