悪魔の囁き 6





目の前に唯一の光源である蛍光灯に照らされた星川の形の良い耳が見える。耳に関してどこに基準があるのかはわからないが、白石には整って見えた。男前はこんなところまで形が整っているのか、とか、5年近く一緒にいてこんなに近くで星川の耳を見たことはなかったなぁ、などとぼんやりと思っていると、耳の角度が変わり、今度は逆の耳が見えた。そして発見をする。人は左右で耳の形が違う。白石自身の耳の形も違うものなのだろうか?とふと疑問に思う。今までそんなことを思ったことはなかった。確かめたい衝動に駆られた振りをして、今現実に起きていることを理解しないように、自分の心に刻み込まれないように必死だった。星川の唇が白石の唇を塞いでいる。一度離れて「さっき火傷したのはここ?」と掠れた声で聞きながら、猫がミルクを飲むように白石の上唇を舐められた。コーヒーで火傷をしたことなんてすっかり忘れていた。言われてヒリヒリしているような気がしたけれど、答える隙を与えることなく星川に再び唇を塞がれてしまった。

……おかしい。この状況は絶対におかしい!

そう思い、何度か抵抗を試みたけれど無駄だった。肩と腰をホールドされると余程の怪力がない限り人は離れることが出来ないのだと思い知った。リナの声はもう聞こえない。聞こえないからとても静かなこの空間で、唇と唇の触れ合う感触だけが妙に際立ってしまっている。そして、最大に困ったことに、女性に『死んじゃうぅぅぅ』と言わせた経験はないけれど、男性には言わせたことがあるらしい星川のキスは巧みなのだ。どのくらいの時間が経過したのかなんてわからない。いつの間にか唇の間から入り込んだ星川の舌が、白石の口の中を好きなように動いている。一瞬でもその動きに意識を集中したならば、ドタバタとした状況で治まりかけた下半身への熱があっという間に集まりだしてしまう。この綱渡りのような危うい状況で、白石が唯一出来る回避手段は、違うところに意識を集中することだけだった。だから星川の耳の形を見ているのだが……


「……ふあ、んんっ」


星川の自由に動きまわる舌が感じるポイントを探り当て、我慢していても白石は鼻にかかった甘ったるい声を漏らしてしまう。その声を捉えた星川の舌の動きは的確で、執拗にそこばかりを攻め立ててくるから何とかやり過ごしていた熱が体中を駆け巡り、寒さに震えていたことが嘘のように体温が上がった。見ていた星川の耳が浮かんできた涙でぼやけて、思わず目を瞑ってしまう。瞑ると暗い中で余計に快感を敏感に察知してしまうのに。そうして星川のスーツに縋りついたと同時にあやすようにして腰に回された星川の手がさわさわと背中を撫でる。白石の反応をうかがいながら腰から首へと上がってきた。ざわざわとした感触に唇が触れ合ったままで思わず仰け反ると、星川の腕に力がこもり、更に体が密着した。反応しかけた下半身にダイレクトに伝わる布越しの星川の興奮の証を感じ、おかしいと思っていたはずなのに、不快感を抱くことなく仲間を見つけたようで逆にホッとしてしまう。首まで上がった星川の手がひとつひとつ確かめるように背骨に沿って徐々に腰に下りて来て、スーツの上着を捲って入り込んで来た。さっき口を覆われたときにも熱いと思った手のひらが薄いシャツ越しに伝わり、びっくりしている間にウエストの部分をがっしりと掴んで感触を確かめるように上下にさする。体の線に沿って熱が動く。女性のウエストなら“くびれ”があったりして、その特有のラインを楽しんだりも出来るのだろうが、男のウエストなんて触っていてそんなに楽しいものだろうか?と、ふと浮かんだ疑問も、すぐにどうでも良くなってしまった。おかしいと思いながらも、星川の与えてくれる熱とキスに翻弄されてしまう。しばしの間、それを堪能していたら、漸く星川の唇が離れ、その隙間から掠れた甘い声が感慨深げに言葉を漏らした。


