08

 第一王子の宮に一人の踊り子が囲われた話は瞬く間に広がった。側室の一人も持たず、どこか掴みどころのない第一王子の目に止まった踊り子はどんな美姫なのかと街中では噂になっているらしい。
 確かに毎夜、同じ部屋でユーリと過ごしているが、同じ寝台で眠ったのは酔って抱き枕にした最初の日だけだ。それ以降、ユーリは部屋の端にあつらえた長椅子で眠っているし、寝台からはオレが広げた両腕、3つ分は距離が離れている。下手をしたら、オレが寝室に戻る頃には長椅子で丸くなって眠っているし、朝目覚めた時には姿はない。
 女官に混じって洗濯を手伝ったり、調理場にいたり。下手をしたら湯殿の掃除にも顔を出しているらしく、囲っていると言うよりも働き者の女官が一人増えただけというのが事実だった。

「ねぇ、ユーリは?」

 目覚めて、姿の見えないユーリの居場所を侍従に尋ねるのは最早日課。ある時は中庭で草むしり、ある時は炊事場。オレが用意した衣服は動きにくいからという理由で、いつも長椅子の上に畳まれたままだ。
 ユーリ付きの侍女も、最初は手伝いを申し出るユーリに困惑していた様だけれど、彼女の好きにさせて良いよと伝えてからはもはや、諦めたらしい。
 侍女との会話を聞いていると、まるでただの友達の様にしか見えないし、随分と短い期間で仲良くなったものだと関心してしまう。
 そういえば、この前トウちゃんの宮にユーリを連れて行った時も、トウちゃんのお母さんにも気に入られていた。楽器の演奏を請われればウードも弾くし、舞って欲しいとお願いされれば、快く引き受ける。隊商が立ち寄る事が多い宿で育ったユーリは、人との接し方が上手いのかもしれない。養父母に育てられたと言っていたから、日頃から働く事が日課なのだと笑う彼女は、踊り子の化粧を落としてしまえば、屈託なく笑う普通の女の子だった。
 
「恐らく女官に混じって洗濯かと」
「じゃあ、迎えに行ってこようかな」
「タクト様がお目覚めの頃には戻ると言っていましたが」
「え、起こしにきてくれるつもりでいるのかな」
「いえ、寝台の布を洗いたいから取りに来ると」

 一瞬、何かを期待した自分を馬鹿だと思う。足早に現れるユーリが布を剥がして去っていく姿は容易に想像がついてしまう。いや、本当に働き者だとは思うけれども。

「ユーリはオレの寵姫って噂になってるけど、本当の事がわかったらみんな大笑いするんじゃないかな」
「しませんよ。これは良い機会だとタクト様が逃げ出すくらいの縁談話が持ち込まれるだけです」

 侍従の言葉には少し棘があって、数ヶ月前の出来事を今も根に持たれているという事が伝わってくる。年頃の娘がいる大臣達があまりにも連日、オレの宮に押しかけてくる事に嫌気がさしてトウちゃんの宮に黙って逃げ込んで三日間籠城した事を。

「ユーリ様は王が直々に贈られたので、他の者は今は溜飲を下げているだけです。ですが、それは一時的な事だとお分かりでしょう?」
「わかってるよ。父上の意図はわかってる。オレが男として機能するか、試したいんでしょ。だから宴の時にオレが興味を向けたユーリが寝台に送られた」
「まぁ、あの晩に追い出せば問題なかったんでしょうけれど」
「……それはまぁ、そうだけど」
「一晩、お側に置いた事実は消えませんから。何もなかったとしても」
「えー。厳しいなぁ」

 よくオレのことを理解している侍従のユウト。オレよりも二つ年下なのに頭が回って、仕事が早い。実はユーリと一晩何もなかった事を告げた時には目を丸くして呆れた顔をしていたっけ。

「正直、腹黒い大臣達からの縁談をお断りする理由が出来たので、結果としては良かったのかもしれません。正直、オレも王のご意向には賛成する部分もありますし」
「え?どのあたりを?」

 着替え終えて、帯を締め直すとユウトは一瞬、目を伏せて言いにくそうに言葉を選んでいる様だった。

「オレも貴方には王になって欲しいと思っているので」
「んー。でも、オレよりもトウちゃんやユキちゃんの方が優秀だよ」
「お二人も立派な方なのはわかっています。けれど……」
「よし、そろそろユーリを迎えに行ってくるよ」

