竹←にょ久々(現代)

「おっ、兵助! おかえり」

弾けるような声と同時に、起き上がりこぼしのように跳ねあがった体。ばね仕掛けのおもちゃを見ているような、そんな気になる。塾帰りの疲れた頭では、一瞬、幻想でも見てるのか、なんて思った。隣に住むハチが、夜の10時に、なぜか、自分の部屋にいた。

「…何で、ハチがいるんだ?」
「親戚から大量にブドウが送られてきたから、おすそわけ」

ほら、と指さした先に、山のようなブドウ。たわわな実りのある房には、それを支える黄緑色の茎がわずかな隙間から見えていた。白っぽい部屋の照明を跳ね返すカッティングガラスの模様は、鮮やかなワイン色に刻み込まれている。甘酸っぱさが部屋に僅かに漂っていた。

「や、それは分かったけど、何で、この部屋でくつろいでいるんだよ」
「おばさんが、『兵助、もうすぐ帰ってくるから待ってたら』って言うしよ」
「そう言ううちの母親、いなかったんだけど」

学校からそのまま向かった塾に閉じ込められて必死に勉強してきた疲弊した自分を出迎えたのは真っ暗な玄関で、何か虚しさを覚えたのだ。夜食やなんやと甲斐甲斐しく世話をされたら、それはそれで面倒だろう。けれど、家に帰った時くらい温かな灯と「おかえりなさい」ぐらいはあってもいいんじゃないだろうか、と思う。愚痴めいた口調に、ハチは困ったように頭を掻いた。

「なんか、うちの一家と大人だけで飲み会。おばさんから、聞いてる?」
「聞いてない。はぁ……普通、年頃の男女を残してく?」

幼馴染とはいえ、一応、性差のある二人だ。時間も時間だし、普通に考えれば、ちょっと状況として適切とは言い難いだろう。けれど、ハチは「俺らに今更何かあるわけねぇし」と笑った。確かにそうだ。生まれてこのかた18年、ずっとハチと一緒に過ごしてきたのだ。一年365日のうち顔を合わせないのなんて5日くらいだろう。そんなハチと何かがあるのなら、もうとっくになってるはずだ。

「それもそっか」

だから、そう呟いた。なのに、ひそ、と苦みが残った。巨峰の種を間違えて飲んでしまった時のような。じりじりと渋さが口の上腕に貼りつく。今までにない感情を持て余しながら、皿の中に美しく盛られたデザートを見つめ続ける。

「ま、とりあえず、食べようぜ。これ、巨峰か?」

ラグに再び寝転がると、ハチはガラスの器に手を伸ばした。よく晴れた日の残照のような、深い深い紫紺色の球体が鈴なりになっている。少し短い親指につままれた粒は、あっという間にハチの口に吸い込まれ、「お、うまい」という言葉となった。

(ハチは、食べる時にホント幸せそうな顔をするよなぁ)

そのまま、ずるずるとありとあらゆる所まで緩んできそうな、そんな幸せそうな笑みに思わず俺の手も伸びて。制服を変えるどころか荷物を置くよりも早く、房から切り離して口の中に放り込む。ぎゅ、っと押し込められていたみずみずしさが、ぷちり、と弾けた。

「どう?」
「うん。おいしい」

甘味が押し出されて、そこに酸味の清々しさが隠れているのが分かる。けれど、皮をむかずに食べたせいだろう、その渋みがやがて静かに広がっていく。触れた部分から、ちりちりとした感覚に奪われていった。--------------------------------痺れる。

「何?」

じっと、ハチが俺を見ていることに気づいて。伸ばしかけた次の手を引っ込めて、彼に視線を返す。ぶつかった視線の先にある、その目の色の深さに、吸い込まれそうになる。何だろう、と視線をやっていると、ぽろり、と漏らされた。

「やっぱ、いいよな」
「は?」
「兵助の、その食べ方。豪快ってか、気持ちいいってか」
「豪快、ねぇ」

どう答えればいいの困り、返事の代わりにブドウを3粒つまんで、口に放り込む。さっきより渋く感じるのは、舌が麻痺してるからだろうか。それとも、その言葉の微妙さに、心が痺れているせいだろうか。じりじりと痺れだけが残る。

(…豪快、なんて女の子への褒め言葉じゃないよな)

会ったことは一度もないけれど、きっと、彼のカノジョは、そのきれいに伸ばされた爪で皮をむいて、エメラルドの実を大切に大切に食べるのだろう。一度だけプリクラで見たことのある面立ちが、ふ、と脳裏に浮かんだ。掻き消したくて、ぐっと体に力が入って、

「あ、」

唇の先で弾けたブドウから、紫色の果汁が飛び散って、夏服のブラウスに点々と標を刻んだ。そのシミは胸のあたりで、じわり、と僅かに広がって、そこで打ち止めとなった。こちらの「あーあ」と、呆れ調子の言葉と、それから、「タオル、タオル」と少し焦った言葉が響く。

「いいよ。この夏服着るのも、最後だし。ちょっと早いけど、明日から長袖着るし」
「ほっとくと、しみになるって」
「いいよ」
「駄目だって」

誰に似たのか、変にこういうところは、マメな性格なのだろう。染みを見て「水で落ちるかな」と呟き、動き出そうとする彼を、慌てて押しとどめる。ズボラな上にズボラというこちらからすれば、誰から学んだのかと聞きたいくらいにテキパキと動き、いつの間にか濡れタオルを用意していた。

「ほら、兵助」
「あ、ごめん。自分でやる」

こちら側に向かってきた白いタオルを握る、日によく焼けた手を、思わず振り払った。ごくごく当たり前のように伸ばされていたそれは、自然とその染みを狙っていて。-----------いくらなんでも、さすがに、兵助に触れられて、普通でいられる自信がない。胸が痺れた。

「あ、悪ぃ」

兵助の、「今、気がついた」っていう表情に、ちりちりとした痺れが増していく。
泣きたいのか、笑いたいのか、分からない。ちっとも、分からない。とっくの昔に、恋愛対象から外してる。夜に部屋を泊まることがあっても、何も起こらなかった。そもそも、お互いにカレカノもいて、まぁ、それなりに上手くやってる。けど、唐突に、こうやって距離を縮められると、どうすればいいか分かからなかった。

(胸の痺れの原因はきっと、ハチなんだろう……)

原因は分かっていた。その理由を見たくなくて、ハチから視線を逸らば、べしゃり、とできた紫の染みがあって。そこも見たくなくて、再び視線を引きはがせば、またハチと目が合った。へらり、としたいつもの笑みは潜まっていて。逃げたいのに、逃げることができない。

「あのさ、兵助。俺さ、お前のことが---------」





「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -