たいせつなガラクタ 1 遠く蝉の声のする廊下をずるずると踵を踏み潰した上履きを引きずるようにして歩き、 見慣れた薄暗い階段を登る。 その度に頭の上がフルフルと揺れる。 登りきって立入禁止と書かれた札の垂れる屋上に抜ける古くて汚くて重たいドアを開けると、 眩しいくらいの夏の日差しと、バッと音がしそうな勢いでこちらを見る制服の塊が見えた。 なんだサトルか……と誰かの声が聞こえ、中学の頃からつるんでた中西がへらっと笑って手招きする。 「サトル!新田さん、バイク買ったって!」 「マジで!?」 中西の声に駆け寄ると、体をずらしてその輪の中に入るスペースを開けてくれたから同じようにしてしゃがみ込んだ。 雨風で酷く痛んだコンクリートの上。 いる人数の数だけ並ぶ水滴を纏う色とりどりの缶ジュースも同じように円を作り、 床の上には何本ももみ消された煙草の吸殻が転がっていた。 その真ん中に広げられた雑誌をこれ!これ!と自分のことのように喜ぶ中西の額にも汗がいくつも浮かんでいた。 「これ?すっげーかっこいい……いいなぁ…」 呟くように言うと、フルフルと結った髪が揺らされる感覚に顔を上げて左隣を見ても揺らされる感覚はそのままだった。 「お前、これどうしたの?」 床の上に左手を着いて、投げ出したようにした足は長く、上目遣いに右手で俺の髪を弄る新田さん。 次いで、いいじゃん、かわいいじゃんと向いに座る藤堂さんの声が聞こえ、言い訳のようにして言葉が零れた。 「さっきの休み時間に女子にやられて……」 「似合うな。けど……赤いボンボンって……」 前髪が長くて鬱陶しいと言ったら、前の席に座っていた女子にくくってあげると言われ、取り出したのは赤いボンボンのついたそれ。 さすがに嫌で、散々の攻防を繰り広げていたところ、近くにいた女子も集まって来て、取り押さえるようにして無理矢理くくられた。 それでも鬱陶しい前髪を垂らしておくよりは涼しかったのでそのままにしていたのだ。 未だに揺らされる感覚に暑さではない熱が頬に集まる。 その手が離れて、揺らされる感覚が消えても、頬の熱は消えない。 じわりとこめかみを落ちる汗の感覚に左手で拭う振りをして隠すようにして視線を雑誌に戻し、 「今度、後ろ、乗せてくださいよ」 意を決したように言った自分の言葉とは裏腹に、いいよと軽い返事が聞こえた。 期末試験は予定通りの散々な結果で、同じようにサボっていたにも関わらず、中西は夏休みの補習を免れた。 補習が終わり、いつものようにメールをすると、家にいると返事が来たので、中西の家に向かう。 照りつける日差しは殺人的で、聞こえてくる蝉の大合唱に視界に見えるは蜃気楼のような逃げ水。 長い前髪をかき上げ、浮いた汗を手の甲で拭いながら、コンビニまでの数メートル。 後ろを走り去るバイクの音に急いで振り返ってみたけれど、それが新田さんだったかどうかはわからなかった。 コンビニでジュースとお菓子と弁当を買って、袋をふらふらと振りながら歩く。 制服を着ているから、タバコは買えなかった。 ところどころ錆の付いた年代物の鉄の階段をカンカンと音を立てながら上がり、薄っぺらい金属のドアをガンガンと叩く。 インターホンもあるけれど、既に鳴らなくなっていた。 「開いてる〜」 中西の声を合図に外側に引くと、この暑さの中、窓を全開にして、クーラーもかけることなくタンクトップに短パンの中西がうちわを仰ぐ姿が見えた。それでも直接浴びる日差しよりは幾分涼しい。 狭い玄関に入り、靴を脱いで上がりこむ。 「お邪魔」 「おう」 「ジュースとお菓子買ってきた、食う?」 