竹久々(現代)

※四月馬鹿その後(未読でもたぶん大丈夫です)
※タカ→久々 を感じる部分があります。
※レストランでバイトしてます。兵助とタカ丸はフロア、ハチは厨房。


「ハチ、まだ掛かる?」

蛍光灯から落ちる冷たい光が反射するシンク。そことは対称的に柔らかな照明が絞られて暗い橙色が侵食している店舗をぼんやりと眺めていると、不意に背後から声をかけられた。は、っと視線を戻せば、私服に着替えた兵助がそこにいた。さっきまで身を包んでいた白いシャツに黒ネクタイという格好と比べると、なんだか幼く感じる。

「や、もう終わった。兵助も上がり?」
「さっきな」

日が当たる昼間はともかく、太陽が地平の向こうに消えてしまえば、まだまだ冷え込みは厳しい。薄手のジャケットの彼は、影に呑まれたせいもあるだろうけど、肌の白さが際立っていて、なんだか寒そうに見えた。

「一緒に帰るだろ?」

昼間の一件があって、まだ怒っているかも、と思っていた俺は慌てて「あ、着替えてくる」とキッチン台に置きっぱなしだったシェフ帽を掴み取った。ピン、と背の高いフォルムがくしゃりと崩れてしまったけれど、気にしている暇はない。そのまま厨房を飛び出そうとする俺に兵助の声が追いかけてきた。

「そんな慌てなくてもいいって。いつもの所で待ってるな」

***

「悪、ぃ」

肩で息する俺は、入り込んだ空気が胸の辺りでぜぇぜぇしていて、次の言葉が出てこなかった。猛スピードで着替えて、荷物をまとめて、兵助が待っている通用口までダッシュ。こんなに運動したの久しぶりなんじゃないか、ってわらう膝に掌を押し当て、ぐ、っと堪える。頭上から「慌てなくてもいいって言ったのに」と、ちょっと呆れたような声が降ってきた。

「や、ホント悪い」

ようやく整いつつある呼吸に謝罪の言葉を押し出しながら、重たい鉄製のドアを開けける。僅かな隙間から入り込む闇の匂い。するり、と冷たい風が首筋を撫でた。ぞわり、とした感覚が背筋を走る。あまりの寒さに首を縮込め、三月後半は一回も使ってないマフラーのことを思った。

(うーさみぃ)

寒さに強い俺でさえ感じる寒気に兵助は大丈夫だろうか、と、ちらり、と彼を見やって------俺の頬は常夏のような熱をはらんだ。淡雪のような、今にも溶けそうな白い首筋に、桜のような花びらが一つ。もちろん、本物じゃない。俺が付けた証。昼の残像が過り反応しそうになる自分を慌てて自制する。

(馬鹿…昼と同じことしたら、鉄拳ですまねぇぞ)

兵助にあからさまに好意を寄せているのが透けて見えるタカ丸さんと二人であまりに楽しそうに話しているから、つい、嫉妬して。衝動のまま兵助を組み敷いてしまった。昼間に、しかも、バイト先の店のスタッフルームで。すぐさま謝って、一応、許してはくれたのだろうけど、内心までは分からない。悶々とした思いを抱えながら兵助の隣を歩いていると、ふ、と陶器のように滑らかな瞳が俺をとらえた。

「なぁ、ハチ。ちょっと寄り道してかないか」
「いいけど……どこへ?」

俺の疑問を兵助は「んー内緒」と柔らかな笑顔で封じた。

***

「ここって、もしかして」
「昼間、タカ丸さんに話していたところ。まだ早いと思ったんだけど、ハチと見たかったからさ」

月の光が帯びたあやふやな闇の中でも薄紅が色づいているのが分かった。まだ、満開じゃないのだろう。所々、天に手を伸ばす様にした枝の向こうに夜が広がっている。冷たい夜風にすぼませた蕾が静かに揺れていた。

「今日は、本当にごめんな」
「いいよ……けど、ちょっと嬉しかった」

兵助がぽつりと呟いた。びっくりして「嬉しかったって?」と兵助を見やれば、闇目にも頬が桜色に染まっていて。

「嫉妬された、って聞いて」
「……それ、本当?」

思わず兵助の顔をまじまじと見つめていると、彼は俺の方に腕を振り上げた。冗談、と殴られるだろうな、なんて考え、衝撃にそなえて目を閉じて覚悟していたけれど、痛みはいつまでもこない。不思議に思って、薄く目を開ける。

(ん?)

兵助は小さく笑っていた。「もう、4月2日だぞ」と。その掲げられた腕ある時計はちょうど針の重なりを越えたところだった。







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