4 大手の企業からの仕事は久しぶりだった。 通信販売で販売する組み立て式のローボード。それに付属させるネジを是非そちらのネジでお願いしたいんです。 そう言って来た営業マン横山の顔は白くてのっぺりとしていたように思う。 着ているスーツには皺が一つもなく、水色のワイシャツに紺のストライプのネクタイが良く似合い、 清潔そうな空気を纏っていた。 履いている革靴を汚すのが嫌なのか、是非に…というわりに、油の匂いが充満し、 所々に鉄粉が錆びて赤くこびりついた工場内に足を踏み入れるのを躊躇する。 爪先立ちに近い状態で招き入れた住居と繋がっている事務所に入っても、勧めるソファに浅く腰掛けた彼を見て、 そんなに嫌なら電話だけでも良かったのに…と思わずにはいられなかった。 特に宣伝も広告もしていない小さな町の小さな町工場。 そんなところにどうしてこんなに有名な会社の営業マンが自ら出向いて来たのかと不思議に思ったけれど、 久しぶりの大きな仕事に、隣に座る親父は二つ返事で即答し、必要な書類に書き込みが終わり受け取るや否や、 横山は飛び出すように帰って行った。 「忙しくなるぞ!」 そう言った親父の目は、ここのところの不振に気をヤキモキとしていた分、あからさまに安堵の色を滲ませていた。 親父の予言通り、追われるように仕事をする。 朝から晩まで従業員総出で仕事をし、頭の中は仕事の色で一色になる。 それは……それは、俺に取って、良いことだった。 相変わらず竹中から連絡がないことも、小椋や山下と気まずいままなのも、すべてを忘れることが出来たから。 いや、それがあったからこそ、仕事に熱中できたのかもしれない… その甲斐あってか、小さな工場では無理ではなかろうか…と思っていた数もこなし、 納期ギリギリではあったけれど、なんとか納品できた。 それが功を奏したのか、次から次へとその企業から仕事が舞いこむ。 忙しく、慌しい日々が続く。 最初こそ、工場内に足を踏み入れるのを躊躇していた営業マンの横山も、工場に来る回数が増えたからか、 戸惑うことなく事務所に入り、ソファにゆったりと腰掛けるようになっていた。 蝉の声が充満する8月上旬。 事務所に冷房なんてものはなく、年代物の扇風機がうるさい音と共に送る生ぬるい風を受けながら、氷の入ったグラスをテーブルに置くと、汗の玉を額に浮かべていた横山は、待ってましたといわんばかりにグラスを手に取った。 一口含んで、喉の奥に流し込むと、ホッとしたのか気の抜けた顔を向けた。 「暑いですねぇ」 「ははは、すみません。エアコンつけても、ここにいることがないから電気代がもったいないってお袋が言うから」 「あっ、いえ、そうゆう意味ではなくて……えっと、その、夏だから、暑いですね、と……」 自分の返答に酷く恐縮しながらも、額に浮かぶ汗を綺麗にアイロンが掛けられたハンカチで拭う。 首の振りが悪い扇風機が時おりカタンと音を立てては躓き、滞り、思い出したようにまた首を振る。 沈黙は、重くなかった。 寧ろ、気持ちが良いくらいに蝉の声と遠くに子供のはしゃぐ声が聞こえる。 ジージーと鳴く蝉の声に耳を傾けていると、「小椋」と横山が口を開いた。 「直也さんは、小椋と同級生なんですよね?」 意外な名前が出てきたことにびっくりしつつも、ええと答えると、横山の顔が破顔する。 「俺も大学の同期なんですよ。最も、向こうは法学部のエースで、こっちはやっとこ入った経済学部でしたけど」 「……へぇ」 「サークルが一緒だったんです。 今回、こちらにお願いしたのは、小椋からの紹介で…… 今まで中国の工場に依頼していたんですけど、品質がいまいち…というか、きちんと跡処理がされてなくて、 結果、お客様が怪我をしてしまったって事があったんですよ。 それで、どこか良い工場はないかと相談したら、幼馴染がやってるからって紹介してくれたんですよ」 ありがたい……そう思わなければならないことだとはわかっている。 けれど、素直に言葉が出ない。 「けど、実際、納期も守ってくださいますし、品質も言うことない。 まぁ小椋が紹介してくれるくらいなので、下手なところは紹介しないでしょうけど…… あいつに相談して良かったです」 穏やかな笑みを浮かべる横山に愛想程度の笑いしか浮かばない顔を向ける。 胸の中につっかかる思いがうまく言葉を紡ぎ出せない。 「あいつに……小椋に、連絡をすることがあれば、礼を」 「ええ、わかりました。こちらこそ、こんないい工場を紹介して貰ったんですから。 あ……また機会があれば小椋と3人で飲みにでも行きましょう」 グラスの中の麦茶を飲み干すと、横山は笑みを浮かべたまま帰って行った。 作業に戻り、次の納品の準備をする。 箱の中に納まったネジを数個手のひらに乗せてはバラバラと箱の中に落としていく。 その中の一つを摘み上げる。 小さなネジ一つ。 誰がどんな思いを込めて、どんな作業を経て作っているのかなんて、手にした人物にはわからないし、 興味すらわかないだろう。 だけど……このネジ一つがなければ出来上がらないものが五万とある…… だからこそ、丁寧に仕事をしないといけないんだ。 小さなころ、汚れた大きな掌で俺の頭を撫でながら、親父が口癖のように言っていた言葉。 それは小椋も聞いていたから、その思いはきっとわかってくれているだろう。 だから、小椋は紹介してくれたんだ。 あの時、一方的に小椋を責めて、その場を後にした。 大人気のない自分の行動を恥ずかしくも思った。 きっかけをくれたのかもしれない。 謝るきっかけ……連絡をするきっかけを…… それなら、直接に連絡を…… そう思い携帯を手に取る。あれから3ヶ月ほど経った。 大丈夫。礼を言うだけ。そう思うのに、アドレスから呼び出した小椋の番号に繋がることを躊躇する親指が止まる。 その裏に何かありそうな気がして仕方ない。 深読みする自分がいる。 小椋の行動にただただ感謝をするだけの自分ではいられなかった。 [*前] | [次#] ≪戻る≫ |