Storyteller zero





 世の中はギャンブルだ。
 毎日同じように繰り返される日常の中にも、直感とセンスが必要となる瞬間はいくつもある。数パターンある通勤ルートにしてもそう。最短距離の移動ルートが最も適しているかというと、そうとは言い切れない。だって乗換駅の構内が複雑だったら迷ったときが大変だ。時間を無駄にロスしかねない。堅く確実なルートを選ぶか、リスクを覚悟で最短ルートを選ぶか、これだけで十分ギャンブルだ。

「遅刻の理由にならんわ!」

 フロア中に課長の怒鳴り声が響いた。胸の辺りで立ちはだかるバーコード頭を嫌々覗き込みながら、ちっちゃいオッサン…、訂正、背はちっちゃいけど声は馬鹿でかい課長の説教を仕方なしに聞く。

「星川! お前これで何度目だ!? 毎度、毎度、妙な言い訳も聞き飽きたわい! 毎朝通勤しているルートから素直に来んかい! 電車の遅延も出てないのにどうやったら一時間以上も遅れるんだ! 寝坊だろ!? 寝坊したんだろ! 素直に答えなさい!」

 寝坊したと決め付ける課長を見下ろしながら、正確に正直に素直にことの真相を語る。

「今日は自宅から通勤しませんでしたから」

 課長の獰猛犬のような喚き声が一瞬おさまった。

「お前、どこから来たんだ?」

「昨夜引っ掛けた女の部屋から♪」

 男たるものにやけてしまう顔は止めることができない。まんざら気が合わないわけではない課長の表情も和らいだ。理解してくれたらしい。しかし、

「日曜に女を引っ掛ける元気があるなら、その気力を仕事にぶつけろー! 馬鹿モンが!!」

 月曜の朝っぱらからちっちゃい課長の雷が落ちる。課長の声に驚く者はいても、説教される俺を見て同情したり、笑ったりする者は一人もいない。みんながみんな、「またか」なんて呆れ顔をしている。
 遅刻の常習犯。その他にサボリ、手抜き、テキトーの筆頭者でもある。自分で付けた異名ではないが、事実だから否定はしない。頑張り過ぎちゃう日本人体質、それに俺は当てはまらず大きく脱線中だ。

「自分の営業成績を見てみろ! 低下の一途だぞ! 後から入社した後輩達に負けて、お前はなんとも思わないのか!?」

 だからなのかなぁ。必死に説教をする課長を前にしても何も響いてこない。

「…………」

「星川。お前、今胸の中で『別に』とか思っただろ?」

「はい」

 さすが課長だ。俺の上司を6年もしていることだけはある。
 感心も束の間、課長の顔から怒りも呆れも抜けきって哀しさだけが残ったことで、更に面倒な展開になることを悟った。

「入社した当初は右に出る者はいないってくらい優秀だったのに……、社長直々に表彰されるほどだったのに……、どうしてこうなってしまったのか……」

 課長は説教の最中よく昔の話を持ち出す。俺にとっては耳にイタイ話だ。頑張りすぎているときの自分はちょっぴり恥ずかしくて、ちょっぴり理解不能。そして正直ぶっちゃけ「右へならえ」で過ごしていた自分が愚かに思える。だから俺としてはあまり思い出したくないのだ。

「お前はやればできるんだからもっと真面目に取り組んでくれよ。星川じゃなきゃ契約しないってクライアントは多いんだから……」

 俺は課長の嘆きをテキトーに「はいはい」と聞いていた。

「もう少し後輩を見習ってだな―――」

 耳タコになっている課長の台詞は、次にどんな言葉が続くのか容易に分かった。だから俺は課長の話も上の空である一箇所に意識を集中させた。
 課長の説教が筒抜けのフロア。あちらも同じ事を感じ取ったらしい。タイミング良く視線がぶつかる。

「後輩の白石と張り合うぐらい、成績を伸ばしてみろ!」

 やる気を無くした俺に代わって営業部の成績トップである白石一が複雑な表情をしてこちらを見ていた。今はブラックスーツをきっちり着込み、爽やかなブルーのネクタイをして、どこにでもいる若手の営業マンという姿だ。しかし俺は奴の意外な一面を知ってしまった。
 怖がらせるつもりはなかったけど、にやけてしまう口元は隠すことができない。表情の曇る白石を俺は少し興奮しながら見つめていた。






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