欲情と愛情の狭間で… 3


小椋のマンションからまだ荷物の片付いていない自分の部屋に戻ってきたのは、日付の変わる少し前だった。
情事の色を濃く残した自分の体は、まだそこに小椋が入り込んでいるような感覚がいつまで消えない。
初めて小椋と体を重ねたときのような感覚。

転勤で地元に、と言われた。
実家に戻ってくれば良いと言った母の言葉を断ったのは、小椋と未だに繋がっていたからだ。
あの時から今まで。
小椋との関係はずっと続いている。
10年近く一緒にいて、未だに続いているのは…恋愛感情がないからだ。
そこにあるのは、欲情だけ。
俺と会っているとき以外の小椋の事は何も知らない。

『小椋は国立行って、今は弁護士してんだぜ。すげぇよな。生徒会長だったんだもんな』

ふと岩田の言葉を思い出す。

なんだ……

なんだ、あいつはずっと連絡を取っていたんじゃないか。

ふっと笑みがこぼれた。
裏切られたと思う笑みが。
だけど、それを責めることが出来るのか?
出来はしない。
逃げ出したのは、紛れもなく自分だ。
手を差し伸べてくれた小椋に感謝はしても、責めるだけのものを、俺は持ってはいなかったじゃないか。
そう思うと、考えるのが面倒になった。


荷物もそのままに、どうにかそこだけは…と用意したベッドにうつ伏せに倒れこみ、
そのまま夢の中へと落ちて行く。
考えるのを拒んだ脳が、忘れるなというように見せた映像と共に……。



赤い教室が青い教室へと変わる頃、
教室の中では小椋の手練によってもたらされた水音が響いていた。

「……あっ……そ、こ……いやっ」

「ここ?良いの間違いじゃないの?だってこっちはこんなになってんのに」

小椋の顔がはっきりとは見えない。
快感に浮かんだ涙によってか、単に教室が暗くなって来たからか……

後ろに小椋の指が入り込んで、もう随分となる気がする。
最初はきつく気持ち悪いだけだったのに、一本だったそれが二本になり、三本になった。
バラバラと動かされる指の動き。
前立腺を掠めるたびに与えられる快感。
訪れては去っていく波のように。

もっと奥に……

小椋の指だけでは足りないと感じる自分の浅ましい体。

欲しい……

決定的な終わりが欲しい。

体を離れてしまった心が、もう岩田を求めないように。
不毛な恋愛に苦しまなくて良いように。
そちら側の綺麗な世界にいる岩田を求めることが出来ないくらいに。
地の底まで落とされたい…

だから、欲しい……

「……欲しい?」

欲求を求めたときに差し出された手はひどく甘い匂いを解き放つ。
受け取ってしまえば地の底まで落とされる。
それでも甘く誘う手を振り払うことなんてもう出来ないところまできている。
その手を取ってしまえば、自分の望む場所に、望む快感に…導いてくれる気がしたから。

「ほ、しい……い、れてっ」

あてがわれた熱が、導いてくれる気がしたから……
どこまでも深く、暗い地の底へと……



はっとして開けた目に入って来たのは、まだ日も昇らない暗い自分の部屋だった。

導いてくれた熱は、恋愛感情だけを残して、地の底に連れて行ってくれるはずだった。
だけど…岩田を見れば心は元の場所へとまた戻ってくる。
歪んで、凝縮して、元よりも濃いものとなって…

「一緒にここを離れないか?」

そう言ってまた甘い匂いを解き放つ小椋の手。
その手を縋るように取った自分の手。

そこに、偶然に再会してしまった岩田の存在。
連絡先は俺の手の中に、ある。

だけど……

それに手を伸ばすことなど出来はしないだろう…

そして……

小椋の手を放すことも……





じゃあ、お前はどこに行きたいんだ?


自分で自分に問いかける。

答えなんてない。

途方に暮れるようなこの状況。

それこそが、地の底にいるようだ。

だから自分の肩をぎゅっと抱きしめ、小さく小さく丸まって、存在を確かめる。
ここにいるというように。

そうしてやっと訪れた安心の中、また暗い夢の中へと入って行った。
だけど、もう、あの映像を見ることはなかった。



再び目が覚めたときは遅刻ギリギリの時間だった。
今日から転勤先に勤める。
普通の日常が始まる。

歯を磨いて、顔だけを洗い、クリーニングの袋に包まれたワイシャツを引っ張り出し、
駆けるようにして家を飛び出した。

体に感じる温度は少しだけ冷たい。
だけど、街路樹の間を抜けて照らしてくる春の太陽の光は、
希望にも似た優しい…… 

――優しい光だった。






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