09

 隊商が多く立ち寄る宿で育ったから、上辺だけの褒め言葉なんて飽きるほど聞いてきた。可愛い、なんて言葉は身体に触れるための言い訳だと思っていたし、おかずの一品でも増やしてもらおうという下心からの言葉だと思っていた。
 この国で一番身分の高い場所にいるタクトが満面の笑みを浮かべて「可愛い!」なんて言ってくれたこと。上辺だけの誉め言葉なんて聞き飽きていたはずなのに、胸の奥が暖かくなるような感覚に自分でも驚いた。彼が用意してくれた服は淡いピンク色。滑らかな布を使った裾が長い衣装に袖を通した時は柄にもなく胸が高鳴って。
 綺麗な衣装を身に纏って、鏡の前に立てばまるで自分ではないみたいに思えた。踊る時に施すような派手な化粧ではないのに、発色の良い紅が目元を飾ると華やかにみえた。

「きっとタクト様はお喜びになりますよ」
「……別に気に入られたいわけじゃないよ」

 着替えと化粧を手伝ってくれた女官に満足そうに送り出されて、どこか気恥ずかしさを感じながらもタクトの所へ向かえば想像以上の反応に恥ずかしくなった。
 お姫様みたい!可愛い!なんて、満面の笑みで大きな両腕を広げて褒められて。ニコニコと屈託のない笑顔を前に、どんな反応をすれば良いのかわからなかった。

「着てくれてありがとう」

 タクトは少しの嫌味もなく喜んでくれて。手放しに可愛い、と褒められて嫌な気持ちになどなるはずもなく。嬉しそうに笑うタクトの視線から目を背けながら、このまま一緒に出かけるのは恥ずかしいと思っていたから、ユキナリ様が現れた時は少し安堵したのが本音だった。
 私を着飾らせたことを相当な勢いで怒られたタクトは不満そうだったけれど、あのままキラキラした瞳で褒められたら心臓がもたなかったと思うから、男の子見たいな衣装に着替えた時は心のどこかでほっとした。あからさまにタクトは「……せっかく可愛くしてくれたのに」と残念がっていた事がなんだか嬉しかった。

「……馬に乗って行くの?」
「うん、そうだよ」

 ユキナリ様、と呼んだら「ユキって呼べよ」と三回立て続けに怒られて睨まれたから言葉遣いも気をつけるようになった。栗毛と黒鹿毛の二頭を引いたユキが身軽く黒鹿毛に飛び乗る。

「ユーリは乗れないよな?後ろに乗れよ」
「……乗れよって言われても、どうやって?」

 恐る恐る被毛に触れれば、柔らかな毛並が心地良い。馬上から差し伸ばされた手を掴もうか、一瞬考えた瞬間、不意に背後から抱き上げられる。思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

「ユーリはオレが乗せるからいいよ」
「オマエ……絶対乗せてること忘れて、途中で落とすだろ」

 体高の大柄な栗毛に身軽く跨ったタクトの前に乗せられて。思わず地上からの高さに、ここから落ちたらと思うと恐怖に身が竦んだ。

「落とさないよ!」
「何回も街で財布落としてるやつの言葉は信用出来ねぇ」
「財布は落としても、ユーリは落とさない」
「キリッとした顔で財布落とすこと前提で喋んな!」
「だって、ユキちゃんが意地悪言うから!」
「意地悪じゃねぇ。ただの事実だ」

 まるで犬のじゃれ合いみたいなやり取りに、王子様も普通の人間なんだな、なんて失礼な事を考える。馬に跨ったタクトの前に座らされて、同じように跨ったものの不安定さに体が竦む。手はどこに置けばよいのか、目の前で揺れるたてがみを引っ張らないようにと思うと、馬の背中にしがみついてしまった。

「ユーリ、そのままだと落ちるから、体起こして」
「だって、どこに掴まれば良いのかわからないし、高いから恐くて」
「それなら、こっち向けば?」

 不意にお腹に回された大きな掌。あ、と思った時には体を持ち上げられて、くるりと反対側に向けさせられる。ニコニコと笑ったタクトは、腕を広げて「はい、掴まっていいよ」と笑っていた。

「オレに掴まってたら、落ちないよ」

 王子様に抱きつくなんて不敬罪、という事実よりも。地上からの高さと揺れる馬の背中という恐怖に打ち勝てなくて思わず抱きつけば、頭上でタクトが嬉しそうに笑った。

「可愛いね」
「おい、そこ!いちゃついてんじゃねぇ!男同士にしか見えねえんだよ!」
「ユキちゃんが可愛くない格好、ユーリにさせたんでしょ」

 頭の中、お花畑か!!と怒られているタクトは本当にこの国の第一王子なんだろうかと思えてしまう。ユキとのやりとりは仲の良い兄弟のようで、友人のようで。結局、見送りに来てくれたトウイチロー様にも苦笑いをされて、後ろ向きにしがみついたまま馬を走らせるのはおかしすぎるし危ないから止めるように諭された。

