欲情と愛情の狭間で… 4 カレンダーの上ではまだ春と呼ばれる月なのに、照りつける太陽の日差しの中に夏の気配が漂っていた。 まだ梅雨に入る前だからか。 じめじめとした湿気は感じられず、肌の上を滑るように風がさらさらと流れていった。 それでも日が西に傾く頃には急激に気温が下がり、暑さを感じる昼間に出かけたままの格好でTシャツ一枚なのを少しだけ後悔した。 小椋から連絡があったのは金曜日である昨日の夜で、仕事が一段落したから食事にでも行こうと言われた。 転勤してきて1ヶ月。仕事の内容自体はそう変わるものでもない。 2週間もすれば慣れてしまった。 慣れてしまって出来た余裕に考えなくても良いことを考えるようになる。 それでも岩田に教えられた連絡先に連絡をしなければ会うことはないのだと自分に言い聞かせたところで、 また偶然にでも出会わないだろうかと期待せずにはいられなかった。 指定された待ち合わせ場所はこの間岩田と別れた駅の駅前。 今日は先日と違って反対方向から乗ったにも関わらず、電車に乗り込んだときに、その姿を捜さずにはいられなかった自分に、少しだけ苦い笑いが漏れた。 改札口を抜けるとあの日と同じように車が止まっているのが見え、近づけば気づいたようで、内側からドアが開いた。 「お疲れ。待った?」 「いや。ついさっき着いた」 肌寒い外の空気と違い、乗り込んですぐ滑らかに走り出した車の中の温かさにほんの少しだけホッとした。 小椋の行きつけだという居酒屋は、普段の彼からはかけ離れていて、庶民の匂いが漂う、つまり俺が気後れするような感じの店ではないことに少しだけ驚いた。 煤けた臙脂色の暖簾を下げる店は、繁華街から少し離れたところにあり、昭和の匂いが漂う。 暖簾を潜って先に入った小椋の後を入れば 「あら、小椋くんじゃない」 と声が聞こえる。 小椋の後ろに俺がいるのを認めると少しだけ目を大きく瞬いて、あちらにどうぞと奥の席へと促される。 小椋について行けば、気の良さそうな奥さんがおしぼりを持って近寄ってきた。 初めて来た店なので物珍しさから店の中をぐるっと見渡せば、カウンターの中にいる気難しそうな主人と目が合う。 逸らそうかどうしようかと思っていたら、気難しい顔がクニャっとして優しい笑みを浮かべられ、 つられるようにして笑顔になったけれど、少し引きつったようになってしまった。 「いらっしゃい」 おしぼりを手渡しながら言う奥さんの手を見て母親を思い出す。 柔らかそうで、優しい手だった。 「こんばんは」 にこやかに話しかける小椋の表情も優しい。 「お友達?」 1つ頷くと、 「初めてだわ。小椋くんが友達を連れてくるなんて……」 「はは。友達くらいいますよ」 爽やかな笑顔を貼り付けている小椋の顔は久しぶりに俺が見た顔だった。 その笑顔は高校の時に見ていたもので、俺と二人で会っているときの小椋の顔はもっと砕けた笑顔になる。 基本的に内と外を使い分けるタイプだとは思っていたけれど、久しぶりに見ると少しだけ新鮮な気がした。 車で来ているから小椋はウーロン茶。気まずいとは思ったけれど、今更遠慮をするような仲じゃない。 心置きなく飲ませて貰う事にした。 小椋が適当に注文を言うと、ごゆっくりどうぞと言って奥さんはカウンターへと向かった。 程なくして来たビールとウーロン茶で形だけの乾杯をして、突き出しの筍の煮物をつつく。 あっさりとした煮物は家庭の味で、うまかった。 そのうち色々な料理がテーブルの上に並びだす。それを少しずつ摘みながらぽつりぽつりと会話をする。 会話自体はそう多いものではなかったけれど、今の仕事の話や昨日のテレビの話、上司の愚痴を言い合って楽しい時間をそれなりに過ごした。 気分も良くなって、ほろ酔いになったところで小椋の携帯がなった。 画面に表示されている名前を見て、小椋の眉間に一瞬皺が寄る。 