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学校が終り、塾に行く。家に帰りつくと午後10時は過ぎていた。
いつものように家政婦の用意してくれた食事を一人でし、自室に向かおうとしたところで、玄関で音がする。

「こんばんは」

人の声が聞こえて、バタバタとスリッパを鳴らしながら玄関まで向かう。

「あ、恭介さん……こんばんは、慶介さんが飲みすぎてしまわれたようで……」

兄の腰をしっかりと掴んでいるのは、父親の秘書の池上だった。

「すみません」

慌てて池上から兄を受け取ろうとすると、

「お部屋までお連れしますよ。すみませんが、恭介さんは慶介さんの靴を脱がしていただけますか」

と言われ、しゃがみこんで兄の靴を脱がせた。
池上は慣れた足取りで兄の部屋に向かう。
こんなに飲んだ兄を初めて見た。

「何かあったんですか?」

「ええ、まあ……」

と酷く歯切れの悪い言い方をする。

「社長と少し……でも、気になさることはありませんよ」

池上の少し前を歩き、兄の部屋のドアを開け、電気を点ける。
壊れ物でも扱うようにベッドに横たえられた兄のネクタイを解き抜き取られ、枕元に綺麗にたたまれて置かれる。
そして、ボタンを一つ外された。

「水を……」

「あ、俺が…」

そう言うと、池上は

「恭介さんは少し、慶介さんについていて頂けますか?私がお水を…」

と言って、部屋から出て行く。
パタンとドアが完全に閉まるのを見ていると、ベッドの上の兄がうーんと唸った。

「兄さん、しんどい?大丈夫?」

ベッドの横で膝立ちになり、心配そうに覗き込むと、火照った頬と潤んだ瞳が視界に入って来た。

「きょう、すけ?」

「うん、池上さんが連れて帰って来てくれたんだ……大丈夫?」

「……そうか…あ、うん、大丈夫だよ」

飲みすぎたかな……そう言ってぼんやりと天井を見つめる兄の顔を見る。
少し上気してピンクになった頬と潤んだ瞳。シャツのボタンを開けた奥に見える白い肌……
背中を駆け抜けるような疼きを覚え、一気に焦りが駆け抜けた。

「あ、今、池上さんが水を……」

その焦りを誤魔化すように言ったところで、兄が口を開いた。

「結婚するんだって…」

言われた言葉の意味がわからなかった。

「……え?」

「俺、結婚するんだって。見たことも……会ったこともない銀行の頭取のお嬢さんと……ははっ……」

そう言って、目の上にシャツの腕が乗せられる。
長かったかもしれない重い沈黙のあと、シャツの腕に半分隠された顔の唇が歪められる。

「……父さんの言う事は、絶対なんだ…」

「で、でもっ」

「俺には選択権はないんだよ。だって」

その続きは聞きたくなかった。
きっと兄は「使用人の子供だから」そう続けようとしたんだと思う。
聞きたくない身勝手な体はそう言わせまいと動いてた。
体を押さえつけるようにして塞いだ唇は、濃いアルコールの匂いと味がした。
思った以上に柔らかくて、熱かった。
「……んんっ」
鼻から抜けるような兄の吐息と抗うように肩を押す腕。
それを無視して夢中になって啄ばんでいると、ドアをノックする音が聞こえて、慌てて唇を離す。
シャツで抑えられていたはずの目が、大きく開き、自分を見上げていた。

「……ごめんっ」

それだけ言って、急いでドアに向い開かれそうになっていたドアノブを思いっきり引いた。
お盆の上に水を載せた池上とぶつかりそうになったけど、構わず隣の自室に飛び込んだ。
兄が名前を呼んだような気がした。
だけど……やってしまった事の重大さに気づいた俺の耳には、急に動きを早めた心臓のドクンドクンという音しか聞こえなかった。

やってしまった……

薄々気づいてはいたけれど、それでも認めてはいけない感情なんだと蓋をした。
それなのに……

やり切れない思いを抱えるには自分はひどく子供だった。
どう処理をすれば良いのかわからず、財布だけを掴んで夜の街へと飛び出した。
街と言っても田舎のここは、夜の10時を過ぎれば人気はなくなる。
それでも明るいほうへ行く気はしなかったから、暗いほうへ、更に人気のないほうへと足は向かう。
そうして行き着いたのは小さな公園だった。
ブランコと滑り台。その前に小さな砂場だけの公園の、砂場の横に備えつけられたベンチに座る。
少し落ち着いてきた思考で空を見上げた。
大きくて丸い月が夜を支配していた。


……結婚


慶介だけじゃなく、恭介にとっても父親の言葉は絶対だった。
だから、きっと、兄は結婚をするのだろう……
そして、自分は……





表向きは平静に時間は流れていった。
忙しい振りをして、兄に関わることを極端に避け、家にいる時間を少なくする。
焦っていなかったわけではない。辛くなかったわけではない。
どうすれば良いのかわからなかったのだ。
そんな自分にとって受験勉強という名目は最大の逃げ場だった。
時おり会う兄も何かを聞きたそうな顔をするけれど、それでも何も聞かずに笑みをこぼす。
その笑顔に痛む胸を隠し、平静を装う。
夏に持ち上がった話しは、あっと言う間に進み、年末を迎える頃に兄は結婚してしまった。






やり切れない思いを抱えているのは自分だけじゃないと知ったのは秋ごろだった。
席替えで後ろの席になったとき、竹中の視線が岩田を捉える。
休み時間、授業中。
向けられる視線の中に熱を感じて、襲ってくる衝動のままに手を出した。

最初は仲間が欲しかっただけなのかもしれない。
触れる肌は熱を帯びるとピンクに染まる。
心地よい体は最初こそほんの少しの抵抗を見せたけれど、自分を受け入れてくれる……
卑怯だと思う。
心の奥の奥に抱えた感情を押し殺して、身代わりのように抱く。
でも、その関係を終わらせることは出来なくて、求めたら差し出してくれる行為に甘え続けた。
逃げ出すという行動に出た自分の手を掴んでもくれた。
思った以上に離し難くなってしまった……。
隣に横たわる体に、手を伸ばすと、最近甘えることを覚えたのか擦り寄って来て、腕の中に納まる。
その体に腕を回し、心の中で呟く……


どうか、純だけは……純だけは、離れて行かないで……


レースのカーテンだけを引いた部屋の中に、月の光りが注ぎ込んでいた。
この感情は好きとは違う気がした。
それでも自分を受け入れてくれるこの場所を失うことに恐怖する。
岩田の存在が純の心の中にあり続けるのには気づいてる。
それでも卑怯な自分は気づかない振りをし続ける。
兄と同じように自分から離れて行かない様に……


もう一度ぎゅっと抱きしめた純の体の向こう、あの日と同じように大きくて丸い月が見えた。







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