「これなら、落ちないから大丈夫だよ。ユーリは鞍の出っ張った所を持ってごらん。背中を伸ばして、太腿に少し力を入れて、馬の腹を挟むんだ。タクトが両手で手綱をもっているから、左右から落ちることはないし、背中はタクトに預けるといい」
「……これなら、少し怖くないです」
「ユキもタクトも、いきなり乗せるんじゃなくてもう少し考えなよ。最初に怖いと思ったら、乗れるわけないだろ」

 見かねたトウイチロー様が布で私とタクトの体を結んでくれて、ちゃんとした乗り方を教えてくれる。ゆっくりとタクトが馬を歩かせてくれて、心臓はドキドキしたけれど、想像していたよりもずっと安定していた。

「まさか、そのまま走らせる気じゃなかったよね?」

 トウイチロー様が馬上のユキとタクトを軽く睨めば、あからさまに目を背ける二人。乗り方も教わらないまま、走り出していたかもしれない事を想像すると恐怖で顔が引き攣った。

「ユキはもう少し、女の子に優しく。タクトはもう少し人の話を聞くように」
「……わかってる」
「えー、ちゃんと聞いてるよ」
「分かってないし、聞いてないから言ってるんだよ」

 同い年の三人の王子様。バツが悪そうなタクトとユキがそれぞれ顔を見合わせているのを見て、思わず笑ってしまった。トウイチロー様は、二人の様子を呆れ顔で見ていたけれど、不意に小さな麻袋を私に差し出した。

「これ、母上からユーリにって。タクト達と街に出かける事を話したら、渡して欲しいって頼まれたんだ」

 渡された布越しの感触はお金。思わず返そうとすれば、トウイチロー様はそのまま両手を後ろ手に回して、受け取る気がないとばかりに微笑む。

「母上は寂しい人だから。それでお茶菓子でも用意して、良かったらまた、顔を見せてあげて欲しい」

 お茶菓子を買うだけには明らかに重い麻袋。それでも受け取る事を躊躇えば「この前、母上の所で踊ってもらったから正当な報酬だよ」と言われてしまえば、無下には出来なかった。

「タクト、ユキ。くれぐれも気をつけて」

 気晴らしをしておいで、と送り出されて、ゆっくりと馬が歩き出す。タクトがとても気を使ってくれているのは背中越しに伝わってきて、時々揺れる馬上に身を固くすれば、その度に頭上から「大丈夫。怖くないよ」と優しい声が降り注ぐ。
 宮殿を抜けて、城下を通り過ぎると砂漠を超えた先のオアシスにある街へと向かうのだとタクトが教えてくれた。

「宮殿から離れた街の方がゆっくり過ごせるから」とタクトがどこか寂しそうに呟いた気がしたけれど、振り返る余裕はなかったからどんな顔をしているのかはわからなかった。

「ユーリ、疲れたなら言えよ!」
「ちょっとユキちゃん!置いてかないでよ!ユーリはもう少し、走らせても大丈夫そう?」

 乾いた大地を馬が駆ける。髪を靡かせて駆け去ったユキはどこか楽しそうで。私を乗せていなかったら、多分タクトも同じように馬の腹を蹴って、駆け出していたんだと思った。馬上の恐怖心はまだ拭いきれない。けれど、背中にぴったりとくっついてくれるタクトの存在を感じれば、不安はだいぶ和らいでいた。

「うん。少し慣れてきたと思う」
「わかった。じゃあ、もし怖かったらすぐに言ってね」

 タクトの左腕が私の体をぎゅっと抱きしめる。右腕一本で手綱を握ったタクトが栗毛な馬を走らせた。味わったことのないスピード感で思わず怖くて目を瞑ってしまったけれど、絶対に離すことがないとでも言っているようなタクトの左腕が恐怖心を和らげる。

「……気持ち良いねぇ」

 タクトの穏やかな声に釣られて目を開けば、乾いた風が頬を撫でていく。どこまでも自由にすら見える砂漠をぼんやりと見つめれば、自分の運命が不思議でたまらなくなった。

「ユーリ、怖い?」

 心配そうに頭上からかけられた声にゆっくりと首を横に振りながら。私を優しく抱きしめる左腕も、包み込む背中も、向けられる優しい声色も。
 いつのまにか、当たり前のように受け入れている自分に驚いてしまう。タクトは王子様なのに。
 この国で次の王様になる人なのに。

「ううん、平気」

 栗毛のたてがみが目の前で揺れる。乾いた砂漠の風が肌を撫でてゆく。通り過ぎる景色も、どこまでも続く空の色も、初めて見る光景で自然と胸が踊る気がした。最初に感じた恐怖心は、今はもうどこにもない。
 突然、寝台に送り込まれた夜も、初めて乗った馬の背中も。

「……タクトがいるから怖くないよ」

 もしも、怖いものがあるとすれば。本来なら出会う事もなかった、タクトのぬくもりや優しさに慣れてしまう事なのだろう、と不意に思ったけれど気が付かない方が幸せな気がしたから、目を閉じて何もみえないふりをした。

 
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