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形だけの見合いは滞りなく進んでいるようだった。
他人ごとのように進む無難な会話と、貼りつけた笑顔。
ゆっくりとした食事を終え、目の前に食後のジャスミンティーだとか言う洒落た飲み物を飲んでいるとき、小椋の母親は口を開いた。

「それじゃあ、あとは若い二人で……」

今日何度となく言われ、何度も吹き出すのを堪えては、本当に言うんだなぁと思っていたセリフの数々をここでも何とか堪えて、ちょうど口に含んでいたジャスミンティーを下向いて無理矢理に飲み下す。
待ちに待った瞬間だ。多少飲み込むのに痛みを伴ったとしても大したことじゃない。
その様をじっと見ていたのか、肩を小さく小突く存在に気づき、ふと視線をそちらに向けると呆れたような目線を送ってくるお袋が口だけで「しっかりね」と伝えてきた。
どうやら気に入ったらしい。
確かに申し分のない子なのかもしれない。
最初こそ緊張していたけれど、場が進むに従って緊張も解れてきたのか可愛らしい笑顔で無難な発言をする。
頭の良い子だった。

「行きましょう、岩田さん」

「ええ、……大切なお嬢さんなんだから遅くならないようにね」

席を立つ小椋の母親に倣って、母親らしい一言を言ってお袋も席を立つ。

「今日はお忙しいところ、ありがとうございました」

立ち上がってそう告げると、美紀も急いで立ち上がり「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げる。
その言葉に満足したような笑みを浮かべて、さっさと小椋の母親は去って行く。
お袋がもう一度念を押すように肩をグッと掴んで、そっと放して、美紀に「よろしくお願いします」と告げる。
“はい”とも“こちらこそ”とも言わず、ただ無言で美紀はもう一度頭を下げた。
仕切りの向こうに二人の背中が消えると同時に席に着くと、向かいの席に座った美紀からふ〜という息を抜く雰囲気が伝わってくる。
カップから目を上げて向けると、「あ」と一瞬驚いて「すみません」と小さな声で詫びて俯いた。

「緊張した?」

気軽な調子で問いかけると、少し経ってから「もちろんです」と答える。
開き直ったような口調に、さっきとは変わったなと思ったら、上げた美紀の顔の印象が、ガラリと変わった。

「岩田さんは緊張してなかったんですか?」

「い、いや……もちろんしてたけど……」

幼気で可愛いだけの子ではなかったようで一瞬怯んだ。問いかける言葉が直球になったなぁと思う。
それでも仕草は第一印象の通り、可愛い女の子だった。
カップを取ると大切そうに両手で包む。
しばらくカップの中を見ていた美紀が目を上げた。

「結婚する気は、ないんですよね?」

確信に満ちた目線がまっすぐに突き刺さる。

ここに来るまでは、良くわからなかった。
嫌だ嫌だと思う気持ちの中に、ちょっとした期待もあった。
本当に良い子で、結婚を望んで、自分も望めて、そうやって大切に穏やかに暮らしていける未来があるのなら、それはそれで良いのかもしれない、とも思った。
メインの金融機関から嫁を貰えば、融資の話だって通りが良くなり、工場だってそれなりに安泰だろう。
そして、解放されるかもしれない……竹中に対して抱いている感情から……と。
そうやって穏やかに暮らしていけば、そのうち忘れて、でも小さな街だから、思い出のある場所では思い出したりして、ちょっとした感慨に耽って、でも家に帰れば心落ち着く家庭があって……それを繰り返していれば、そのうち本当に忘れられるかもしれない、と。
話をもらってからの数日間、渦巻く色々な感情の中にそういう感情も確かにあった。
だけど、そう思いながらも本心では、“それは嫌だ”と思う自分もいた。
欲しい、あれが欲しいと強く思う。
せめぎ合う背中合わせの感情に、どうしようもない事をあれやこれやと考えることに、正直疲れた。
だから、観念した。
しかし、小椋の母親の事情によって、急遽見合いが早まり、それはそれでも良いのだが……本来そういうことってあるのだろうか?
礼儀やマナーが重視されるべき見合いである。
合コンとは話が違う。
つまり……自分たちの見合いなど、小椋の母親からすれば、自分の都合の方が優先される事項だった。
形だけ進めば良い。
見合いをした。
話を取り持った。
それだけの事実があれば、自分の責務は果たされる。
そういう態度が、端々から感じられた。

