文仙(現代・仙蔵がにょた)

「文次郎、寒い」

雨音を縫うようにして隣から聞こえてきたその声は、まるでフィルターに掛かったかのようにぼんやりとしていた。不機嫌な声音も幾分和らいで聞こえるのは、そのフィルターのせいだろう。地面を穿つかのごとく激しく降り続ける雨に、フェンスの向こうに広がっているグランドは泥の海と化していた。薄闇に埋め込まれた景色に、明日に衣替えを控えた夏服の白が浮かび上がる。その下にあるスカートは、普段は揺れている襞も降り込む雨のせいでしっとりと腿に貼りついていた。

「お前がそんな短いスカートはいてるからだろ。もっと丈を長くすればいいだろうが」
「断る」
「何でだよ?」
「ださい」
「風邪引くよりましだろうが。腹冷やしちまうだろうが」
「まるで、オヤジだなその発言」
「……うるせぇ。嫌なら、我慢しろよ」

せっかく提案しても、すぐにこれだ。そもそも雨の日は彼女は機嫌が悪いのだから、腹が立つこともあるけど、しょうがない。陰鬱そうに鈍く光る傘骨の向こうでは跳ねるのが気になるのか、黒髪をしきりと指先で梳く彼女の姿があった。

「なぁ、寒い」
「早く帰ってシャワーでも浴びるしかねぇだろ。雨宿りったって、これだけ濡れてたら店にも入れねぇし」
「あー、寒い、寒い、寒い」
「だから、俺にどうしろって言うんだよ」

溜息しか出てこねぇ、と内に篭った疲れをそのまま吐き出すように呟く。ふむ、と顎に手を当ててしばらく考えていた仙蔵は、ふ、っと顔を上げた。いたずらっ子のような、黒目がちな瞳が俺をとらえた。

「そうだな『暖めてやろうか』とか、どうだ?」
「誰が言うんだ?それ」
「文次郎」
「っ……馬鹿たれぇ」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは」
「……んなこと俺が言ったら、怖いだろ」

それもそうだな、と笑いを含んだと共に風が吹いたら折れてしまいそうなくらいに細い柄をした傘が揺れた。それを支えている、半透明のボタンが一つ外された袖口から覗く枯れ木のような手首も、小さく揺れていた。衰えを知らない雨脚に、傘の天辺にある石突から伝って溜まった水滴は、重力に従うがままに、ぽたぽたと零れ落ちる。

「10月も頭にこの寒さとか、ありえない」
「どうせなら、明日降ればよかったな」

周りの景色が妙に寒々しく感じたのは雨のせいだけじゃなく、このシャツやブラウスの色合いのせいかもしれない。

「なぜだ?」
「明日なら、衣替えもしてるし、もう少し暖かい恰好だろ」
「……あぁ、このブラウスもスカートも見納めか」

何気ない仙蔵の言葉につきり、と胸が軋んだ。まるで心臓の裏側を冷たい雨が穿たれたみたいだ。そうだ。夏用の制服を着るのも、これが最後だ。三年間、当たり前のように隣にあった。当たり前すぎて、すっかり忘れてしまっていた。もう二度と、仙蔵のこの姿を見ることはできないのだと。この目に焼き付けておこう、と改めて視線を注いで、

「っ」

傘が覆う範囲から外れたブラウスが、静かに濡れていた。普段なら気付かない服の皺が、妙になまめかしい陰影を刻んでいる。透けてるんじゃないだろうか、と、そのあやふやな色合いに思わず想像してしまっている自分がいて。罪悪感を覚えつつも、つい、見てしまって、視線のやり場に困ってしまってしまって、、、

「どうした、文次郎?」
「いや、別に」
「……どうせ、邪なことでも考えてるんだろ」
「悪かったな。むっつりスケベで」

火照る頬を誤魔化しきれず、顔を彼女から背けていると、不意に、俺の傘が小刻みに揺れた。なんでだろう、と視線を送ると、俺の鉄紺色の傘に重なるようにして彼女の傘が差されていて。レースライラック色の傘の下で、彼女が体を震わせているのが分かった。

「何なら、このまま一緒にシャワーでも浴びるか」

---------------それは、くすくすと、隣で笑う仙蔵の震動だった。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -