竹久々

雨に濡れた世界は、唐突に秋を連れてきた。地面にできた水たまりには、氷のような冷たい青空がぴかりと映っている。とにかく突っ走っていた俺のスニーカーは飛び越え損ねて、軽く飛沫が散った。だが、そんなこと気にしてられねぇ。まだ衣替えもしていないワードローブから厚手の上着を探すのは骨が折れて、待ち合わせ時刻にはすっかりと遅刻してしまっていたからだ。

(あー、兵助、怒ってるだろうな)

遅れる、と謝罪のメールを送ったまま沈黙を保っている携帯に、自然と意識がその想像に行き着く。普段ならば俺が遅刻していっても「仕方ないな」と盛大な溜息一つで許してくれるだろうけど、今日ばかりは怪しい。なぜなら、寒いから。

兵助は寒さに弱いのだ。冬になると兵助は押し固められた雪像みたいに厳しい面もちになることが多いのだが、単に、寒くて機嫌が悪くなるのだ。まだそんな時期ではないとはいえ、逆に、今日の急激な冷えに彼は堪えてるんじゃないだろうか。

案の定、「悪ぃ、遅くなって」と平謝りした俺に兵助は呆れた一瞥を投げかけただけだった。元々、口数は少ない方だが、全くないというのは怒っているからなのかそれとも寒さゆえなのか分からない。しん、とした寒さが膚から深部へと伝わっていく。「本当に悪かった」と頭を下げれば「いいけど」と細い許しの声が俺を撫でた。

「早く行こう。外は寒い」

先を歩き出す兵助に「あぁ」と相槌を打ち、慌てて顔を上げる。と、いつもと違う背中が目に入った。もこもことした三角形。いわゆるポンチョだ。ずんずんと進んでいく兵助の隣に並ぶと「その服」と話しかけた。さすがに冬装束過ぎねぇか、と言いかけた口を慌てて掌で押さえて塞ぐ。

(さすがにこれ以上、喧嘩の火種を巻くのはマズイだろう)

無理やりぶっちぎった俺を不審に思ったのか「この服がどうかした?」と尋ねられ、「いや温かそうだなっ、っと」と誤魔化す。兵助は「寒いって天気予報で言ってたからな」と答えると、それから「どうせ、冬みたいな格好だとか思ってたんだろ」と疑惑の眼差しのまま俺を見遣った。的確すぎる想像に「いや」と曖昧に濁した俺は困ったと繋ぎの言葉を探して、隣を歩きながらきょろきょろと兵助に視線を遣った。

だが目に留まるのはそのポンチョばかりだ。寒いから、とポンチョの中に手を収めているのだろう。兵助の掌どころか腕すら見えない。ふ、と俺の指先を冷たさが掠めた。淋しさが宿る。

「それ危なくねぇか? 手、出して歩かねぇと、転んだときにさ」

兵助と手を繋ぎたくて。でも、言いだせなくて遠まわしにそんなことを口にする。けど、「手、出したら寒いから嫌だ」とあっさりと断絶されて、あっけなく作戦は失敗に終わった。だから「ちょ、ハチ」抗議を無視して、する、と隙間から手を入れ、兵助のそれを絡め取った。

「場所、わきまえろよ。人、いっぱいいるだろ」

振りほどかれそうになる温もりをぎゅっと掴む。

「いいじゃん。どうせ、ポンチョで見えねぇんだし」

じんわり、と伝わる倖せ。

「それに、ほら、こうやって手を繋いだ方が温かいし」俺の言葉に、逃げようとしていた彼の指先が止まった。それから、ぎゅ、っと握りしめられる。

「……バカ」






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