 ユウトの言葉を遮った事は申し訳なく思う。けれど、この話題は朝からあまり聞きたくないし、触れたくはない。王位など、どうでもいいし継ぎたいなんて一度も考えた事はない。

「朝食、今日はどちらに?」
「天気が良いから中庭にするよ。いつもありがとう」

 ほんの一瞬だけ、ユウトの顔に不満が滲んだ事に気が付かなかったわけじゃないけれど。半ば逃げるように背中を向ければ、背後で小さな溜息が聞こえた。

 オレは王になるような器じゃないと、どんなに言い張っても第一王子という事実は消えなくて。周りの期待や無言の圧に息苦しくなる。煩わしさから少しでも離れたくて、自分の宮には限られた者しか置かないことにしたのは正しい判断だったはずだ。うっかり、ユーリを宮に留めてしまった事だけが誤算だったけれど。
 乾いた太陽の下、いつも洗濯物が干されている場所へ足早に向かう。大きく広げられた布の隙間からユーリの姿が見え隠れして、侍女と楽しそうに笑っていた。風に揺れる何枚もの布を全て干し終わるのを黙って見つめていると、視線に気付いた侍女がユーリの袖を引く。オレの所へ送り込まれたりしなければ、きっとユーリはこんな風にテキパキと仕事をこなして笑いながら日常を過ごしていたのかと思うと、ひどく気の毒に思えた。
 宮の中では自由にしていいよ、なんて。限られた場所で好きにして良いよ、なんて自分勝手なのはわかってる。

「タクト、どうしたの?」
「ユーリは何してるの?」
「何って、洗濯だけど。あ、タクトが起きたなら寝台の敷布も洗っていいかな」

 ユウトが言った通りの反応。黙っていたらそのまま駆けていきそうなユーリの様子に、思わず服の袖を掴んだ。侍女達が着ている服と同じ物。オレが用意した服はなかなか着てくれないんだよなぁ、と思いながら溜息を思わず吐けば、勘の良い侍女が慌てる。

「ユーリ様、私がそちらは行きますので!」
「ありがとう。お願いするね。ユーリは、もう朝ごはんは食べた?」
「まだだよ。朝ごはんは一緒に食べようってタクトが言ったでしょう?」
「あ、うん。そうだよね。中庭に準備してもらっているから行こうよ」
「ユーリ様、一度着替えましょう」

 侍女の提案に一瞬、曇るユーリの顔。面倒だ、勿体無いと言いたげな顔を見てしまったら「別にそのままでも良いよ」と笑うしかなかった。オレが良かれと思っても、多分ユーリは喜ばない。それは、きっと生まれ育った環境や考え方の違いなんだと思う。
 歩くスピードを少しだけ緩めて、並んで歩く。数日間、共に過ごして少しずつ会話も増えてきた。何もしない事は彼女にとって、苦痛でしかない事もわかった。喜ぶと思って送ったアクセサリーも、綺麗な衣服もユーリは困った顔をするだけで。ありがとう、と繕った笑顔を見る度に、オレの宮に引き留めている事が申し訳なくなった。

「……勝手なことばかりして、ごめんなさい」

 中庭に用意してもらった簡単な朝食。敷布の上に広げた食器を膝に乗せたユーリは、食べ始めるとすぐに小さな声で謝った。急にどうしたの、と問おうとして気まずそうに視線を伏せた理由が服の事だと気付く。多分、侍女に借りているのだろう。

「別に気にしてないよ。動きにくい服ばかり用意してオレの方こそごめんね」

 朝食も最近は品数を減らすように伝えたし、残らないように気をつけるようになった。ユーリはオレが王子だから、責めるような事は何も言わない。ただ「タクトにはわからないよ」と一度だけ呟いた時に、理由を尋ねたら働かなければ食事はもらえなかったから、と言われた事がある。それからはもう、ユーリが洗濯場に行こうが、炊事場で芋を剥こうが好きにさせようと思った。

「街に視察に行く予定があるんだけど、ユーリも一緒に行こうよ。どんな服が良いのかオレはわからないから、自分で選んで欲しい」
「……タクトが用意してくれた服、着たくないわけじゃないの」
「え?じゃあ、なんで着ないの?」