そして……美紀の態度と雰囲気からも、結婚はまだ早いと思っているのが伝わってきた。
だから今は迷いなどない。
彼女の質問に満足する答えを即答した。

「ないよ」

「やっぱり」

美紀はふふふと満足そうに微笑んでカップの中身を一口含む。
そうして、カップをテーブルに戻したと思ったら、「良かったぁ〜」と言いながら力を向いて背もたれに体重を預けた。

「美紀さんもないんですね?」

「もちろんです」

背もたれから体を起こした美紀は、もう一度大切そうにカップを取った。
視線があった。
核心に触れても良いような気がした。

「一つ、質問しても良いかな?」

「何ですか?まさか趣味とか聞かないですよねぇ」

「いや、趣味はさっき、ふ、ふらわ〜あれんじめんと」

「フラワーアレンジメントですよ〜」

「そうそう、それだって聞いたよ」

「だったら聞きたいことってなんですか?」

好奇心と茶目っ気のある黒い大きな瞳がキラキラと光る。
第一印象と見合いの最中のように“お嬢さん”と言った雰囲気ではないけれど、肩の力の抜けた美紀は、普通に出会っていれば、心動かされたかもしれないと思う。
この方が彼女は魅力的に見えた。
だけど、やっぱり迷いはない。


「今回の見合いのことなんだが……」


俺の言葉に美紀が素早く反応した。
そうして、にっこりと微笑んで「私もおかしいと思っていたんです」、そう言った。









あのままあの店で話しをしても良いような気がしたが、何となく小椋の母親のテリトリーのようにも感じられ、誰が聞いているかわからない状況では話しづらいから……と美紀の言葉を受けて場所を移すことにした。
気が合うなぁと呑気に思う。
多分、俺たちの境遇は似ている。

通りに出ると春にしてはまだ冷たい風が吹いていた。
すぐ近くだから……と美紀おすすめのカフェに向かう間、きれいに植えられた街路樹の中に桜の木を見つけた。
枝の先につけたつぼみは、まだ固く閉じられている。
冷たい風の中にそれでもしっかりと春の気配を感じ取りながら、一言二言言葉を交わし、急く気持ちを押し込めるようにして足を進めた。
大通りから外れ、ビルの2階にあるカフェは灯りをグッと抑えられていた。
テーブルごとの間隔が広めに取られ、更に仕切りをされ、大振りな観葉植物がところどころに配置されていた。
一つ一つのテーブルには、小さなキャンドルが添えられ、不定期に揺れる炎の灯りが落ち着く空間を演出していた。
店内には大きすぎず、かと言って小さすぎない程度にゆったりとした曲が流れている。
ここなら多少込み入った話をしても、周りに聞こえることはないだろう。
一人掛けなのか二人掛けなのかわからない大きくゆったりしたソファに腰を落ち着け、コーヒーを頼んで運ばれてくる間、窮屈な襟元に指を突っ込んで隙間を作っていると、前からクスクスと笑う気配がする。

「お見合いの間もそうやってましたよね」

笑いながら言われた美紀の声に少々尻の座りが悪くなる。

「普段は作業着だから」

もぞもぞとしながら言い訳を言うと更に笑みを深くした。

「解いてくださって結構ですよ」

お預けをくらった犬のような感じだなと苦笑しながら「じゃあ、遠慮なく」と答えて一気にネクタイを解く。
締められていた首元が開き、途端に呼吸が楽になる。抜き取ったネクタイをスーツのポケットに突っ込んでいたところで、コトンと目の前にスッキリとした真っ白いマグカップが目の前に置かれた。
お互い一口ずつ含んだところで、美紀が口を開いた。

