Storyteller ichi





 わがままを口にしないキミ。
 心のうちを少しも見せないキミ。
 無表情の奥に思いを隠し、唇を噛み締めて我慢する姿は、痛々しかった。
 キミの心が少しだけでも和らぐなら、解けるなら。
 ただキミの笑顔が見たかった。それだけなんだ―――。



 花の金曜日。今夜の街は特に賑やかだ。上機嫌のサラリーマンがあっちにうようよ、こっちにうようよ。新橋駅前の居酒屋や小料理屋はどこもいっぱい大盛況だった。

「いつもご贔屓に、ありがとうございました!」

 老夫婦二人だけで切り盛りする中華料理屋を出て、今度は三軒隣の焼鳥屋に向かう。
 裏の勝手口をノックしても返事はない。明かりが点いていて、従業員と客の賑やかな声が漏れ聞こえていれば十分仕事は遂行できる。
 炭火から立ち上る蒸気と香ばしい匂いに腹の虫が鳴るが、それに気づくのは自分だけ。厨房を立ち回る料理人や従業員の邪魔にならないようケースを積み上げ、伝票を切るころには誰かが見計らって受領のサインをくれる。

「悪いね、急な追加注文しちゃって。助かったよ」

 身なりのいい男従業員だと思えば、どうやらこの店のマネージャーか店長らしい。

「盛況でいいことじゃないですか。うちも助かります」

 笑顔でそう答えると、「また頼むよ」と肩を叩かれた。店内が相当忙しいらしく、彼は足早にフロアに消えていく。

「ありがとうございました。またよろしくお願いします」

 帽子を取り、腰を深く曲げて頭を下げる。繁盛時の店でこんなことをしても、気づいてくれる人は本当にごく僅かだ。「テキトーにやればいいよ。この仕事は早くやりさえすれば、誰も文句は言わないんだからさ」先輩が唯一教えてくれた仕事のノウハウがこれだ。仕事を始めてみて言葉の意味をようやく理解した。けれど性格なのか、職業病なのか。感謝する気持ちを忘れてお座成りにしたら、どこかでしっぺ返しがきそうな気がする。だから『いらない』『無駄』と言われても止めることができなかった。
 勝手口のドアを閉めると、賑わう空気が一気に遠ざかる。厨房から漏れる光があるから真っ暗ではないが、油の染み込んだアスファルトは真っ黒でドブ底にいるような気分にさせられた。
外に積み上げられた空のケースを数回に分けて運んでいると、胸ポケットに入れていた携帯電話が震える。「追加注文が入った。用意しておくから配達を頼む」親父さんはいつも通りのがな声だったけれど、嬉しい忙しさにどこか高揚しているようだった。電話を切ってすぐメールを打ち込む。夜が更けるにつれ、減るどころか増え続ける仕事。今夜も帰りが遅くなりそうだ。

「今日も、残業で遅くなる……、と」

胸ポケットに携帯電話を戻す。少し足を止めただけで嫌でも感じる疲労があった。一つ路地を曲がればネオンが輝く歓楽街のメイン通り。そこには仕事を終えた大人達が酒とお喋りを楽しんでいる。自分も彼らと変わらないはずなのに、今は人目につかない路地裏で空のビールケースを運んでいる。
吐き出しそうになる溜息を飲み込んだ。気合を入れなおし、最後となるケースの束を抱えた。そのときだった。

「白石?」

 薄闇の細い路地を突き抜け、その声は俺の背中から胸に突き刺さった。
 どうして背中を向けたまま立ち去らなかったのか。どうして振り返ってしまったのか。
 後悔しても遅い。
 眩しいネオンをバックに、こちらに注意深い視線を向ける人物は、自分もよく知り得ていて、驚きのあまり思わず声を漏らしていた。
自分の馬鹿正直さにほとほと嫌気がさした。

「星川、さん……」







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