竹久々

次の音色を諳んじることができるほどに耳にこびりついた「家路」の旋律。17時を知らせるそのメロディは、あちらこちらで、風に流される。早く、遅く、近く、遠く、反響し溶け消えていく。

ゆっくりと、けど、確実にその身を沈めていく太陽。街並みの輪郭は、まるで火にくべた炭のように、赤く燃え上がって、黒く朽ちていった。雲は夕焼けを吸い込んで空に金色の輝きを放っている。残光の明るさは、なんだか落ち着かない気分にさせる。何度見ても、決して同じ景色を見ることはできないのだ、と。

小学校にあるコンクリート製の小さな山に背中を預けて、俺は座り込んだ。昼間の温かさを失ったコンクリートは、よそよそしさを増していく。隙間から入り込んでくる冷たさに、身が縮んだ。湿った夜の匂いが肺に満たされていく。熱を奪われないように、ぎゅっと、膝を抱えた。顔を膝につけて、視界を暗くする。少しでも早く闇に溺れてしまえばいい、と願いながら。そのまま冷えていく世界にどれくらい身を置いていたのか。

「兵助」

ふ、と柔らかい声が俺を包み込んだ。

「やっぱり、ここにいた」

顔を上げれば、まだそこだけが昼間のような明るい笑顔。

「ハ…チ」

手を置かれている頭から、優しさがしみこんでくる。ハチを構成していたのは『確かさ』だったと思う。

ハチの家は、この町でも名が知れた老舗の和菓子屋だった。よく「八左ヱ門だなんて、古くせぇ名前だろ」と零していたが、つまり、それだけ代を継いできた家なのだ。慶事だったり法事だったり、何かあれば贈答品に選ばれる店。受け取った側も、「あぁ、あそこの和菓子ね」と喜ばれたりする店だった。

ハチは一人息子だったけど、歳の離れたお姉ちゃんがいて、もう結婚していた。お姉ちゃんの旦那さんは和菓子職人で、他にもたくさんの職人さんを抱えていて、ハチの家にはいつも人の気配があった。

ハチは無条件に愛されていたと思う。ハチの明るさは、靭さは、優しさは、温かさはその愛情という『確かさ』に裏打ちされているんだろう。

幼い頃、母親の帰りを待つアパートの物干し場からいつも見ていた。ハチの家には柔らかい橙色の光が、ぽっかりと灯っているのを。あそこには確かなものがあって、ハチはそれに包まれているのだ、そう思いながら。それを羨ましいと思った事がないと言えば嘘になる。けれど、こうも思ったのだ。

どうか、どうかハチが倖せでありますように、と。ハチの明るさが、靭さが、優しさが、温かさが変わりませんように、と。





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