聖なる夜 1



「去年のクリスマスってどうしてました?」

食後にソファでコーヒーを飲んでいた池田さんに問いかけられ、口元に運ぼうとしていたカップの動きが止まった。

去年は確か……

店でクリスマスフェアをしていたから、スタッフ総出でお客様をもてなした。
その後、当時良く通っていたバーで行われたシングル限定のクリスマスイベントに遅れて参加して、
その中で適当に遊びなれた感じの良い男がいたから、その男と途中で抜け出して、そのままここに来た。
店から近かったのもあったし、ホテルはいっぱいだろうとも思ったし、それに次の日も仕事だったから、
この部屋に招きいれて……クリスマスと言うことも相まって、開放的な一夜だったように思う。
その男とはそれっきりだけど……

「お店が終わってから、よく行くバーのクリスマスのイベントに行きましたけど……」

「ふーん。それで?」

「それで?って……」

「それって、そういうバーのイベントでしょう?何も……なかったんですか?」

「何って、別に……」

「ふっうーん」

納得していない返答と、怪しむような視線……自分の今までの乱れた生活を知っているくせに、敢えて聞くことで何の意味があるのだろうか。

「今年も、そのバーに行くんですか?」

「え?」

質問が意外だった。
自分はてっきり池田さんと一緒に過ごすものだと思っていたのに……
ひょっとして池田さんは、別の用事を入れてしまって、自分と一緒には過ごしてくれないのだろうか……

「い、行きません……」

「本当に?」

「本当です」

「ふーん」

いつもなら、こんな意地悪な態度は取らないのに、どうして今日に限ってそんなことを言うのだろうか。
自分が信用されていないようで、何だか悲しくなってくる。

「今年は……今年は一緒に過ごして頂けるんでしょう?」

不安に思いながらおずおずと聞いたのに、返答がなくて、琥珀色の液体がカップの中でフルフルと揺れだした。
思い切って聞いたのに……そう思い、右隣に視線を向ければ、

「佐々木さんから、そう言ってくれるなんて……」

ゴトンと割れんばかりの勢いでテーブルにカップを置いたと思ったら、急に抱きつかれた。

「わっ」

手の中にあったカップから、コーヒーが飛び出し、手を伝ってポトリポトリとパジャマ代わりに着ているスウェットを濡らして、茶色い染みを作っていく。
それが気になって仕方ないのに、そんなことを気にせず池田さんはぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。

「い、池田さんっ!」

「嬉しいです。俺、本当に嬉しい。佐々木さんがそう思ってくれてたなんて……」

「ちょ、ちょっと!」

どうにか肘で体を離そうとした瞬間、抱きついていた池田さんの口からこぼれた言葉に一瞬動きがとまった。

「良かったぁ〜、阪口さんの言う通りにして……」







阪口っ!?また、あの男っ!!!



「ぐえっっ!!」


手加減していた肘に力を入れ、ぐっと押したら、ちょうど池田さんの鳩尾だった。
お腹を押さえるために腕が緩んだそのすきに、テーブルの上にカップを置いて、
タオルを取りに行こうとソファから立ち上がればすかさず腕を取られる。

「な、何で……」

腹を押さえながらも苦しそうに発せられる声に、

「そんなに阪口が好きなら、阪口とクリスマスを過ごせば良いじゃないですか?」

「え!?」

「そうやって隠れて連絡を取って……不愉快です…」

「佐々木さんっ!!」

さっきまで苦しそうにしていたのが嘘のような力でグッと引かれて、またソファの上に逆戻り。
コーヒーの滴る手も気持ちが悪い。
べたべたとして早く洗いたい。
そう思っていたら、その手を取られる。
視線で追って見ていると池田さんの口元に運ばれて、赤い舌がぺろりとそこを舐めた。

「……っん」

「俺は、佐々木さんと過ごしたい」

指先を含まれて、生暖かい舌がちろちろと舐める。
その刺激が指先から背筋を伝って、腰に伝う。
怒っていたはずなのに、快感に弱い体は抗えない。
指の股まで舐め上げられたときには、既に息が上がっていた。
舐めていた手を取られ、そのままソファに押し倒されたと思ったら、
そっと眼鏡が外される。
遅れてカシャンとテーブルに置く音が聞こえる。

首筋を噛みつかれて既に意識が快感の波に飲み込まれつつあった自分の耳に、

「今年だけじゃなくて……来年も……」

聞こえてきた池田さんの言葉にうんうんと喘ぎ声と一緒に頷いていた。
機嫌を損ねたときに自分がとれと言ったその行動。
教えたのは自分のはずなのに、翻弄されるのは池田さんが腕を上げたのもあるけれど、
自分の気持ちが一心に池田さんに向いているからだ。

