光りを背負う影





泥沼の中を泳いでいた意識が覚醒され、ぼんやりと見つめた天井は、自分が良く知る天井だった。
この天井は何度も何度も見たことがある。
そして、この感覚も……

自分の横にある体温を感じて、天井から視線を外し、首を横にして見た右側。
昨夜バーで自分を必死で口説いていた男、のように思う。
はっきりとはわからない。
だけど、下半身に感じる重さとか、狭い部屋の中を漂う雄の匂いとか、
お互い何も身に着けていなさそうな感じとか……

また、やった……

後悔と言う文字が頭に浮かぶ。
酔ってしまうと誰彼となく境をなくして寝てしまう自分を責めたところで、この事実は変わらない。
はぁと盛大な溜息が出たけれど、うつ伏せに眠る男には聞こえていないようだった。

体を起こし重い腰に力を入れて立ち上がったところで、太ももを伝うそれに気づき、慌てて浴室に飛び込んだ。
慣れた手つきで中を掻き出し、熱いシャワーを頭から浴びる。
心地良いと感じたのは、部屋の温度が極限まで下げられていたからだ。
それで行為がどんなものだったか……語っていたように思う。
頭の先に束になって当たる水滴の数々が、体を伝って排水溝へと流れている様を見つめ、
早々に帰ろうと心に決めた。
そうと決まれば、急がなくては……

急いで浴室から飛び出し、水滴を撒き散らしながら、床に散らばった服をかき集め、身に着ける。
ジーンズに足を突っ込んだところで、うーんという声と、シーツが擦れる音に、ゆっくりと背中を振り返る。
間接照明だけに照らされた顔は、瞼を硬く閉じ、ぽかんと口を開けた間抜けな顔を映し出していたが、
起きる気配は微塵も感じられない。

ホッと息をつき、そろりとドアノブを回し、振り返ることなく明るい廊下に出た。
パタンと閉じたドアの音に、現実に戻ってくるスイッチを押される。
冷たく凍った身体が、丁度良い空調の風で解けていくような感覚を味わいながら、突き当りにあるエレベータへと向かう。
限りなく簡素に作られたこのホテルは、男同士だからと咎められることはない。
廃業したビジネスホテルの看板を付け変えただけ。
ラブホテルらしくないグレーの絨毯の敷かれた廊下は、足音を吸収する。それが酷く自分を安堵させた。

一階に下りると、ここだけが閉塞的なラブホテルであると主張するように部屋を写し出す大きなパネルの横、
普段は電気がついているだけで人の気配のないフロントにいた馴染みのオヤジと目が合った。

「またか……」

言われた言葉に苦笑しながら、

「また、やっちゃった」

そう言うと、

「懲りねぇな」

「うん。……あっ!置いてきちゃったから、宜しく」

顔の前で右手と左手を合わせて、大袈裟に振舞えば、

「はぁ〜、仕方ねぇなぁ……わかったよ」

重い溜息を吐きながらも、笑って言ってくれる。

「ありがと」と一言返せば、

「気ぃつけて帰れ。それと…」

「それと?」

「もう、来んな」

ニッと笑った顔は、人懐こい顔で、そう言われてしまう程に自分はこのオヤジに愛されていると思う。

「そうしたい」

そう願望を口に出し、愛されているのであれば、きっと俺の顔がまた見たくなるだろうと自分勝手な言葉を胸の中で吐き、懲りない自分に苦笑する。
じゃあねと言って、オヤジに背を向け、ぬるい夜風の漂う街へと足を向けた。

ホテル街独特の背徳感が漂う通りを抜け、大通りへと向かう途中、コンビニに寄ってパンと缶コーヒーを買った。
袋を振りながら歩き、行き着いたのは小さな公園。
街の中にぽっかりと空いた空間。
時おり思い出したようにチカっと小さく瞬く意味を無くした電灯の下のベンチに腰掛ける。
袋から取り出した缶コーヒーを、飲むでもなく手の中で転がした。


