竹谷と久々知 (4年生)
※年齢操作。4年生。
布団の中に潜り込んでいても感じる、刺すような寒さに、気すら縮こまって。もう一寝入りしたい気分になる自分自身を叱咤し、布団ごと跳ね飛ばす。肌を外気に晒す時間を少しでも短くしようと、さっと、昨日のうちに枕元に用意した制服に手を伸ばし、素早く身を包む。
(寒い。けど、朝の鍛練をサボると癖になるからな)
奮起した心も、戸を引いた瞬間、飛び込んできた景色に削がれてしまった。
(霜、か)
一面にびっしりと覆っている霜は、鋭利な刃物のように鈍く輝いて見える。寒さの中にに剥き出しになっている手先に痛みを覚えながら、庭に降り立つと、そこにあった霜柱が、ざくり、と砕けた。歩くたびに足の裏に響く嫌な感覚に、少しでも乾いた茶色の場所を探して着地する。まだ動き始めて間もない体は温まっていなくて、軋む関節は、まるで自分のじゃないみたいで。手足を軽く回して、一つ一つ、先端まで意識を向け、その身体感覚を確かめる。体の真ん中から右肩、腕、指の先、戻ってきて右の太もも、膝、足指の先------そうやって一巡りし、最後に首を回そうとして、視線が空に自然と向いた。ぴかり、と磨きこまれた鏡のような、硬い硬い濃藍が緩みだしていた。一つ上の学年の衣みたいな色合いがどこまでも遠く広がっていたが、東は地平に炎を宿っているせいで、その裾野から俺たちの衣と同じ紫の帯を織りなしていた。
「兵助。おはよう」
そのまま空に吸い込まれてしまいそうな静けさに、ふいに、声が落ちた。振り返ると、寒さのせいか鼻の頭を赤くしたハチが立っていた。その両手には、重そうな木の桶がぶら下がっている。
「ハチか。おはよう」
「今から鍛練か?」
「そのつもりだったんだけど、」
俺が言葉を濁すとハチは「あー」と含むような支線をこちらに向けて。
「こんだけ寒いと、やる気をなくすよな」
「はっきり言うなよ」
「ま、事実だろ」
からり、と笑うと、ハチは手持ちの桶を、軽く上に掲げた。
「なら、ちょっと手伝ってくれよ」
俺の返事を待たず、当然付いてくるだろう、とばかりに桶を一つ置いて先に歩きだしたハチを、慌てて追いかける。
「にしても、ずいぶん、朝、早いんだな」
「さっきまで、餌やりをしてたからな。もう終わったけど」
「そっか、大変だな」
「まぁ、でも、当然のことだし」
学園で所有している膨大な数の生き物を世話しているのが、ハチが所属している生物委員で。他の委員会と比べると、あまり行事などで活動をしている姿は見られず、俺の火薬委員会と同様に地味に見られがちだけれど、天候や体調に関係なく日々の活動を怠れない、という点ではすごく大変な委員だと思う。
「で、どこに行くんだ? もう餌やりは終わったんだろ?」
「森にな」
「森? 何をしに?」
「ま、来れば分かるよ」
ハチが向かった先は、学園の中でも随分と外れに位置する所で。普段はあまり立ち入ることのないその場所は、裸になった木立が広がっていた。ようやく昇って来た太陽に、うっすらと立ち込めた靄が、淡く金色に染まって、光の粒子がきらきらと輝く。ハチはというと、その比布をかき分け、さらに藪道を進んでいく。俺は彼の背中に付いていくしかなかった。
「よし、この辺だろ」
「え?」
いつの間にか、随分と、開けた場所に来ていた。枝葉が落ちた梢の先に、ぽっかりと抜けるように広がる寒空。足元には、まだ溶けぬ霜の棘を、一糸乱れずびっしりと纏った草たち。酷く淋しい光景だった。
(この場所で、何をするんだ?)
「兵助、その桶の中身、その辺にばらまいてくれ」
「これを?」
「あぁ」
そう言うと、ハチは桶を軽々と持ち上げ、円を描くように桶を振った。すると、中から、野菜くずなどが、どばっと足元の周りに落ちた。俺もそれに倣って、桶を腰の高さ辺りまで持ち上げ、振り回す。
(結構、重いな)
普段火薬壺で重たい物を持つのには慣れている俺も、どっしりと詰まったそれをばらまくのは至難の業だった。桶を上手に円に振ることができなくて、たくさん零れて山のようになっている所と、まったく何もないところと、ばらばらになってしまった。むらができてしまっていたのを見て、ハチが笑みを噛みころす。
「何か、すごい差ができたな」
「仕方ないだろ。手伝わせといて、文句言うなよ」
「あー、悪ぃ」
ハチの朗らかな笑い声が、空気を柔らかく揺らす。と、さっきまで、空虚だった木の枝には、小鳥たちが集まってきて。兎や鼠などの小さな動物たちが、木立の蔭から顔を出した。その、あまりの距離の近さに、びっくりしている俺を横目に、ハチは慣れたように唇を震わせた。その口笛に応えるように小さな鳥たちが囀り声をあげ、地面に降り立つと、野菜くずをついばみ始めた。
「こいつらも、生物委員会で飼っているのか?」
「いや、野生だよ。まぁ、住み着いているけどな」
「毎日あげてるのか?」
「冬場は時々な。怪我とか年で餌を取れない奴もいるからさ」
俺の問いかけに答えたハチは、それから、ふ、と顔を歪めた。彼から零れた言葉が、白い息と共にたなびく。
「自然の理に反するかもしれないけれど」
俺に向けてよりは自分自身に語りかけるように「なんとか生き延びてほしい、なんて俺の自己満足」と自重気味に呟いた彼の、何か苦しみに耐えるような、無理やり造られた笑顔があまりに痛々しくて。普段のハチとかけ離れたそれに、氷の礫を飲み込んでしまったような軋みが俺を襲った。自分でも詭弁だと思ったけれど、ハチに笑ってほしい、ただその一心で早口に話しかける。
「その自然の中に俺たちもいるんだからさ、理に反してないさ」
ハチはちょっと驚いたように目を見開いて、俺を見やった。それから、ゆっくりと目じりと口元を緩めた。柔らかな笑み。春の日差しのような、いつものそれ。
「ありがと、な」
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