「再来年も……ずっと先も……」

上がった息ごと塞いだ唇が紡ぐ言葉に、溢れ出してしまうくらいに胸が満たされていた。





迎えた12月25日。
普段なら絶対にイブをメインに持ってくるであろう恋人達は、
今年は金曜日の25日をメインに持ってくる人たちも多かったせいもあり、
23時過ぎといつもより遅めに家路に着く。
「これから帰る」とだけメールを送り、コートのポケットに携帯を滑り込ませ、
使い慣れたマフラーをして店を出た。
裏口から出て、大通りに沿った歩道に出ると、裏口では感じることのなかった冷たい風が吹きつける。
寒さをしのぐためマフラーを引き上げて、顔を埋め、ポケットに手を入れて歩き出した。
脇には紙袋。
思えば、恋人と呼べる人と一緒にクリスマスを過ごすことは初めてだった。
プレゼントを贈りあったり、美味しい食事を食べに行ったり、
バブル時代のその名残で、今でもホテルに予約を取る人もいる。
何をしたら喜んでもらえるのだろう?
先日の池田さんの喜びようからいって、聞いても「佐々木さんと過ごせるだけで俺は大満足です」とか言いそうだなと思うと、思わず頬が緩む。
それでも何かを贈りたい。
溢れんばかりの愛情を、気持ちを、自分に惜しみなく与えてくれる池田さんに、何かを……
そんな風に自分が思っていることにびっくりすると共に、どこかほんわりと暖かくなる。
自分にも人並みな感情があったのだと。
一緒に過ごすと約束しただけであれだけ喜んでくれるのだから、何かを贈ったらきっともっと喜んでくれる。
どんなに喜ぶのか……想像しただけで、嬉しくなった。
だけど……
いったい何を贈れば良いのだろう……
そう思い、昼休みにプレゼントを買いに出た。
それなのにこれと言ってピンと来るものがなく、ふらふらと店の中を見て周り、外に出た瞬間に凍えるような冷たい風が吹きつけた。
あまりの冷たさに肩をすくめ、コートの前を掴む。
マフラーを店に置いてきたことを少しだけ後悔した。
首から入り込む風に震えていると、前から営業マンらしいサラリーマンも同じようにして歩いて来る。

池田さんも営業だ……毎日こんなに寒い中を歩き回っているのだろうか……

そこまで考えて、踵を返し、また店の中に入る。
あれでもない、これでもないと物色し、ふとマネキンがつけているものが目に留まった。
背が高く手足も長い。癖のない黒髪。切れ長ではあるけれど黒目がちな目。
黙っていれば整った部類に入る姿を思い出し、これなら絶対に似合うだろうと、店のスタッフに声を掛けた。
ありきたりなような気もしたけれど、場所を取るわけでもなく、単純に外回りは寒いだろうと思ったから。
手触りの良さそうなカシミアの深緑のマフラー。
それなのに、いざそれが包装されていくのを見ると、本当にこれで良かったのか……と不安になる。
喜んでくれるだろうか?気に入ってくれるだろうか?
絶対に似合うと思うのに、それとは反対に不安になる。
店のロッカーに置いておいたのは、しょっちゅう部屋にやってくる池田さんに見つからないようにと思ったから。
未だにこれで良かったのか……と、どこか落ち着かない気持ちを持て余している間に、
自分のマンションが視界に入る。
先日、せがみにせがまれて合鍵を渡してしまった。
別れるときのことを考えて、なるべく後腐れなくがモットーだった少し前のことを思うと、かなりの進歩だった。
エレベータにのって、自分の階に着き、部屋の前に立つ。
鍵を取り出して差し込もうとした瞬間、ドアが内側からそっと開いて、池田さんが満面の笑みで迎えてくれる。

「お帰りなさい」

「……ただいま…」

「寒かったでしょ?早く入って」

促されるままに玄関に入れば、暖かい空気にホッとする。
そして、いつもの自分の部屋にチカチカと瞬くものが置かれているのが目に留まる。

「あれ……」

靴を脱ぎながら、リビングの奥で存在を主張するクリスマスツリーを見たままに言えば、

「佐々木さんが戻ってくるまでに飾ったんです。きれいでしょ?」

いかにも池田さんのしそうなことだと思い顔が綻ぶ。

「ええ」

「何か食べました?」

「ええ。交代で賄いを」

マフラーを解き、コートと一緒にクローゼットにしまう。
紙袋をいつのタイミングで渡せば良いのかわからなくて、とりあえずクローゼットの前に置いた。

「佐々木さん、先にお風呂に行きたいでしょ?ケーキ、買ってきたんで、用意しておきますよ」

「ええ……あ!冷蔵庫にシャンパンが入ってます」

「じゃあ、それも」

いつも以上に甘い雰囲気に、何となく落ち着かない。
クリスマスだから……と意識してしまうと気恥ずかしいような気がして、
そそくさと着替えを持って、逃げるようにして浴室に向かった。




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