たった一人のような気がした。
通りを行き交う車の音とか、時々響く女の笑い声とか。
そんなものが聞こえているのに、この世界にたった一人でいるような感覚。
怖くなって、ぎゅっと自分を抱きしめたけれど、その感覚はなくならない。
熱く温い風が肌をなでるのに、震えすら駆け上ってきそうな予感にグッと奥歯をかみ締めた。


寂しい


そう思った。
誰にでも愛されているようで、その実、誰にも愛されていない。
置いていかれた男たちだって、その場限りだと知っている。
その時はフロントのオヤジに散々怒鳴るらしいけれど。
誰にも夢中にならない変わりに、誰も自分になんて夢中にならない……
いなくなったところで、自分を探したり、しなかったから……


途端、ポケットで携帯が震える。
暗がりの中で開いた携帯の明かりは、とんでもなく眩しかった。
一瞬目を瞑り、しばしばさせながら見た液晶には見慣れない11桁の番号が浮かんでいた。

さっきの男かも……

嬉しいような、鬱陶しいような感情が湧き上がる。どちらの感情も浮かび上がって、渦を巻く。
どうしよう……ぐるぐる回る渦に飲み込まれている間に手の中の震えはピタリと止まった。
ほら…、こんなもんだ。
試しているわけではないけれど、それでも一回で諦めるような男ならそれまでだ。
どうせ、かけては来ないだろう……

そう思っていたのに、また震えだす。
さっきと同じ番号に、マジで!?と叫ぶ心の声。
それほどまでに怒っているのだろうか?
だけど……酔っていても番号なんて教えた記憶はない。
いや、顔も声も記憶にない。
いやいや、……やったことすら記憶にないんだけど……
そう思っている間にまた止まる。

もう、鳴ることは無いだろう。
思ってポケットに仕舞い込もうとすると、また震える。

さすがに三回も鳴らされては……そう思って、通話ボタンを押したと同時に、先制攻撃とばかりに声を上げた。

「ごめんっ!」

『……ふっ…何、謝ってんだ?』

クックと笑い、聞こえてきたのは心地の良い低音。

「へっ?」

『相変わらずだな』

「は?」

『どうせ、酔って男とホテルにしけこんで、起きたらびっくりって逃げ出して来たんだろ?』

言われていることは間違っていない。
間違っていないけれど、酷く気に障る。

「関係ないだろ?つーか、オッサン誰?」

『礼儀を知らないガキだな』

出る前にチラッと見えた携帯の時刻は午前3時を過ぎていた。

「どっちが!何時だと思ってんだよ」

『3時過ぎ。どうせ、公園にいるんだろ?』

誰だかわからない。そんな男に自分の行動を把握されていることに酷く怯える。

「どこの公園だよ?つーか、こんな時間に公園になんかいるわけ無いだろ?」

『そうか?チカチカしてる電灯の下のベンチ』

そう言われて、どきりとした。
だって、正しく自分はそこにいる。
バッと立ち上がれば、

『立った』

座ると、

『座った』

と、自分の行動を言い当てる声。
気味が悪くなった。

「ちょっ、ちょっと待って!誰?つーか、何?見てんの?気味悪りぃんだけどっ!」

叫ぶように言うと、携帯から笑い声が聞こえる。

『ははは……上、見てみろ』

言われて、恐る恐る見上げる。

『違う、後ろ』

振り返って、見上げた場所はマンションの最上階。そこだけ煌々と光りを解き放つ。
その中に影になる人の姿。
その影が手を上げた。

『阪口だ。上がって来いよ、サトル』

阪口!?

「阪口さんだったのか……びっくりした」

『やっぱりお前、面白いな』

「おもしろい?」

『ああ、一杯付き合え』

言われた声に返事をし、携帯を切ってポケットに仕舞いこむ。
コンビニ袋を手にふらふらと揺らしながら、マンションのエントランスへと向かう。
入った瞬間、さっきいた安ホテルなんて目じゃねぇぞ的なエントランスは、高級なホテルのような造りだった。
タイミングを合わせるように開かれた自動ドアは、きっと住人がいなければ開く事はないのだろう。
言われなくても最上階だという事は知っていたから、エレベータに乗るなり迷うことなく階数を押した。

導かれる浮遊感に、これから先、何があるのか、
この時の俺にはまったく想像なんて出来なかった。







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