雷蔵(Home)

※Home(鉢雷・竹久々で一軒家に住む話)の一番最初のお話。

(うー、この坂道はきついなぁ)

体力に自信はある方だったけど、部活を引退して受験勉強中心の生活になっていたせいだろうか、すっかりなまってしまった体には堪えた。見上げても見上げても、まだ道路。春の陽気にアスファルトの上の景色が揺らいで見える。この時期でこんなのだ。夏場の照り返しを想像しただけで、ぞっとした。

(ふぅ。このリュックだけにして正解だったなぁ)

食器や寝具は元からあるものを使えばいい、と連絡を受けたのだから、本当なら引越しの荷物はたいした量にならないはずなんだけど。元来、持って生まれた迷い癖が発動してしまい、最終的に詰め込んだ段ボール箱はすごい数になっていた。取りに来た引越し屋さんが、ちょっと驚いてたっけ。そのトラックが行った後に残った荷物はボストンバック三つ分。背中にリュックを背負い、両手にそれを抱えて家を出ようとすると、さすがに「本当に必要なら、あとで宅配便で送ってあげるから」と母親に止められた。

(えー、っと、この坂の上を上がったら見えるはずなんだけど)

空いている両手で送られてきた手書きの地図を広げ、もう一度、見直す。数本の線だけが引かれた大雑把なそれには、そのラインが交わった一角に斜線が引かれていた。(もちろん、斜線は、はみ出していた)そこから、ひょい、と矢印が伸ばされていて、あまりきれいとは言えない字で『ここ』と書かれている。

(表札が出てるって言ってたっけ)

地図をポケットにしまい、長袖のシャツですっかり汗ばんだ額を拭いながら、最後の坂を登り出した。一歩、また一歩。重たい足をなんとか運び、ようやく最後の一歩。充足感に顔を上げ、登り切る。アスファルトの黒が切れ、ぱっと開けた先。薄紅に染まる世界。青空に咲き誇る桜のコントラスト。

(うわぁぁ)

あまりの美しさに、思わず見とれていた。

***

(っと、早くしないと引越し屋さんがくるっけ)

どれくらいその桜に心を奪われていたのだろう、淡い春風が横切って、は、っと自分がぼんやりとしていたことに気がついた。いそいそと桜の木が覗く塀を回れば、すぐにそれが切れた。最後の部分に「鉢屋」と随分達筆な文字の表札がかけられている。ここであっているな、と安堵した。錆かけた門扉は片方だけ開いていて、そこから中へと細い道が続いている。その先には、あちらこちらにツタが這う、よく言えば趣のある、別の言い方をすれば古びた大きな家。今日から僕が住む場所。

(チャイムとかあるのかな)

辺りを見回したけれど、それらしきものはない。ここから声をかけようか、けれども広い敷地では聞こえないかも、と、どうしようかと迷い、えぇい、と僕は足を踏み入れた。ざり、っと靴に踏みしだかれる砂利が驚くほど大きく響く。

(誰もいないのかな? でも、今日引越しするってのは大家さんに伝えてあるし)

電話連絡しかしたことがないけれど、相手のおじさんはすごくいい人そうだった。すごく明るくて、笑い方が豪快。一軒家をルームシェアするということで、僕以外に、もう一人は決まっているらしい。その大家のおじさん曰く「ひねくれ者だけど、悪い奴じゃないから」とのこと。

(どんな人なんだろう?)

たくさんの期待とわずかな不安を胸に、僕は家の扉まで歩を進めた。やたら大きな扉にはすりガラスがはまっていて、中を伺うことはできない。さっきと同じようにチャイムがないか見回したけれど、色々と装飾があるわりに、そういった類のものは見つからなかった。意を決して、扉に手を掛ける。そっと開けつつ、

「ごめんくださー」

挨拶は最後まで言うことができなかった。

「はぁ、ふざけるなよ、この糞親父っ!」

なんて、鋭い声が飛んできたから。





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