「……はぁ……思った通り、やっぱり最高」


腰にあった手でそのまま抱きしめて、白石の肩に星川が顔を埋める。


なんだろう…… この胸の中に広がる幸福感は……


その幸福感に、白石も星川に倣って星川の肩に顔を埋めてみる。がっちりと張った肩の筋肉に額をつけ、ひと回りほど大きな体に包み込まれると妙な安定感を与えられる。微かに女性用の香水の匂いが香ったが、それよりも身を委ねてしまいたかった。どうしてこんなに安心出来るんだろう……と思っていると、元々星川には絶対的な信頼を寄せていたからなんだという結論に達した。そして、白石がそんな精神的な安定を得ていた頃、星川はぎゅっと抱きしめていた手を白石の体の前側に回し、白石のズボンのファスナーのつまみを得ていた。


ジー……


静か過ぎる空間に、何とも間抜けな音が響く。まずい!と思った時には、すでに星川の手が自ら作り出した隙間から入り込んでいた。


「ふほぉっ!」


咄嗟のことで白石は奇妙で大きな声をあげてしまい、手を口元に当てる。静か過ぎてすっかり忘れていたが、隣の社長室から人が出てくる気配を白石は感じなかった。無論、白石が感じなかっただけで、リナ達は既に出ていってしまったかもしれないのだが、星川のテクニックに翻弄されていて、それどころではなかったのだ。口元に手を当てたまま、逆光になった星川の顔を見上げる。ニヤリと左の口元だけが妙な形に吊り上がった。男前がニヒルな笑みを浮かべている。


嫌な顔だ。何かを企んでいるような……


思っていたところでパッと体を離そうとした白石より一瞬早く、星川が行動を開始する。興奮してちょっとだけ自己主張をしている白石自身をぎゅっと握った。


「んんーーーっ!!!」


あまりの衝撃に手の隙間から声が漏れる。


「そんなにびっくりするなよ……色気がねぇな、本当に」


星川の言葉に、「あんたがそうさせてるんだろうよっ!」と、言葉には出さずに含んだ目で星川の顔を見たけれど、快感の涙の浮かんで潤んだ瞳で睨み上げたところで、星川からすれば、誘っているようにしか見えなかった。白石自身から一度手を離し、一瞬ホットする白石に油断を与えた隙に、すぐさま今度は形を確かめるように下着の上から手のひらを使って丁寧に撫でる。


「うっ……うふっ……」


急激に快感が体中を駆け抜ける。それでも片手を口元、片手を星川の腕を掴んで抵抗を試みる。いつもはこんなに大人しくない。上司であろうと社長であろうと、取引先であろうと、言わなければならないことは結構空気も読まずに言ってしまう性格だと白石は自分のことをそう思っていた。そこが、裏表がないと言って年長者にはうけていたところでもある。それなのに、今星川が白石にしていることは、これ以上ないくらいの屈辱的なのに、どうしてこんなに大人しい反応をしてしまうのか……


単純に気持ち良いからだ


撫でさする手の感触に、久しぶりに他者から与えられた快感を素直に受け入れることへと心が傾いていく。そうしている間にも、ちょっとだけ自己主張していたものが、星川の手の感触によってどんどんと成長して、選挙運動の立候補者の如く全開で自己主張を始める。

『白石一!白石一をどうぞよろしくお願い致します!』

と選挙カーから身を乗り出して蛍光色のシャカシャカのジャケットを着て、白い手袋をはめたうぐいす嬢(推定年齢42歳)の声が聞こえてきそうなほどの自己主張っぷりだ。下着の中が濡れているのか、星川の手の動きに合わせて、濡れた布地が擦れる感触がして、クチュリと小さな音が漏れる。立っているのもやっとの状態で星川の腕に力を込めて掴まった。


「気持ちいい?」


白石の反応を敏感に捉えた星川の言葉にうんと頷くと、「そっか……立ってるの辛い?」と今まで聞いたことないような甘い甘い声が聞こえる。まるで病気になった小さな子供にでも話しかけるような愛しさを含んだ言葉に白石はなおも従順に反応して頷いてしまう。


「ちょっと待って」


「あっ……」


離れる手の感触に名残惜しさすら湧いてくる。「すぐだから」と白石に声を掛け、星川は本の積み上げられた資料室の中をキョロキョロと見渡す。本は山ほどあれど、床に敷くようなものがあるわけがない。資料室であって、倉庫ではないのだから。そこでおもむろに星川がスーツの上着を脱いで埃で白くなった床に敷いた。


「汚れます!」


さっきからの教訓として、潜めていながらも星川の行動にぎょっとして声を出すと、「いいよ。お前だから……ほら」肩に手を置いてそこに白石を座るように促す。優しい笑みと甘い声。燻り続ける体の奥の熱……覆いかぶさる大きな体。そうして、再び暗くなった視界に目を閉じて、星川の口づけを受け入れた。齧り付くようにして塞いできた星川のキスにまたしても翻弄されるのを期待する。キスをしながら星川の手が白石のベルトに掛けられ、カチャカチャと金属の触れ合う音がして、ウエストの部分のボタンが外される。ふっと緩んだ感触で前を寛げられたのがわかった。そうして、下着のゴムに手が掛けられ、星川の手が白石の立候補者のような分身に触れそうになったその時。


ガタン、ゴトン

バッターン!


ものすごい音と共に『信じらんないっ!』というリナの声が廊下に響く。同時に白石と星川の体がビクンと震え、唇を離してお互いが見つめ合う。どちらの顔にも「びっくりした!」という言葉が描かれていた。


『待ってリナちゃん!』


『やだっ!本当に信じらんない!リナお金貰っても絶対にもうやんないっ!』


衝撃的なリナの発言に白石と星川はお互いに目で「マジで?援交?」というメッセージを送りあった。


『待ってよ、リナちゃん!消すから!消すから、会社は辞めないでよ〜』


社長の情けない声に、二人同時に廊下側を見つめる。窓があるわけでないし、声と音しか聞こえない。何を消すのかはわからないが、消さなきゃならない何かでリナを激昂させてしまったらしい。徐々に遠ざかるリナの荒々しい足音と社長の声が聞こえなくなるまで、二人はその体勢のまま動けずにいた。


どのくらいそうしていたのか……


すっかり気分が萎えてしまった白石だが、体の方はそうもいかなかった。いつだって男の心と体は分離が可能なのだ。何となく熱が燻っている。星川の体の下でもじもじとしていると、漸く気づいた星川が白石の顔を見る。目が合うと同時に、星川が急に目を覚ましたようなハッとした顔をした。


「……何ですか?」


訝しむような尖った声が出た。このままここで止められたら、白石の分身は悲しいことにトイレで一人処理をする羽目になる。それだけは嫌だ。会社で一人個室に篭ってそんな惨めなことはしたくない。どうか出来ることならこのまま続けて欲しい……


「いや、良かったと思って」


「……何が、良かったんですか?」


俺とことに及ぶ前に邪魔が入って?そう続けて出てこようとした言葉を何とか白石が飲み込む。そうして悪魔はささやいた。


「お前との初めてが、こんな汚い資料室じゃなくて」


満面の笑みと共に発せられた言葉を聞いて、このロマンチストめっ!と白石が心の中で叫んだと同時に、星川が白石の手を取って立ち上がらせる。床に敷いた上着を乱暴に取り上げ、大雑把に埃を払い、急いでフロアに戻るなり、帰り支度をして会社を出て、星川のマンションへと向かう。
追われるようにして腰の引けた体勢のまま乗り込んだタクシーの中で「記事の締切り、実は来週じゃなくてその次の月曜日だったんだ」と燻る熱にもじもじとする白石の耳に星川がそう囁いた。







- 6 -




[*前] | [次#]

≪戻る≫


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -