見えそうで見えない何か





高校卒業と同時に実家を飛び出して男の家を点々とした後、バイトで溜めた金で不動産屋に行ったとき、
古くて安いマンションでも最上階の角部屋の物件を見つけた俺は嬉々としてここと指差した。
そんな俺に不動産屋は、
「最上階、角部屋……、そうですね。悪くはないと思います。
だけど、皆さんが良いと思われているほどは……。
実際はエレベータまでが遠かったり、夏は暑くて、冬は寒い。
光熱費や賃料を考えたら、階数も部屋の位置も真ん中をお勧めしますよ。
ほら、この下の階のこの部屋。エレベータのドアからもそう離れていませんし……」
と涼しい顔で言った。
一人暮らしなんて初めてだったから、不動産屋のお兄さんがそう言うんだったら、そうなんだろう…と、
その下の階の真ん中の部屋に決めたけれど、実際は、家賃が払えるかどうかの方を心配していたんだ……と後から知った。

なのに、今、下から見上げたマンションの最上階の角部屋の前にいる。
光熱費も借りているのか買ったのかわからないけれど、俺からすれば金がかかる……という情報だけをインプットされている最上階の角部屋。
何で、マンションなのに門があるんだ?と思いながらもインターホンを押そうとしたその前に、奥の玄関のドアが開いた。

「よう。まぁ、入れ」

電話越しに聞いていた低音は、直接耳に流れ込んでくる分ダイレクトに伝わるものがあるけれど、
空気を介したその声はクリアに聞こえる分、どこか軽く感じる。

促されるまま、玄関に向かい、靴を脱いで入った瞬間感じていた湿気を含んだ空気とか、
温く纏わりついていたものがこそげ落ちていくような完璧な空調に感激しながら、
綺麗に磨き上げられたフローリングの床を歩いて、リビングらしい部屋に入って、一瞬言葉を失った。

「……すっげぇ〜」

「あ?何が?」

「ここ、バレーボールくらい出来るんじゃねぇの?」

「ははは、物がない上に一人暮らし用に改築したからな。あそこ、座ってろ」

「あ、うん」

指で示されたテーブルは入って来たドアから見て、右手の一番奥。
壁には大きなテレビが掛けられ、オーディオ類が並ぶ。
革張りのソファセットが置かれ、下には手触りの良さそうなラグマットが敷かれていた。
そこに行く間にきょろきょろと部屋の中を見渡す。
置かれている家具の一つ一つが重厚で俺の目ですら高級なものであることがわかった。
カチャカチャと音はあるけど、会話がない。
知らない相手ではないけれど、居心地が悪くなって、思ったことを口にした。

「阪口さんって仕事何してるの?」

「お前は何してると思ってんだ?」

バタンと大きな冷蔵庫が閉じる音の後、言われた声に、正直に答える。

「やばい薬とか…人とか、……内臓とか売ってそうな仕事」

「物騒だな……まぁ、物によっては、こま切れにして売っちゃあいるが」

「え?人とか内臓を?」

「違う!ほら、向こう行け」

グラスやら何やらで両手の塞がった阪口に、足で尻を蹴られながら言われ、絶対ヤクザだと確信にも似たものを抱く。

「……やっぱヤクザだ…」

「違う。建築家。不動産も手がけてる。親父がやってたのを継いだだけだ」

「へ?ヤクザじゃないの?」

「どうして、俺がヤクザなんだ。どっからどう見ても善良な一般市民だろう?」

「どの辺りが?」

「こらっ!まぁ、一時期はそれに近いこともしてたらしいけどな。それだって親父の代のことで、今は結構きちんとした経営をしてる」

そう言われても、ほりが深く、どこか野性味を帯びた目の鋭さや通った鼻梁なんかは、そっちの世界の住人だと言われても、違和感無く受け入れられる……

「ほら、座れ」

そう言われて、ソファではなく、床の上に敷かれた手触りの良さそうなラグマットの上に座った。
触れるとそれはやっぱり期待を裏切ること無く手触りが良い。
視線を上に向けると目の前に大きく波を作るシックなカーテン。
今は閉じられているけれど、ここから見られていたのかと思っていると、

「ソファに座れば良いじゃないか」

とソファに掛けず、阪口もラグの上に座る。

「何か汚しそうだし……高そうだし……俺にはこっちの方が落ち着く。それに、これ、気持ちいい」

「そうか」

言った言葉にきっとそうなるんだろうな……と言う予感をはらませていた。
受け取ったグラスに入る琥珀色の液体。
それが自分の体や脳をどうするのかなんてわかりきっていた。
それなのに、グラスに口を付け、香りの良い液体を喉の奥へと導いていた。