 手に持っていた葡萄を千切りながら、ユーリは口籠もる。三つほど葡萄を口にした後に、とても小さな声で呟いた。

「だって、汚したりしたらと思うと怖くて」
「え?別に泥だらけになっても良いよ?」

 泥だらけになる程、何をするんだろうと思いながらも気にする事はそんな事か、と驚く。

「……だってあれ、絹でしょう!?」
「あ、うん。多分そう」
「葡萄の汁が飛んだら、とか」
「好きだよね、葡萄」
「転んで破ったらと思うと……」
「怪我しなければ良いんじゃない?」

 お皿を抱える手が小刻みに震えている。ユーリは一生ただ働きしても弁償出来るかどうかわからないから、と真顔だった。
 
「わかった。絹じゃないやつで、動きやすい服を買おう?ユーリの分を用意しないと、借りてる女官も困るだろうから」

 女官の事を引き合いに出せば、ユーリは静かに頷いて納得する。街に行く目的がひとつ増えたし、今回の視察はユキちゃんも一緒に行くから、なんだか少し楽しみになった。

「食べ終わったら、出かける用意をしようね」

 コクリ、と頷いたユーリが少し笑って、また葡萄に手を伸ばす。やっぱり葡萄が好きらしい。
 慌てて食べる必要なんてなかったのに、なんとなく出かける事が楽しみになってしまって、いつもよりも早いスピードで食べ終わってしまったから、後片付けを手伝う事にした。

「タクト様、そのような事は!」
「オレも手が空いているから別にいいよ」

 食べ終えた食器をユーリがかごに入れて大切に抱えていたから、オレは敷布を丸めて片手に持つ。慌てふためく侍女に、ユーリが「着替え、後で手伝ってくれる?」とお願いしていたから何だか嬉しくなってしまった。やっと用意してくれた服を着てくれるのかと思うとなんだかとても楽しみになって、ユーリが用意をしている間、暇を持て余したオレはウードを抱えて即興の旋律を奏でていた。

「ユーリ、お姫様みたい!」
「……タクトの用意してくれた服が素敵なだけだよ」

 転んだら殺される?とか、呟いていたのは聞かないフリをして、思わず手を叩いて拍手をする。化粧で彩られた目元が照れたように赤く染まって、素直に可愛いと思った。
 しばらく視察で宮を留守にするから、ユキちゃんは護衛も兼ねて一緒に来てくれる事になっていた。オレとしてはユーリの気分転換にもなれば、良いかなぁなんて思っていたんだけど、宮に迎えに来たユキちゃんはオレとユーリを見比べて、いつもよりも大きな声で怒鳴るからびっくりした。

「浮かれた新婚旅行か!?寵姫見せびらかしツアーか!?」
「オレのあげた服、初めて着てくれたんだよ!可愛いでしょ?」
「オマエはバカか!噂になってる女、目立たせてどうすんだよ!タクト、オメーもちゃんと着替えろ!」
「……せっかく可愛くしてくれたのに!?」

 文句を言ったらユキちゃんが怖い顔で睨んでくる。結局、何を言っても聞いてもらえなくて、ユキちゃんが用意してくれた服に袖を通す。
 オレとユキちゃんはなんだか盗賊みたいな格好だし、ユーリに用意された服も似たような感じで、まるで男の子にしか見えなくなってしまった。

「これじゃ男の子みたいで可哀想だよ!」
「わざとやってんだよ!ユーリって言ったか。オマエ、オレのこともユキって呼べよ。敬語もなしだ。王子だってバレたくねぇからな」
「え、お忍びなの?」
「当たり前だろ!コイツが街で噂になってんのぐらい、わかるだろうが!!」
「わかった。男のフリしていた方がいいんだね」

 小柄なユーリは動きやすい服が気にいったのか、身軽く飛び跳ねて、靴を足に馴染ませる。ユキちゃんと並んでいると、まるで盗賊と子分みたいだ。

「……ユキちゃんのバカ!」
「ハァ?何がだよ」

 ユキちゃんの言い分が正しい事も納得もする。でも、せっかくユーリが綺麗に着飾ってくれたのに、ほんの一刻も経たないうちに男の子みたいになってしまった事がなんだか悔しくて、オレは意味のわからない八つ当たりをユキちゃんにぶつけたら、3倍返しくらいで怒られた。ちょっと泣きそうになった時、ユーリが困り顔で背中をさすってくれたから、なんだか余計に居た堪れなくなった事は誰にも言わないでおこう。
 
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