※『ラブレター』から膨らませた話ですが誰かが死ぬことはありません。また展開も違います。
※他の5年も出ます。カプはありません。竹谷と久々知が三郎や雷蔵や勘ちゃんよりも年下です。



2009 August

あの、と玄関のドアの先でもじもじしていたのは、見知らぬ中学生の二人組だった。中学生、と分かったのは彼らが袖を通している服をよく知っているからだ。随分と昔、僕もこの制服に身を包んで中学校に通ったものだ。ぴたりと上まで留められた第一ボタンに息苦しさを少しだけ覚えながら。

「えっ、と」

ただ、彼らの衣服には見覚えがあるけれど、顔に見覚えは全くない。近所に住んでいる子だろうか、と朧気な記憶を辿るけど思い出せない。もしかしたら仕事先の図書館に来ている事があるかもしれないけれど、そうであれば、よほど印象的な人じゃない限り、大多数の中の二人の顔まで記憶に残らないもので。 

もし、向こうがこっちのことを覚えていたら、そう思うと、なんとなく申し訳ない気持ちで、ひたすら「えっと」と、その言葉だけを繰り返していると、互いに顔を見合わせていた二人組のうち、男の子にしては艶やかな黒髪を持つ少年が、意を決したように口を開いた。

「あの、ここ、不破さんのお宅ですか?」

意味の分からない質問にますます混乱しつつも「そうだけど」と返す。するともう一人の、いかにもスポーツ少年ですといった感じで日焼けしている少年が視線をドアよりも上方に逸らしながら、さっきの色白な少年に突っ込みを入れた。

「ほら言っただろ。表札に不破って書いてあるって」
「だって、先生が教えてくれた住所、ここだったし」
「なら、先生が間違えたんじゃねぇの?」

でも、と応酬が続きそうな雰囲気に、事情はよくわからないけれど、とりあえず僕は二人の間に割って入った。

「あのさ、何かこの家に用事かな?」

すると二人はまた黙りこみ、しばらく、ちらちらと目を交わし合っていた。だが、そのうち、同時に頷いた二人のうち口調の荒い子が抱えていた鞄の中を漁り出した。もう一人が心配そうにその様子を見遣る。やがて突き出されたのは掌サイズの、時に焼けてしまった、きなり色をしたカードだった。

そのカードを僕はよく知っていた。カードが持ち合わせている褪せた色彩と同じくらい遠い過去、そう、中学生の頃毎日のように扱っていた図書カードを男の子は差し出していた。

「ここに鉢屋三郎という人、いませんか?」

心臓が跳ねた。三郎。その名前の響きを口の中で噛みしめる。久しぶりに呼んだ彼の名から愛しさが滲みだしてくる。どうしてその名前を、という問いかける前に、僕の目に飛び込んできたのは、あの頃、毎日のように目にした文字だった。カードの一番上には、少し尖ったような字面の『鉢屋三郎』という署名が残されていた。

(三郎……)

そのカードに、思い出に棲まう彼の残像が、ざっと蘇る。夕日に染められた図書室。僕がページを追う印字の匂いと、彼が滑らす鉛筆の音。クリーム色したカーテンの中。とっくの昔に封じ込めたはずの記憶だというのに、まるで今しがた目にしたような鮮やかさがあって。堪らず、そっと問いかけた。

(今、お前はどこにいるんだい?)

 鉢屋三郎。中学の時のクラスメイト。いや、クラスメイトなんて単純な言葉で片付けられるような関係じゃなかった。三郎は、僕にとって、初めて愛おしいという感情を抱いた、とてもとても大切な人だったのだ。



***

中略

***



1999 August

 首を振るのを止めた扇風機が生暖かい空気をかき混ぜている。堕落、といった言葉がよく似合う昼下がり、手持ちの小説本は読み終えてしまっていた。やることがなく「暇だなぁ」と天井に向かって呟く。元よりあまり熱心ではなかった部活も引退をし、登校日以外は学校に行くこともなく暇を持て余していた。かといって、半年後の受験などイメージが湧くはずもなく受験勉強をする気にはなれず、それでも親に文句は言われないようにと早めに手を付けて追えてしまったがために、家でごろごろするしかなかった。

「あと一週間で、夏休みも終わりかぁ」

 ここまで退屈でやることがないと、明日から学校が始まってほしいぐらいだ、と壁に掛かっている日に焼けたカレンダーを見遣る。今月の7日に付けた覚え書きの丸。その登校日以来、三郎とは顔を合わせていない。彼の顔が浮かんだ途端、暇だなぁ、とそれまで溶けてそれ一色だった思考が、すっかりと塗り替えられていた。

「会いたいなぁ」

あぁ、そうだ。生まれたての響きは、ふわふわと頼りなかった。けれど、僕に気づかすには十分だった。暇だから夏休みが終わってほしいわけじゃない。誰でもいいわけない。-------三郎に、会いたいのだ。とにかく、三郎に会いたかった。

もちろん、連絡手段がなかったわけじゃない。けど、携帯電話なんて一部の子しか持っておらず、家の電話番号は連絡網で知っているものの、彼の家の誰が出るか分からないそれに、直接掛ける勇気なんてなかった。

(そもそも、何を話せばいいのか分からないものなぁ)

夏祭りも花火大会も終わってしまって、遊びに誘い出す口実もない。勉強が分からないとか相談しようにも、宿題は全部追えてしまった。かといって、意味もなく、雑談のために電話がかけられるはずもなく。ひたすら、夏休みが終わって彼に会えるのを指折り数えるしかできることはなかった。

(はぁ。本当に明日から新学期が始まればいいのに)