「お前、それってあれじゃねえ?」

「何?あ……いらっしゃいませ〜」

「いらっしゃいませ〜、…ほら、あの豚を飼って、たんまり太らせてから美味しく頂くっていう」

「俺は、豚か?ああ?」

「そう睨むなって……」

客が通った後を追いかけるようにして、並べられた服をたたみ直して、棚に戻す。
さっきから同じバイトのやっちんが全然たたまず、俺の後ろをついて回る。

「こら、安治!サトルの後ろばっかりついて回らずに、仕事して!」

お客さんに聞こえないように咎めた声を出したのは、幾分なよった店長でゲイだ。
バーで知り合い、バイトとして雇ってくれた。
バイトに入った初日、店長が「バーで飲んでてあまりにも可愛いから働かせることにしたの。皆、宜しくね!」と言ったことで、
店長が行くバーとは所謂そういうバーだと知っていた店員達は俺の性癖も知ることとなった。
やっちんは至ってノーマルだけど、店長がこうだからか、年が同じだからか、
一緒に入ることも多く、そして、何故だかこの世界に興味津々で、俺の相談にも良く乗ってくれる。

「はーい。ちゃんとしてますよ!……サトルが…」

「おお、俺はな。ほら、お客さん、迷ってるみたいだぞ。お前が聞いて来いよ」

ドンと肩を押しながら言えば、「チエっ、また話聞かせろよ」と唇を尖らせながらも客の元に行った。
体よくやっちんを客に押し付け、俺は黙々と服をたたみなおす作業に戻った。
そうしていると、店長に新しい服が入荷したから、裏でチェックして欲しいと言われ「Staff Only」と札の掛かった奥へと向かう。
高い天井は鉄筋がむき出しにされ、床は板張り。濃い光を放つ電球だけのこの店は、元は倉庫だった。
それを阪口の手によってどこか洗練されたお洒落なショップへと変貌したと聞いたのはつい先日のこと。
新しい服は全部で5箱。
また、大量に買い込んだな……
そう思うけれど、見る目は確かなものを持つ店長だけに、箱を開けるときはいつも少しだけワクワクとした。
箱を開いて注文した伝票と、届いた商品を照らし合わせながら、チェックをし、用意されているハンガーに掛ける。
単調な作業ではあるけれど、体を動かすからか、店内よりも若干エアコンの設定温度が高いせいで、汗がじわりと滲み出た。

「……豚」

やっちんに言われた言葉を思い返す。
豚は嫌だ。せめて羊にして欲しい。そう思ってふと気づく。
違う、問題点はそこじゃない。


あの日、俺はある程度覚悟をしてあの部屋に足を踏み入れた。

阪口のことは前から知っていた。
噂に聞いていた阪口という男は、手が早くて遊びなれているという事だった。
知己さんと遊んでいるとき、何度か連れて行かれたバーで顔を合わせた。
そこで、知己さんと連絡が取れなくなったことを愚痴ったほどには、顔見知りだった。

だけど……その手が早くて有名な阪口は未だそういった意味で自分に触れたことはない。
あれから数日たった今も、毎晩のように呼び出されては飯を食わされ、酒を飲まされる。
楽しい会話もおいしい食事も、雰囲気のあるバーも、今までにない扱いをされて楽しい。
楽しいけれど、それの意味がわからない。
目的がわからない。

俺に魅力がないのだろうか?

やっちんにそう相談したら、さっきの返答が返って来た。
他の男たちは自分のことを抱きたがる。
酔って呂律が回らなくなれば、しめたとばかりにホテルにしけこむ。

美味しく頂こうとして、飯を食わせ、酒を飲ます……
まだ時期じゃないってことか?
でも、結局頂くのなら、とっとと食ってくれて構わないのに……
俺だって気に入れば、それなりに関係を続けたりもする。


ひょっとして……誰とでも寝るような自分は、食事の相手や酒の相手なら楽しいが、どこか軽々しいところを軽蔑されているのだろうか……
だから……手を出さないのだろうか…

そう思うと、何かが胸の中にひっかかりを作り、ゴクリと唾を飲み込んでも、取れることは無い。
そのつっかかりに見えそうで見えない重い何かを阪口に置かれたことだけは、はっきりと自覚していた。







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