「さっきの話ですけど……」

「うん」

「年末くらいに父の会社が傾きかけていることを知りました」

信金というところは、地元で親が何らかの事業をしていたり、取引先に勤めている子の方が有利に就職が出来ると聞いたことがある。
親にとっては融資の話が通りやすく、働く子供も親の会社が共倒れしないために必死に働く。
いずれは跡を継がなければならないかもしれないのだから、信金側からすれば未来の顧客と強力なパイプを作っていると思えなくもないし、子供の方も地元の企業を相手にするのだから、継いだ後の他企業とのパイプも作りやすい。
美紀も例に漏れず、父親が小さな鉄工所をしており、うちと似たような感じの町工場の娘だった。
しかし、美紀の実家はうちと違って厳しい状況だった。
娘が勤めていたとしても、融資が通るかどうかわからない。
何とか年は越せたけれど、まだまだ状況は厳しい。
そこへ、子会社が信金の取引先でもある小椋の母親が首を出してきた。

どこかに良いお嬢さんはいないかしら?お見合いの話があるの。

その言葉を聞いた担当の営業主任は、信金内に目をつけた。
ここで小椋の母親に恩を売っておけば、後々自分たちにとっても損はない。
見合いさえ受けてくれれば、うちから仕事を回しても構わない、と小椋の母親は言ったらしい。
そういう話なら……と美紀に白羽の矢が立ったのだ。
美紀自身では断られる可能性があったため、営業主任は美紀の父親に話を持っていった。
藁にもすがる思いで父親は“願ってもない”と営業主任に了承し、美紀に頭を下げて頼んできた。
美紀もそんな父親の気持ちに答えて、嫁いでも良いと覚悟を決めた。

「じゃあ、断れないんじゃ……」

思わず口を挟むと、「最後まで聞いてください」とたしなめられた。

「まぁ、とは言っても、一休さんの“とんちくらべ”みたいなものなんですけど……」

「……まさかっ」

「はい。見合いを受けろっていう条件でしたけど、それで結婚しろとは言われていません」

にっこり笑って美紀はそう答え、「もう仕事も受けて進めているので問題はありません」と続けた。

「大丈夫なのか?それで、断っても……」

「江戸時代じゃないんですから。多分、大丈夫ですよ」

多分の部分を強調しながらだったけれど、小椋の母親の態度を思えば、大丈夫なような気がした。

「ということは……やっぱり、この話は」

「おかしいです」

俺の言葉を正しく受け継いだ美紀に大きく頷く。
見合いが始まる前から思っていた疑問と、俺の考えた筋道が重なっていく。

「岩田さんは、結婚をしたいわけじゃない」

「美紀さんも」

「だったらこのお見合いの話は……誰が言い出したんでしょう?」


言い出したのは……たぶん小椋だ。
そこにすべての接点が集まっているのだから。
でも、その理由がわからない。
うちの工場が軌道に乗って、俺が結婚をする。
友達とすれば、俺のことを考え、俺に幸せになって欲しいということだろう。
だが、今や交流すらもないような状態だし、友達として些か行き過ぎである。

俺が仕事に追われ、結婚をして……小椋に取って何か利益があるとすれば……



「あ」

「どうしたんですか?誰か思い当たる人がわかりました!?」

「え……いや……別に」

勢い込んで聞いてくる美紀を片手で制して、まさか、そんな……と続く言葉は、体の中に溶け込んで、破裂しそうな勢いで血液と一緒に手足の先まで運ばれる。



小椋の携帯が鳴っていた。
着信を知らせたほんの一瞬。
浮かんだ名前が、蘇る。



あの時からだ。



小椋と俺の仲が、おかしくなったのは……







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