悪いと言って鳴り続ける電話を手に、店の外へと出て行った。 1人きりになると何となく居た堪れなくなって周りを見渡した。 そんなに広くない店には、休みの日だからだろうか。他に来ている客は男性の1人客が多い。 普段の小椋もこの中に混じっているのか…と思うと、少しだけ小椋のテリトリーに入れて貰えたようで嬉しかった。 大学を出てそのまま就職をした自分とは違い、卒業と同時に小椋は地元に帰った。 父親の強い勧めだったらしい。 いつまで親父の言う事を聞かなきゃならないんだろうな…と卒業間近に不満を言っていたことを思い出す。 それでも名前まで覚えて貰えるような店を見つけているのだから、案外楽しんでいるのかも知れない。 電話の相手は仕事関係だろうか…そう思っても直接小椋に聞いたりしない。 恋愛感情が伴わない体だけの関係なのだから、気にしなくても良い。 だけど…小椋に女の気配を感じたことは一度もなかった。 背も高く、頭も良い。育ちも良いから、醸し出す雰囲気で寄ってくる女の子はきっと多い。 まあ、俺が知らないだけで、小椋のことだからその影を見せないだけなのかもしれない。 そんな事を思っていると、小椋が戻ってきた。 仕事の話なら、今日はもう帰ろうかとも思ったがもう少し飲もうと言われたので、 仕事ではなかったのだろうと思い、そのまま飲み続けた。 店を出てこれからどこに行くのかなんて聞かなくてもわかっていた。 いつものようにマンションの駐車場に滑るようにして停車した車から降りると、 少し飲みすぎてしまったようで、ふらふらと体が左右に傾く。 それを支えるようにして腰に回された腕の熱がTシャツの薄い生地を通しても伝わってくる。 オートロックの自動ドアが開いて、エレベータに乗り込んだ直後、腰に回っていた腕に強く引き寄せられる。 あっという間に宛がわれた唇も熱くて、激しくて、抵抗する暇も与えられなかった。 最上階に着くまでの間に貪られ続け、離れた小椋の唇がお互いの唾液でキラキラと光っていた。 玄関に入るや否やまたしても口付けをされようとしたとき、今までにないくらい小椋は焦っているのだと思った。 カツンと当たった前歯がお互いの唇を傷つけた。 滲んだ鉄の味が混ざり合って一瞬にして消える。 こんなに焦っている小椋は初めてで、どうして良いのかわからない。 求められるから差し出せば良いのだろうが、岩田の存在がチラチラと頭の隅に浮かんでは消える。 「まっ……ん」 待ってと言いたいのにその隙も与えられずに塞がれる。 Tシャツの中に入って来たと思えばそのまま背中に腕が回り、全体を撫でるように這い回った後、 ジーパンのウエスト部分から中に入って来た。 そのまま臀部を鷲掴みにされれば、意味を持った動きだという事はわかって、せめて玄関ではなく、部屋に行きたくて、背中に回した腕で小椋の腕を引き抜いた。 それにびっくりしたようで、唇が離れる。 「まっ……て。せめて、部屋に……」 その声に我に返ったようで、 「……ああ」 と言葉を発した唇を手の甲で拭った。 靴を脱ぎ、寝室へと向かう。 何となく間に流れた空気が気まずいものになったような気がして、小さな溜息が漏れた。 寝室に移ったは良いものの流れ出した空気が重くて気まずい。 ベッドに腰を下ろして膝の上に両肘をついて頭を抱えてしまった小椋にどう接していいのかわからなくて、 「……シャワー、浴びて良い?」 聞くと、そのままの姿勢でああと小さく返事が聞こえた。 シャワーを浴びて出てきても、小椋の違和感は変わらなかった。 余裕がない。 早急に求め、乱暴に扱われ、体を解放されたのは、日付が変わってからだった。 次の日に小椋は用事があるとかで早々にアパートまで送られた。 体中がだるかったから助かったけれど… 気になる。そう思っても聞くことは出来なかった……。 [*前] | [次#] ≪戻る≫ |