07

 第一王子のタクト様は変わり者だ。踊り子なんかに名前を尋ねたり、気遣ってくれたり。王宮なんて、どうせ人生において縁のない場所。愛想を振り撒いて報酬を貰ったら長居はせずに帰る事が無難だと言い聞かされていたのに、帰り支度をしていた所を王様の使いに呼び出された。
 わけもわからないうちに着替えさせられて、放り込まれたのが第一王子の寝室。今まで見たこともないような大きな寝台も、部屋の飾り一つでどれだけの価値があるのかもわからないまま、自分が金貨と引き換えに王子の寝台に送られたことを理解した。

「王子様に無礼な振る舞いはするなよ」

 養父は皮袋いっぱいに詰まった金貨を背中に隠したまま、ニヤついた顔で笑った。少なからず10年は育ててもらった恩がある。それでもあからさまに金貨と引き換えに差し出された事を思えば、何の言葉も出てこなかった。養母の顔が頭をよぎる。養父よりはまだ可愛がってくれたかもしれない。けれど、あの金貨を前にしたらきっと養父と同じ顔をするような気がした。
 旅の一座の中には年上の踊り子もいて。多分、こういう事はいくらでもある話なのだろう。王子様の目に留まった貴女は幸せなのよ、と一座のメンバーから微笑まれてもどう返せばいいかわからなかった。

 第一王子のタクト様。とても背の高い優しい目をした王子様。誕生を祝う宴の最中も笑顔を絶やす事なくニコニコと振る舞いながら、時々寂しそうな目をしてた。あの人と言葉を交わしたりしたから、あの人が私を見たりするから。女に関心の薄かった第一王子の興味を引いた、という理由で送り込まれた寝台は大きくて、冷たくて、恐怖しか感じなかったのに。

「……あれ?踊り子さん?」

 寝室にタクト様が現れた時、ひどいお酒の匂いがして足はフラフラで。酔っ払った足取りのまま、寝台に倒れ込んだ王子様に押し潰されながら、覚悟を決めたはずなのに。

「もっと話したいって思ってたんだ」

 満面の笑顔で笑うタクト様はそのまま気持ちよさそうに寝息をたてて眠ってしまった。抱き潰される覚悟すらしていたのに、物理的に潰されそうで大きな体の下から逃げ出そうとすれば、長い両腕が絡みついた。

「……行かないで。オレを1人にしないで」

 半分寝ぼけた瞳で見つめながら懇願するのは、この国で1番幸せな場所にいるはずの王子様。逃げ出す事も叶わず、そのまま諦めて重たい首飾りをつけたままのタクト様の装飾を外す。むせ返るようなお酒の匂いと香水の香りに咳込めば、柔らかく指先が握られた。

「……ねぇ、名前なんていうの?」

 宴の時に聞けなかったから、と笑うタクト様はとても優しい目をしていて。養母の営む宿屋の二階くらいあるような広い寝室でひどく寂しそうな顔をする王子様に拍子抜けをしてしまう。

「……ユーリです」

 あんなに派手に誕生日を祝われて、次の王様だと皆が頭を垂れて平伏した宴の後なのに。今にも泣き出しそうな顔で踊り子に名を尋ねるタクト様はやっぱりおかしな人だ。
 優しい声でユーリ、と名を呼ぶ相手はこの国で1番幸せなはずの王子様。安堵したように瞳を閉じたタクト様が何を思ったのか、何度も何度もユーリ、と名前を呼んでくる。むせ返るようなお酒の匂いと香水に包まれて、わけもわからないまま眠りについたのは、きっと抱きしめてくれる両腕がひどく優しくて、暖かかったからかもしれない。
 翌日、目を覚ましてからもタクト様はやっぱり変わった王子様だと思った。敬語はいらない、名前も呼び捨てでいい、なんて。肌を合わせていない事を伝えたら安堵した表情をする癖に。ただの一夜、抱き枕がわりに抱えただけの踊り子を、そのまま自分の宮に留めておこうとするタクト様は底抜けに人が良いのかもしれない。
 養父が金貨と引き換えたなら、もうどうせどこへも行く所はない。帰る場所もない。それなら、王子様の気まぐれでも居場所がある事は恵まれているのだと思う事にした。
 タクト、と呼ばなければ永遠に葡萄を食べさせ続けると困らされた結果、根負けして名前を呼べば嬉しそうな顔。
 一国の王子様なのに、まるで宿屋の近くにいた大型の犬に懐かれた様な錯覚に陥る。何度も何度も、私をユーリと名前では呼ぶのは、自分もそうされたいからだと案に言われているような気がして。二人だけの時なら、それも許されるような気がして根負けしてしまった。
 