ごろり、と転がったまま、円を描くようにして、右手を床に這わせた。中指の先が固いものに触れた。掴み、引き寄せてそれが目的のテレビのチャンネルと分かり、電源ボタンを押す。自分専用の小さな画面に、ぼわん、という音と共に映し出されたのは、下卑た笑みを貼り付けながら声高に自説を唱えている自称霊能力者とかで有名なタレントの姿だった。「もうすぐ地球は滅びてしまうんです」って。画面右上には赤字で『ノストラダムスの大予言 地球滅亡日はX日だ』とおどろおどろしい煽り文句が踊っている。

(地球は滅亡するかぁ……)

今年になって一気にクローズアップされたその話題は夏が近づくにつれて、耳タコになるほど毎日のようにどこかで特集を組まれていた。これまで数々の予言を的中させてきたノストラダムスが残した書物にあるのだという。西暦1999年の夏に恐怖の大王が地球に降りてきて、人類が滅亡するのだと。

学校でも散々話題になって、テレビで仕入れた情報を元に、やれ隕石だとか世界大戦が勃発するだとか、恐怖の大王が何なのかを推測したり、「俺、今年の夏は宿題遣らないんだ」とか「受験勉強したってどうせ無駄だって。俺たちみんな死んじゃって、高校になんか行けねぇんだからさ」とか、恐れを笑い話で誤魔化したりしている人もいた。僕自身は、あまり信じてないけれど、それでもいい気分にならないことは確かだった。

(僕や、僕の大切な人がこの世から消えてしまうなんて)

家族や勘ちゃんを始めとした友人、そして三郎。当たり前のように日々を共にするその人たちがいなくなるなんて、想像が付かなかった。ただ、とても淋しい光景な気がして、それ以上、その画面を見る気になれなかった。

適当にボタンを押してチャンネルを代えるけれど、ワイドショーか一昔前のドラマかテレビショッピングと、どれも似たり寄ったりな番組ばかりで、僕は再びテレビを切った。一時よりも、苦しげな蝉の声が聞こえてくる。

(もう少し涼しくなったら、図書館に行こう)

 それまで昼寝でもしようかと瞼を降ろそうとしたけれど、掠れた音楽がつっかえとなり、僕は目を開けた。このメロディは家のチャイムだった。耳を澄ましても、特に車のエンジン音がするわけでもないことから宅配便の類ではなさそうだ。

勧誘だったら面倒だなぁ、と出ようか出まいか迷っていると、またチャイムが鳴った。さらに、もう一度。僕が出るまでは鳴らし続けられそうだと感じるほど、その感覚の短さからはっきりとした意志が伝わってきて、僕はのそりと立ち上がった。めくれ上がっていたシャツを直しながら「はーい」と玄関まで出向く。磨りガラスに映る影は一つ。あまり背は高くない。僕と変わらないぐらいだ。

(誰だろう?)

 誰か友だちと約束していただろうか、と頭を捻りながら、三和土に並べられていた母親のつっかけを穿き、さらに短い間隔で押されるチャイムに「はーい。どちら様で?」と答えながら、扉を横にずらした。

「あぁ、よかった。雷蔵がいて」
「三郎? ……どうしたの?」

 くらり、と揺らぐ熱風の先にいたのは、予想外の人物だった。会えた嬉しさよりも、突然のことに思考が驚きでいっぱいっぱいだ。熱が、跳ね上がる。玄関の暗さのせいか、外を背景に立つ三郎がやけに白っぽく見える。光に溶けてしまいそうだった。僕の問いかけに、三郎は何も答えなかった。じとり、と暑さが膜となり体を覆う。いきなり彼が尋ねてきた理由が分からず、ただ夏の終わりを嘆くような蝉の声が繋ぐ沈黙に耐える。

「これを図書室に返して欲しいんだ」

 ようやく言葉を紡いだ三郎は、ずい、と僕の手に本を押しつけた。はずみで受け取ってしまったそれを見遣る。一冊の本。白い表紙の分厚いそれ。どこかで見たことがある、とひっくり返せば、勢いを失いつつある陽に曝され、青い箔押しが鈍く光った。あの『失われた時を求めて』だった。

「これ……」
「学校の図書室に返しておいてくれないか?」
「何で僕が」

 三郎が返しに行けばいいじゃないか、という言葉は「だって、雷蔵、図書委員会じゃないか」という訳の分からない理論で封じられそうになる。すぐさま「三郎だって、図書委員会だろ」と反論すれば「頼むよ」と、珍しく三郎は頭を下げた。そういえば、夏休み前の当番の時に三郎がその本を借りていった記憶がなく、不審に思って「延滞しすぎて返すのが恥ずかしいとか、そんなんじゃないよね」と確かめた。すると「違う。夏休み明けに返せばいい図書だから」と即座に彼は首を振った。

「だったら、自分で返せばいいじゃないか」

 理由も分からず、とにかく僕に押しつけてくる彼に何とかして本を返そうとするけれど、三郎は掌を開けようとはしなかった。頼むというよりは懇願に近い響き。僕を見遣る彼の目の色が、胸を抉る。

「この本は、雷蔵に、返してもらいたいんだ」

 それだけ告げると、彼は踵を返し、あっという間に走り去った。慌てて追いかけようとしたけれど、サイズの合わないつっかけに足を取られて転けそうになってしまった。思わず足下に落とした顔を再び上げたときには三郎の姿はもうなく、ただ、白く光が満ちている外の世界だけがあった。三郎の熱が移ったかのように掌中の本は、温かかった。

(何だったんだろう? まぁ、いいか。新学期に会ったとき聞けば。この本も「自分で返しに来てよ」って言って三郎に返そう)



***

 ノストラダムスの予言は外れた。夏休みが終わっても、地球は滅亡しなかった。けれど、代わりに、当たり前のように存在していた僕の日常は、消えてしまった。-------三郎が、いなくなったのだ。



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