6 うららを男の人だと意識していたのは私だけだったのかもしれない…… 唇が離れて、ぎゅっと抱きしめられて、嬉しくて涙が出そうになった。 ずっと心の奥で燻っていた気持ちが通じたみたい…… そう思っていた耳に「ごめん」と小さく聞こえた謝罪の言葉。 「ごめんね、ユキ。何か、あたし……気持ちが昂ぶっちゃったみたいで……忘れて、ね?」 続けて「ペットにキスされたと思って、ね?」と言われて、目の前が真っ暗になった……。 逆に言えば、うららにとって、さっきのキスは……ペットにしたようなものだって…こと? ドーンドーンと上がる花火の音に、うららが腕を離して階段を下りる。 時折花火の灯りで辺りが一瞬色んな色に照らされるのに、手を引いてくれる大きな背中だけが頼りのように他が見えなくなった。 下駄の鼻緒が刷れて痛いのも気にならない。 それ以上に心が痛い。 それでも、うららがそう望むなら…… 忘れることにするのが一番良い。 「ねぇ、うらら」 「ん?」 「助けてくれて、ありがとう」 「どう致しまして」 「……ありがとう」 二度目に言った言葉は聞こえていなかったかもしれない。 時々掛けてくれるうららの声も前を向いたままで雑踏の中に消えそうだった。 いつもみたいに隣に並んで歩きたいのに、それが出来ない。 消え入りそうな声の分だけ……手を繋いで離れた分だけ……心に距離が出来てしまったような気がした。 皆の集まる河原に着く直前、うららの手がするりと離れた。 お客さんがいるのだから、当たり前のその行動に、ズキンと胸に痛みが走る。 「遅かったねぇ」と言う声が聞こえて、「混んでたから、歩きづらくって…」と返すうららの声にも傷つく。 それに気づきたくなくて、とにかくはしゃいでとにかく飲んだ。 由美子さんに「飲みすぎ!」と取り上げられても、「だって、楽しいし」と言って取り返す。 酔って忘れてしまおうとするのに、やっぱりそれが出来なくて、意識を飛ばすほど酔うことも出来ない。 花火が最後のフィナーレとばかりに立て続けに上がる。 バンバンバンバン! 綺麗に弾けて、煙だけを残した。 うわーと言う歓声が上がり、どこからとも無く拍手が沸く。 倣うようにして拍手をしていたら、 「お店で飲みなおそう!」 キャサリンちゃんが大きな声で言うのが聞こえ、由美子さんが「ユキちゃん、どうする?」と聞いてきた。 「私は……帰ります」 「そう?」 「下駄も帯びも辛いし……」 「そっか……内山は……行くわよね、当然」 「うん。だから私はここで…」 言うなり由美子さんに背中を向けて立ち去ろうとした。 限界が近かった。 それなのに、 「ユキちゃん、待って!」 手を取られてつかまえられる。 目の淵に涙が盛ってこぼれそうなのに…… せめての抵抗で背中は向けたままにした。 「……何かあった?」 「何にも無いですよ」 「でも、さっきからおかしい……」 「酔ってるからです。大丈夫、一人で帰れますから……お願い……」 手を離して……そう言いたいのに、言葉が出ない。 だからなのか、由美子さんの手は離れることがない。 「私で良ければ聞くけど……」 「ホントに…ホントに何も無いですからっ!」 「そう?そうには見えないけど……」 「……」 縋って泣いても良かったのかもしれない。 この後にやってくることを思えば、この人に相談していれば、何かが変わったのかもしれなかった。 だけど、このときはとにかく一人になりたくて、思う存分泣きたかった。 「何かあったら、何でも言って。私はユキちゃんの友達だって思ってるから…」 言ってそっと手が離された。 「……ありがとうございます…」 かろうじて言えた言葉ですら、背中越しで申し訳なかったけど、逃げるようにしてその場を走り去ることしか出来なかった。 あれだけ飲んで、散々泣いたのに、一向に眠気が訪れない体をもてあまして、寝返りを打つ。 明け方近くになってうつらうつらとしだした頃、玄関でガタンと大きな音がした。 うららが帰ってきた…… 酔っているならそれも仕方ないと思って、部屋を出ようとしたとき、 「しっかりしてくれよ」 聞きなれない男の人の声が聞こえて、ノブを掴んだ手が止まる。 うららが飲みすぎて帰ってくることは本当に稀だったけどあった。 でもそのときはだいたいジンさんが送ってきてくれていたけど、その声はジンさんの声じゃなかった。 「こんなになってて出来るのかよ…」 「大丈夫だって」 呂律が回らないなりにもうららの声が聞こえる。 出来るとか出来ないとか…… ガタンとまた大きな音がした。 怖くなったけど、それでも気になってそっとドアを薄く開ける。 その隙間から見えた光景に眩暈がした。 壁に押し付けられるようにして、うららが男の人とキスをしていた。 そうだった…… うららにとって恋愛対象は男性なのだ。 そっとドアを閉めた途端、立って居られなくてその場に崩れ落ちた。 続けてドアの向こうのうららの部屋へと二人の足音が消えていった。 ここにはもう居られない…… 明けていく空がうっすらと部屋を白く染め出す。 寝付けない頭で何度となく考えたことを、実行に移そうとのそりと体を動かして、クローゼットを開け放つ。 鞄の中に荷物を詰め込むそのわずかな間。 うららの部屋から聞こえてくるガタガタと言う音が、拷問のように思えてならなかった…… [*前] | [次#] ≪戻る≫ |