『内山には会いたくない?』そう聞かれ、「はい」と答えると、
『家だと来るかもしれないから』と指定されたのは、さっきのカフェから少し離れた場所にある落ち着いた雰囲気の別のカフェだった。
出されたメニューにはオリジナルブレンドのコーヒーとジュースだけ。

電話をしてから由美子さんに話すのになんと言って伝えれば良いのかを考えていた。

うららに思いを寄せていたことを言わないと、すべてを理解するのは難しい。
キスしたことを言ったほうが良いのだろうか?でも、それは……やっぱり、恥ずかしい……

目の前に置かれたオレンジジュースを、さっきのカフェ同様、意味もなくかき混ぜては音を立てる。

色々と考え悩んでいると「いらっしゃいませ」と言う、マスターの声が聞こえた。
つられるようにしてドアを見れば、取るものもとりあえず…といった感じの由美子さんの眼鏡の奥の目と目が合う。
知り合いなのかマスターに席を指差しながら、オーダーを告げ、どんどんと近づいてくる由美子さんの顔が、徐々に泣きそうな笑顔になったのを見て、心配をさせてしまったと後悔した。
昨日、あのまま相談していれば、この人にこんな顔をさせなくても良かったのに……と。


「ユキちゃん……」

向かいの席に座ることなく、横に立ち止まった由美子さんが、本当に安堵したような声を出した。
そしておもむろに肩に手を置かれ、

「…良かった〜」

と言って、向かいではなく隣に座り込んできた。


「……あ、あの……」

謝罪を口にしようとしたけれど、「ちょっと待って」と遮られる。

テーブルに置かれた私のお水を手に取ると、ぐびぐびと半分ほど飲み込んで、はぁ〜と大きく息を吐き出した。


「ごめん……走ってきたから……」

「いえ、こちらこそ……すみませんでした…」

「良いのよ。どうせ内山がやらかしたんだろうし……」

そこまで言うと、ウェイターがコーヒーを運んできたから、一旦言葉を引っ込めた。
立ち去るのを目で追ってから口を開く。

「……うららが連絡を?」

「うん。そりゃあもう、凄かったのよ〜。『ユキがいなくなった〜』って泣きそうな声で朝の7時に起こされたんだから!」

「……すみません、本当に……」

「ううん。無事でよかった。それより……大丈夫?話せそう?」

顔を覗き込まれて、そっと目を合わせる。
瞼に動いた視線が痛くて俯くと、膝の上に置いた手をぎゅっと握られる。

「……話したくないなら良いのよ、別に」

再び目を合わせると、思った以上の優しい微笑みがあった。
その笑顔に後押しされるようにして、ぽつりぽつりと言葉がこぼれた。

「私……少し前に自分で気づいたんですけど……うららのこと、好きなんです。友達とか、同居人とか、そういう感情じゃなくて、恋愛対象として……ちゃんと男の人として……」

「うん」

驚かないことにびっくりして横に視線を向けると、「気づいてたの」と言われる。

「ちょっと前くらいから、その気持ちが苦しくなってて……」

「…うん、だから、仕事を見つけてあの家を出ようと思った?」

「……はい」

「そう」

「それで……昨日の花火大会で……ちょっとトラブルがあって、うららが助けてくれて……」

キスのことを言おうかどうしようか、と迷っていると、

「キス、したんでしょ?」

一瞬問われた言葉に目を丸くして由美子さんを見ると口の端をニーと吊り上げて笑った。

「昨日、あれからお店に行ったときね、ユキちゃんもおかしかったし、何より内山もおかしかったし、酔ってるところを聞き出したのよ。そしたら『ユキにキスしちゃった』って」

「え?」

「あ!私しか知らないから大丈夫よ。どうしてそうしたいと思ったのかわかんなかったって。でも気づいたらキスしたいなって思って、吸い寄せられるようにしてしちゃったって。女の子にこういう感情を持ってしまった自分の気持ちがわからないって」

「……」

「で、今朝の電話で、私がお店から帰ったあと、ユキちゃんと一緒に住む前に付き合ってたっていうか、まぁそういう関係の男が突然連絡を寄越したらしくって……『あたしって男が好きなのよね?』って自分に確認するためにお店に誘って飲んでたらしいのよ。それでもやっぱりユキちゃんのことが気になってしかたなかったらしくてね、早く帰んなきゃと思いながらもお酒が進んで、どうやら一緒に帰って来ちゃったみたいで……って」

思い出すだけでも、ちょっと眩暈がしそうな光景が瞼に浮かぶ。

「ひょっとしたらユキが気づかないうちにそういう光景を見てしまったのかも……と思って、どうしよう〜!!って私に連絡をして来たって訳」

「……じゃあ……」

「ううん。未遂だったらしい。起きたら一緒に服着たまんまでベッドで寝てたらしいから……見ちゃったの?」

コクンと一つ頷くと、握っていた手を離して「あちゃ〜」と言って、由美子さんが額を抑える。

「それってすごーいショックだよね?内山のことそういう対象に見てない私だって、友達のそういうシーンって見るとへこむわ……それが好きな人なら尚更よね……だけど、ユキちゃんと暮らしだしてから、その辺はきちんとしてたみたいだけどな……まぁ、私が知る限り…ってことになるけど」

すっかり冷めてしまったカップに口をつける由美子さんを見ながら考えた。
確かにすごくショックだった。今でも眩暈がするほどに……
だけど……と思い返してみる。
うららと一緒に暮らしだして、うららがそういうお仕事だって知って、もちろん相手は男性で……年齢を考えればお付き合いをしている人がいてもおかしくなかった。
それなのに、一度たりともその片鱗は見せたことがない。
それは、私に気を遣ってくれていたから……?
それだけじゃない。
うららの人となりを見て、私は絶対的な信頼感を抱いていた。
うららが言うなら信じられるって。そう思えるくらいに。
それは私に対して、とても誠実に向き合ってくれていたことになるんじゃないのかしら……
一緒に住むことになったときだって、田舎に連絡したら、うららも一緒になって電話に出てくれた。
行く先々で保護者だって名乗ったり……大切に、大切にしていてくれた……

それに……キスしたいって思ってくれてた……

それが確信に変わることがないのなら、また落ち込むことになってしまうのに、期待せずにはいられない。
紅くなりそうになる頬をそっと押さえていると、

「それで、ユキちゃん……どうしたいの?」

どうするの?じゃなくて、どうしたいの?と聞かれる。

「私も時々悩むんだけど……どうするのか?じゃなくて、もっとシンプルに、どうしたいのか?って考えたら、自分の本当の気持ちが見えてくるものなのよ。色んな状況や、ましてや損得じゃなくて……うまく言えないけど、自分が本当にしたいことって、自分が一番知ってると思うから。そのために今の自分に出来ることって何だろう?って考える。そうすればきっと進むべき道が見えてくるんじゃないのかな……」

もうわかってるんじゃないの?そう続けられて、もやもやとした気持ちがすっきりと輪郭を現すような気がした。

どうしたいってそれは……

もう一度手をぎゅっと握ってくれて見つめてくれる由美子さんの手を、私もぎゅっと握って視線を合わす。
どちらからともなく漏れた笑みにゲラゲラと声を上げたときだった。

「ごめん」と言って、由美子さんが携帯を取り出す。
ディスプレイに表示された名前を見せながら、

「内山……どうする?」

言って合わせた瞳に、いたずらっ子のそれが見える。

「ちょっとだけお灸を据えてやらない?バイト、明日も休みなんでしょ?」

ふふふと笑う由美子さんが携帯に出てうららと話すのを耳を当てて一緒に聞く。

『見つかったの!?ドコ?ユキはドコにいるの!?すぐに行くから、教えなさいよっ!!!』

叫ぶように言われる言葉に二人して携帯から耳を遠ざけた。

「うるさいわねぇ。ユキちゃんならここにいるけど……あんたのとこなんか帰りたくないって言ってるわよ」

『そんなぁぁぁぁ〜、お願い、ユキに代わって!ね!由美子!お願いだからぁ〜』

「じゃあ……欲しいバッグがあるんだけどぉ」

『あたしのお古でよければ何でもあげるわよ』

「なんで私があんたのお古なんか使わなきゃなんないのよ?新品に決まってんでしょ?」

携帯から漏れる声があまりに必死でおかしくなる。
それでもやっぱりほんの少しだけ罪悪感が沸く。
今まで大切に大切にしてきてもらったのに、こんな風に出てきてしまって……

「とりあえず、今日はうちに泊まって、その後のことは話し合って決めるわ」

『あたしは無視なの?ねぇ?あたしの気持ちは無視だって言うの!?ユキがいないと生きてけないのにぃ〜』

期待するなっていうのが無理な言葉のオンパレードに真っ赤になって、隠すように笑ったら、

『ユキの声が聞こえる……良かった……本当に良かった……いつでも良いから帰ってきてって。絶対に帰ってきてって伝えてね』

「わかった。じゃあ切るよ?」

『あ!やっぱりユキに代わって!自分で伝えるから』

「ダーメ!あんたは今日一日反省してなさい!じゃあね!」

パタンと携帯を閉じて、由美子さんが笑う。

「今日一日くらい、私に貸してくれたっていいじゃないのよね?私だって、ユキちゃんの友達なんだから。それともユキちゃん、今すぐ帰りたい?」



ひどいことをしたのに、それでも笑って受け入れてくれる……
うれしくて、うれしくて、こみ上げるものがあって視界が滲む。
今日、何度も何度も出た涙。
それがまったく別の意味で流れることに感謝して、それでも由美子さんにばれないように、そっと目じりを拭きながら、

「由美子さんとこに泊まりたい」

そういうのが精一杯だった。






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