「食う、食う」 「俺、弁当買って来たけどお前のはねぇよ」 「いいよ、さっき、素麺食った」 「そうか」 木造のアパートの玄関を入って手前がキッチンとダイニング。 奥の六畳の和室に入るなり小さなテーブルの前に腰掛ける。 そこから見える、奥の四畳半の中西の部屋も窓全開で、時折何となく冷たく感じる風が吹き込んでくる。 母子家庭の中西の家は、お袋さんが昼は事務の仕事に、夜は水商売をしているから滅多に家にいることがない。 それをいいことに中学校のときはたまり場となっていたが、他の連中は良い高校行くために勉強をしたり、逆に高校に行かずに働いたりして、いつの間にか俺だけが通うようになっていた。 袋から出したものを順にテーブルの上に広げていく。その中の菓子の袋を取った中西が、 「そういや、サトル、新田さんのバイクに乗せてもらうって言ってたけど、もう乗せてもらったのか?」 袋を開けながら発せられた言葉に、ドキンと心臓がひとつ跳ねた。 「い、いや、連絡すらないけど」 弁当の蓋を開け、割り箸を急いで割って、目を合わせないようにしてご飯を流し込んだ。 気にしていることだっただけに、何となく後ろめたい。 「昨日の夜、そこのコンビニでたまたま新田さんの彼女に会ったんだけど、彼女ですら乗せてもらってないらしいよ」 「へ、へぇ〜」 「だから……ひょっとしたら、お前も乗せてもらえねぇかもな」 「そ、そうだな……」 じわり……と滲む汗が暑さでなのだろうか…… 彼女がいることは知っていた。 それでも乗せてくれると約束したことは、やはりその場の雰囲気を壊したくないためだけの社交辞令のようなものだったのかと思うと、嬉しいはずの長い夏休みが、少しずつ憂鬱になっていく。 そんな感情を味わうことは慣れっこになっていたはずだ。 自分が男にしか興味が持てないとわかったときから……。 コンビニの棚の中で美味しそうに見えていたから揚げに箸をぶっさして無造作に口の中に放り込んだけれど、味はまったくしなかった。 羽虫が羽を動かすような音で目が覚めた。 中西の携帯が畳の上でブルブルと震えている。 壁の薄いこの部屋で着信音は隣人の怒りを買うだけだと前に中西が言っていた。 「おい、中西、携帯鳴ってる」 「うぅ…ん、ん」 肩を揺すって起こし、目をこすりながら起き上がる中西の手に携帯を渡す。 点けっ放しのテレビからは、聞きなれたゲームの音楽が鳴っていた。 部屋の中には赤味を帯びた日差しが入り込む。薄暗い部屋にテレビの明かりだけが放たれた空間。 昼食を食べた後にゲームを始め、眠くなってそのまま横になったのを思い出し、いつの間にか眠ってしまったのだろう。 寝汗でべたべたとする顔をこすって、何とか目を覚ます。 「え?あ……ちょっと待って下さいね」 中西の慌てる声に振り返れば、 「サトル、藤堂さんが花火するから来ないかって、どうする?」 「別にいいけど……」 「んじゃ、行くか」 持ち直した携帯を耳に、応対する中西を見ながら、ふと自分は制服だったことに気づく。 「海浜公園だって」 電話を切り終わった気配に、 「俺、制服だった」 と言えば、 「カッターだけ脱いどけばいいじゃん、わかんねぇだろ?」 言われて、それもそうか……と思いながらそのまま部屋を後にする。 昼間の殺人的な日差しはないものの、そのときの熱を孕んだ生ぬるい風が出ている肌をねっとりと撫でては通り過ぎる。 徐々に暮れていく通りにチカチカと街灯が灯る。 新田さん、いるかな? バイクの件で落ち込んでいた心に、ほんの少しの希望の光。 それでも臆病な心は、来ていなかったことを想定してがっかりしない準備をしていた。 お題をお借りしています 『悪魔とワルツを』 [*前] | [次#] ≪戻る≫ |