竹久々

「ハチ、入っていいか?」

闇を吸い取ったかのような薄墨の障子戸に呼びかける。一呼吸おいて「おぉ」と戻ってきた言葉に俺はゆっくりと横に引いた。何やら書き物をしていたらしく、筆を片手に竹谷が振り向いた。俺とともに入り込んだ風が蝋燭の炎を揺らめかせる。彼の頬に落ちていた影が、深く抉った。一歩部屋の中に踏み込んで、それから、俺の足は石になってしまったかのようにその場に沈み込んだ。

「兵助?」

語尾が上がった声音からは、こちらを怪訝に思う色が混じっていた。

「……やけに静かだな」

前に彼の部屋を訪ねたのはいつだったか。あの時は、部屋中に積まれた虫籠のあちらこちらから、せき込むような音色が聞こえてきた。命を燃やさんとばかりの熱情が込められた虫の調べ。だが、今はどうか。朽ちかけた竹籠は何も入ってないまま部屋の端に追いやられ、ぽつん、その居場所に困ったように佇んでいた。

「あー」

頭を軽く掻いたハチは暫く思案するように視線を宙に彷徨わせ、それから「冬だったから、な」と言葉を濁した。

(あ、しまった)

部屋の様相の変容に、つい、口を突いてしまったその言葉が酷くハチを傷つけてしまったことに気がついた。はっきりとは言わなかったけれど、そこに漂う色にそう思う。冬籠りをする生き物もいるだろうが、多くは寒さを越せないものもいるのだろう。口では「命には期限があるから」と言うけれど、諦観しきれないハチは、この時期になると憔悴とまでいかないものの、持ち前の明るさはくすぶった炭のように息を潜めることを、この数年の付き合いで知っていたはずなのに。

「ハチ……」
「ん?」

名前を呼んではみたものの、言葉が続かなかった。謝ろうにも慰めようにも、どれもありきたりなものしか思い浮かばない。陳腐過ぎる。ハチの心に、届かない。そう思えば思うほど、思考が雁字搦めになっていく。人間は不自由だ。言葉を失えば、この想いを伝う術が見つからない。

「兵助」

黙り込んでしまった俺をハチは手招きした。その柔らかな眼差しに誘われるようにして近づき、彼と向かい合うようにして座り込んだ。ふ、と、あかぎれに傷ついた指先を彼の背中に回していた。体の方が雄弁だった。ただただ、ぎゅう、と抱きしめる。彼の痛みが苦しみが少しでも和らぐように、祈りを込めて。ぎゅう、と。

「ありがとな」

耳元で温かな言葉が滲んだ。俺の頬を指先でなぞらえながらハチには小さな笑みが咲いていた。

「冬は嫌いじゃない。春はやがてくるのだから」
「そっか」
「あぁ。それに、こうやって、兵助の温かさを感じれるし」





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -