名前 2





「神じゃなくて、池田さんだったんですね」

いつものようにランチを食べ終え、昼からのアポの時間を確認しながらレジまで行けば、彼にそう言われ、びっくりした。

「先日、女性の方と相席をされていましたよね。そのとき、女性の方が、『池田さん』と仰っていたので…」

思い出して記憶を手繰る。
休みの日なのに、どうしても彼の顔が見たくて、我慢ができなくて1人でランチを食べに来た。
案の定、彼は、忙しそうにしていた。
そのとき、会社のアルバイトのユキちゃんが同居人のデカくてオカマのうららさんと一緒に来て、
相席にした。
店は忙しそうで、席もまばらにしか空いてなかった。逆に助かるかもしれない…そう思った。
いや、そんなのは体裁で、1人でいるのが寂しかったのかもしれない。
休日に1人でランチなんて独り身であるとアピールしているようなものだ。
彼に対しては良いアピールでも、周りはカップルや女性同士ばかり。
感じていた居た堪れなさも相まって、ユキちゃんに一緒にどう?と声を掛けたのは良かったけれど…
その連れのうららさんに質問攻めにあい、散々だったことを思い出した。


「ええ、まあ。その…すみません…」

顔を覚えてもらうことに必死のあまりに思いついた悪戯のようなものだと思うと、
恥ずかしくて居た堪れない…

「いえいえ。面白かったです」

クスクスと微笑まれるけれど、

「すみません…」

意味もなくもう一度謝ってしまう。

「謝らないで下さい。私は嬉しかったです。本当のお名前が聞くことも出来ましたし」

そう言われると嬉しい。

「あ、あの…えっと…その…お名前をお聞きしても…」

「私ですか?佐々木と申します」

「あ…佐々木さん…あの、ご馳走様でした」

「ええ、お昼からも頑張ってくださいね、池田さん」


走り去るように店を出て、急に立ち止まった。
後ろから歩いてきていたサラリーマン風の男性がぶつかりそうになったのか、きつく睨んで追い越して行った。
肌に感じる風に湿気が混じっている。雨が降るのかもしれない。
だけど、そんなことも気にならなかった。
だって、名前が聞けた!教えてもらえた!

たったそれだけの事なのに、その日一日、無理難題を押し付けてくる得意先にも笑顔で答えられ、
逆に気持ち悪がられるくらいに幸せだった。



名前を聞けて、本当の名前も覚えてもらえて、佐々木さんに会うことが今までよりももっともっと楽しみになった。
行くと必ず窓際の席に案内される。
未だ様子を見ながらタイミングを図っているけれど、レジも佐々木さんが打つことが格段に増えた。
こういう風に扱ってもらえているのは俺だけじゃないかもしれない。
それでも、嬉しくて少しずつだけど会話も増えて、毎日が春の日差しみたいにキラキラとして充実していた。


そんなある日、いつものようにレジに来た佐々木さんに話しかけられた。

「池田さんは、お休みはやっぱり土日ですよね?」

「あ…はい」

「そうですよね…」

言われたときの感じに違和感があったから

「あの…何か?」

と問えば、

「いえ…映画のチケットを頂いて…こういう仕事なので土日は行けなくて…2枚あるので、困ってしまって…」

「あ…」

「あ!お気になさらないで下さい。1人ででも行けますし、誰かに譲っても良いですし…」

「あ…でも…佐々木さんのお休みって水曜日でしたよね?」

「ええ。良くご存知で」

カーっと顔が熱くなる気がした。

「あ…いや、ほとんど毎日来てるので…その、覚えてしまって…今度の水曜日の夜だったら、俺、都合つけます」

「いや、でも、お仕事があるでしょう?次の日もお仕事なのに…」

「気にしないで下さい。俺、空けてますから…っていうか、夜はいつも空いているので…」

淋しいことを言ってしまった。
だけど事実だし、これはかなりのチャンスだと思う。
だから、絶対に逃したくない。
佐々木さんから誘われるなんて、もう二度と有り得ないかもしれないから。
何と言われても食いつく気持ちで挑んだ耳に聞こえたことは、

「宜しいんですか?助かります。じゃあ、お言葉に甘えて…」

思わず、夢ではないのかと頬を抓りそうになったけれど、我慢した。
本当にやってしまったら、また佐々木さんに笑われてしまう、そう思ったから。
そうしていると、佐々木さんはレジにあったメモにスラスラと携帯電話の番号とメールアドレスを書き始めた。
慌てて、俺もスーツの胸ポケットに入れていた名刺を出し、その裏にプライベートの方の携帯電話の番号とメールアドレスを書く。
お互いに渡し合い、地に足が着いてなくふわふわとした雲の上を歩いているような感覚で店を出た。



信じられない…
携帯電話の番号とメールアドレス、おまけにデートまで約束してしまった…


今日が月曜日。
水曜日まであと2日もある。

きっと水曜日まで眠れないんだろうな。
今でも夢の中にいるような感じがする。
いや、ひょっとしたら本当に夢なのかもしれない。
だけど…
夢ならどうか覚めないで、もう少し寝かせてよ…

心の中でそう呟いてみた。







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