鉢雷(home・同居話)
「うげっ、すげぇ人」
「まぁ、しかたないって。今日は元旦なんだから」
こんなたくさんの人に祈られて神様も迷惑してるだろうな、なんて文句を垂れてる三郎を宥めながら、なんとか歩を進める。まぁ、三郎が悪態を吐きたくなるのも分かる気がした。四方八方見回しても、人の頭。なんとか酸素を取り込む空間を確保しようとふん張る足は踏まれて、右にも左にも前にも後ろにもいけない体は、ぎゅ、っと潰されている。
「ちっとも進まないな」
「うん。規制されてるみたいだね」
このあたりでは有名なこの神社に「初詣に行こう」と言い出したのはハチだった。ぐだぐだと年越しそばを食べて、紅白の特典も見て、いつの間にか新しい年を迎えていた。「あー今年もよろしく」「こちらこそ」なんて、わざとらしくペコペコと頭を下げているうちに眠くなってきた頃合いだった。行きたくない、って駄々をこねたのは三郎で。おそらく出てるであろう屋台の甘酒と田楽豆腐につられた勘ちゃんと兵助に「行くだろ」と誘われて「うん」と頷けば、こたつの中で蓑虫状態だった三郎がもそもそと動き出した。「行くんだろ」と。
(なんだかんだで、淋しがり屋だよなぁ)
ふふ、と笑いをかみ殺していて、列が動き出したのに気付かなかった。押し寄せる人波に呑みこまれそうになる。あ、っと思った瞬間には、体が崩れ落ちそうになって。
「っ」
「雷蔵っ」
こけそうになる寸での処で強い力に引っ張られた。そのまま、どすり、と受け止められる。「大丈夫か?」と耳元に三郎の温もり。視線を上げてみれば、すごく近くに三郎の顔があった。途端に、心臓が跳ね上がる。「あ、三郎、ごめん。ありがとう」と、慌てて離れようと思っても、身動き一つ取れなくて、そのまま三郎の胸元に収まるしか術がない。
「ごめんね、もたれかかっちゃって」
「次、動くまでいいよ」
「ありがとう。あ、兵助たちは?」
「今ので、前に行ったみたいだな。けど、大丈夫だろ、携帯、持ってるし」
三郎が喋るたびに、彼の胸に押しつけた耳がくすぐったい。温かくて、幸せだった。
***
「なんか、すごいな」
「うん」
ようやく本殿前に着けば頭上を小銭が飛んでいく。警備員さんが「止まらないでくださーい」と叫んでいて、なんだか物々しい。落ち着いてお参りできない雰囲気だったけど、せっかくここまできたのだから、と財布を探って100円玉を掴み、それから、はた、と気付いた。何を祈るか、決めてなかったことに。
(何、願おうなぁ。んーと家族の健康でしょ、それから学業も。あと皆が笑顔でいられますように。三郎とずっと一緒にいられますように。こんなに願ったら願いすぎかなぁ。一つに絞らないと叶わないっていうし、けどなぁ)
ちらり、と横目を見れば三郎はもうお賽銭をおさめた後のようで、閉じた瞼に睫毛の影が淡く落ちていた。ほんの、1,2秒。す、っと開かれた三郎の目に切り結ばれる光は靱くて。心臓が、鳴る。
(何を祈ってるんだろう)
「雷蔵、どうした?」
こっちの視線に気づいたのか三郎が僕の方を見やった。慌てて「ううん。なんでもない」と手をかぶり振ると、「何願えばいいのか迷ってるんだろ」とからかってきて。「そんなことないって」と握りしめて温かくなった小銭を賽銭箱に投げた。それから、さっと目を閉じて、手を合わせる。
(僕の大切な人たちが、幸せでいられますように)
すぐさま目を開けて「ほら行こう」と三郎の手を引けば、繋いだ先から、面白がるような震えが伝わってきた。
***
繋がらない携帯で連絡を取りようやく落ちあうことができて、僕らはかなり疲れ果てながら帰路についた。僕はといえば、三郎のさっきの表情が頭から離れなくて。気がつけば、歩く速度が落ちていたらしい。先を歩く3人に影が踏まれないくらいの距離が開いていた。
「雷蔵、大丈夫か?」
「え?」
「さっきから、一言もしゃべってないから」
「ん、」
少し先を見れば、いつもの光景。何やらハチが面白いことを言ったのか勘ちゃんの肩が揺れ、兵助がハチを軽くどついていた。年が変わっても、変わらないもの。僕の歩幅に合わせて歩く三郎に「あのさ」と話しかける。
「さっき、何、祈った?」
「雷蔵は?」
「僕は……内緒」
「じゃぁ、わたしは雷蔵と同じことって事にしておこう」
「ずるいなぁ」
僕の言葉に「お互い様さ」と笑っていた三郎は、ふ、と表情を引き締めた。吹き抜ける風が、耳をキンと痛めつける。前を見つめる三郎の視線の先は、ずっと遠かった。さっきと同じ。
「わたしは、神様に、祈り事はしない性質なんだ」
「じゃぁ、目を瞑って、何を考えてたのさ」
「大切な人が、幸せでいられますようにって」
思わず「同じだ」と言いかけた僕の唇は、柔らかに微笑む三郎のそれに塞がれた。
「そうなれるよう、努力するから見ておいてくださいってね」
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