 宮を案内するよ、と連れ出してくれたタクト。サンダルが大きすぎてうまく歩けない事に気付いて抱き上げてくれた。背の高いタクトに抱き上げられて、顔を覗き込まれた時、右目の下にハートの形をした黒子を見つける。一瞬、可愛いと手を伸ばしそうになった時、私の運命を捻じ曲げた王様の声が聞こえて、背筋が凍るような感覚に怯えた。
 タクトに抱き抱えられて、王様よりも私の目線は高い。この場で切り捨てられてもおかしくない状況の中で、タクトはそのまま私を裸足のまま下ろす事はしなかった。

「随分とその娘が気に入ったようだな」
「……父上」

 体を支えてくれる腕に一瞬、力が篭る。タクトの声色が少しだけ低くなって冷たい印象に変わった。朝からニコニコと微笑む姿ばかりを見ていたから、少しだけ怖くなる。背後に控えていた侍従を呼んで、私を床へと下ろすと「ごめん、また後で」と長身を屈めて、私へと謝った。王子様なのに、謝る必要なんて何もないのに。
 サイズの合わないサンダルをもう一度履き直せば「……ユーリを先に案内して」と指示を出された侍従と女官に連れられて、その場を離れる。見様見真似で王様とタクトに向かって一礼をした。
 王様は私を一瞥すると、タクトに向かって歩み寄る。さりげなく一歩下がったタクトの背中を見つめれば、何だか少し胸が痛んだ。

「ユーリ様、こちらへ」

 女官に軽く背中を押されて、逃げるようにその場を離れる。こんなに煌びやかな宮殿なのに、とても明るくて綺麗な場所なのに、なんて寂しそうな背中なのだろう。

「……私に何かお手伝いできる事はありますか。炊事、洗濯、掃除、元々宿屋育ちなので何でもやります」

 ゆっくりとした足取りで歩いてくれる女官の袖を引き、侍従を見上げる。昨晩から身の回りの世話をしてくれている彼らよりもずっと自分の身分が低い事もわかっている。王様が何の目的で自分を王子の寝台に送ったかもわかっていたし、その役目すら果たしてもいない事を理解しているから。
 タクトは多分、とてもお人好しなのだ。寝台に送り込まれた踊り子を酔っ払ったまま一晩抱きしめてしまった事に罪悪感を感じているのは嫌でも伝わってくる。
 素肌が触れ合っていなくても、たとえ2人の間に何の関係も生まれていなくても。優しいから、そのまま留めて居場所を与えてくれようとしている。

「そのまま、タクト様のお側にいてくだされば結構ですよ」

 私の申し出に困惑した女官の視線を受けて、侍従が小さく溜息をつく。

「……タクト様はお優しいですが、とても寂しい人だから」
「ユーリ様とお話をされているタクト様は、とても楽しそうですよ」
「でも、私は昨晩……」

 サイズの合わないサンダルは歩くたびに引っかかってうまく歩けない。ここが王宮の中でなければ、今すぐ裸足で歩く事ができるのに。

「貴女は王様からの、タクト様への贈り物です。気に入っていない、と分かればすぐに替えを用意しようと王はお考えになるでしょう。タクト様は決してそんな事は望まない。だから、貴女の為にも、この宮でしばらく過ごしてみてください」
「でも、時々ならお手伝い頂くのは歓迎ですよ。この宮で働く者はとても少ないので」

 明るく微笑む女官の言葉に小さく頷く。侍従と女官に連れられて、広い宮殿をゆっくりと歩いて中庭に向かうと、綺麗な花が咲いていた。小さな泉に咲く赤い花は亡くなった正妃様、タクトのお母さんが愛した花なのだと教えてもらった。
 今までとは縁のなかった遠い場所。宮の真ん中を四角く切り取ったような小さな庭園は、とても静かで優しい場所のような気がした。
 
「ユーリ!」

 長い廊下を駆けてくる、この国で一番尊い王子様。踊り子風情が呼び捨てで名を呼ぶなんて、とても許されるはずじゃない人なのに、そうされることを望むのだから本当に不思議な人。

「ごめん」

 眉を下げて、体を屈めて。ハートの黒子の王子様は何でそんな顔で笑うのだろう。

「……また、謝ってるよ。タクト」

 キョトン、として首を傾げて。あ、と大きな口を開けた表情に吹き出してしまえば、タクトも釣られて笑った。

「この場所、オレの一番好きな場所なんだ」

 四角く切り取られた青い空。背の高いタクトが空を見上げて仕舞えばどんな顔をしているかなんて、私にはわかるはずもないけれど。

「……とても綺麗な場所ね」

 この国で一番の王子様に、そんなに寂しそうな声で笑われたらなんだかとても切なくなる。名前を呼んで、普通に話して、と彼が望むなら、それくらいなら私にも出来るような気がした。
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