竹久々5(現代)
※1・2・3・4の続き。久々知が男娼。ゆえに、気持ちR-15以上で。
ハチ、という男は不思議な男だった。
「でさ、帰れって行っても付いてくるんだよなぁ、その猫」
迷惑そうな声音の癖にその唇は緩んでいて、きっと懐かれて嬉しくて堪らないんだろうなぁ、と思う。その表情はまるで少年みたいで、自然と笑みがこみ上げてきた。可愛い、なんて言ったら不貞腐れそうだから、何も言わないけれど。やっぱり笑っていたのには気づいたみたいで、上がっていた彼の口の端がちょっと怪訝そうに曲がる。
「何笑ってるんだよ」
「別にー」
何だか楽しい気持ちになって語尾を伸ばしながら答えれば「気になるんですけどー」と、わざと唇を尖らして彼は拗ねたフリをした。それがますます俺の笑いに拍車をかける。噛み殺すことのできない可笑しさに「なんだよー、気になるじゃねぇかー」と彼は少し大きな声を上げ、それが辺りに響き渡る。
「っと」
彼自身も思ったよりも大きかったと感じたのだろう、は、っと慌てて口を押さえ、辺りを見回した。落ち着いた雰囲気の店内は全体的に年齢層が高く、おまけに男同士で入るような場所でもない。ただでさえ周囲から浮いている俺たちだ。変に思われてるんじゃないか、と俺もハチにつられるように、視線だけを運んだが、周りは大人なのだろう。あからさまに好奇心をむき出しにしている奴らはいなかった。
(逆に、含みのある気配はひしひしと感じるけどな)
俺からすればそれこそ結婚式でしか見かけないような服装を纏った奴らから俺たちへと向けられるベクトルは、あまり気持ちのいいものじゃない。口元は微笑んでるのに目が笑ってないというか、ひっそりとした嫌悪が滲んでいる。それが気になっているのは俺だけなようで、ハチは「やべ、でかい声、だしちまった」とあっけらかんと笑いながら、グラスのアルコールをあけた。
「でさ、あんまりにもにゃぁにゃぁ鳴くし、家に連れて帰ったんだよ」
「へぇ。で、どうするんだ?」
すぐさま給仕が俺たちのテーブルの元に現れると、空っぽになったハチのグラスにボトルを掲げる。彼は当然のようにその様子を見守った。さっきまでは影も形もなかったのに、とまるで黒子のような動きには、未だ慣れない。------俺が一生涯縁のないだろうと思っていた店に入るのは、これで5回目。ハチと出会って二ヶ月、定期的に会うようになってから一ヶ月が経とうとしていた。
毎週土曜日、午後8時。
そこから日付が変わる手前まで俺は彼のものになっている。店が管理する予約表には当面先まで彼の名前で埋め尽くされていた。この仕事をするようになって、いわゆるお得意さんみたいなものが付くことは今までにもあったが、ここまで毎週通ってこられることは初めてだった。店長にも聞いてみたが、珍しいことだという。
(そりゃそうだろう、お金も結構するはずだ)
自分の手元に入ってくる金額のことを考えれば、一時間でハチが使っている札の数は容易に想像できた。一般人なら、そんな簡単に通うことができるものじゃない。彼が『一般人』じゃないらしい、と分かったのは、厄介な客から助けてもらった翌週の土曜のことだった。彼が誘った店は、そのドアからして高級感を漂わせていた。
(これで5軒目、だけど)
フレンチだの懐石だの趣向は毎回違うものの、ハチが案内してくれる店ははっきり言って俺には似合わない所で、気後れしてしまう。ただ、ハチが嬉しそうに「兵助を連れてきたかった」と笑うものだから、そのまま、ずるずる足を踏み入れてしまうわけで。おまけに、店の造りに負けず味もいいものだから感動して夢中で食べてしまって、ふ、と顔を上げれば、ハチはあの柔らかな笑みを浮かべているのだ。舌が肥えてなくて語彙がなくて「おいしいおいしい」と馬鹿の一つ覚えみたいにそれだけしか言えなくても「よかった」と陽だまりのように温かな眼差しを俺に向けるのだ。
「まぁ、一応、ペット可だから飼おうと思って」
「そうなんだ。結構、揃えるもの多くて大変じゃないか?」
「そうなんだよな」
ハチのグラスへと飲み物を注いだ給仕が目礼をして下がるのを見計らって、ハチは話の続きをしだした。こなれた手つきでグラスをゆっくりと回しながら「ペットショップに行く暇がないからさネットで色々探したんだ」と喋る彼はまるで惚気話をしているかのように表情を緩めていた。
(ちょっと、羨ましいな)
見たこともない野良猫を想像して、そんな感情が自然と浮かび上がる。こっちの思いも露知らず「寝るベッドとかおもちゃとか、あと赤い首輪」と指折り続ける彼から俺は『無償の愛』という言葉を思い浮かべた。それにひきかえ、と自身を顧みる。
(いくら金持ちだとしても、だ。ハチが俺に入れ込んでくれる理由が分からない)
ハチが最初に俺を女と間違えたように周りからは整った顔立ちをしていると評されることが多いが、もっと綺麗な奴は男でも女でもいる。それに、自分は性格に難があると思う。中々、打ち解けることができないのだ。この業種でそれは致命的ともいえるが、逆に「そういうクールな所がいい」という客もいる。まぁ、あくまでも体を売るのは副業というか食うためなので、その辺りは気にしないことにしている。結局のところ、相手が俺に金を使うのは『体』のためなのだから。だから、一層、不思議だった。
俺とハチは、一度も寝たことがなかった。
初めて会った夜も助けられた夜も、それから予約が毎週のように入りだしても、ハチは一向に俺を求める様子はなかった。だいたい8時に待ち合わせをし飯を共にする。その後はバーで飲むことが多い。もちろん、アフターとか同伴的なものの経験はあるから、客と食事をすることがないわけじゃないけれど、それは前後に体の交渉が必ずある。予約=相手と寝るという図式が成り立っている俺にとって、ハチとの関係はどう表現すればいいのか分からなかった。ホテルに連れ込まれるどころか、そういう含みを持って触れてくることが一回もなかった。
(……ハチは、俺のこと、どう思ってるんだろう)
自分でも馬鹿だと思う。生きていくためにこの業種に飛び込んだ時、最初に店長に言われたことは『相手を好きにならないほうがいい。単なる性欲処理なんだから』というものだった。別にそれを忠実に守ってきたわけじゃないけれど、今まで、一度だってこんな感情を抱えたことはなかった。ハチと寝てしまえば仕事だ、と割り切れるのに、それさえ、させてもらえない。馬鹿みたいに苦しかった。
「兵助?」
怪訝そうなハチの言葉が上から降ってきて、俺は知らず知らずのうちに俯いていたことに気がついた。慌てて顔を上げて「いや、なんでもない」と手を振ったけれど、彼は心配そうに「気分でも悪いのか?」と俺を覗きこんでくる。
(欲しい、)
何の色情もてらうことのない、こっちを気遣うような優しい瞳をハチはしているのに、俺は、ぐらり、と眩暈を感じた。熱いのは、彼をこんなにも渇望してしまうのは、アルコールのせいだ、そう思うことができたなら、どれだけ幸せか。
-----俺は、ハチが欲しくてたまらなかった。
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