彼の世界を変えるひと 1


「まだ、あのノンケに入れあげてんのか?」

店に入ってくるなり、自分の隣に腰掛けた阪口は、何の挨拶もなくそんな不遜な物言いをした。

「私が?向こうが勝手に入れあげてるんでしょう?」

「そりゃあ、失礼。親父、いつもの」

阪口の前に無言で灰皿を出すバーテンダーにオーダーを告げ、懐から煙草を抜き出し、慣れた仕草で火を点けた。
ジリリと音がして阪口の口から吐き出された紫煙が揺らぎながら、暗い天井へゆらゆらと登って行く様を目で追う。
また一息吸い込んで、灰を灰皿に落とす。
そんな仕草がかっこいいと思っていた時期もあったけれど、遠い昔のことのようだった。

「でも、今回は意外と続いてんじゃないのか?」

灰皿の縁で、煙草の先を整えるのを見届けて、

「まぁ、そうですね。見た目は良いし、懐いてるし……何より若いから体力が、ね?」

言って合った目線に含んだ光が見えて、嫌悪が沸く。

「でも、ここに知己が来てるってことは……飽きた?」

「たまには一人でゆっくり飲みたいときもあるんです」

「そうか……」

阪口の前に琥珀色の液体の入ったグラスが置かれる。
入っていた氷がカラリと音を立てた。
空になりそうな自分のグラスを見て、次を勧めてくるような眼差しを向けたバーテンダーに

「もう、帰ります」

と告げ、残りわずかなグラスの中身を飲み干した。

「冗談だろ?俺、今来たとこだぞ」

「あなたが来てしまっては、一人でゆっくり飲めないじゃないですか」

「そりゃあ、そうだけど……まさか、義理立てしてるなんてことはないよな?お前に限って」

そう言って、後ろに手を回そうとする。
以前なら何とも思わず好き勝手させていたその手を、無意識のうちに振り払う。

呆気に取られた阪口に口の端を上げて、いい気味だと思いながら、
失礼な物言いをしたせめてもの仕返しに言い放つ。

「ご馳走様」

席を立って店を出た。
途端、湿気を孕んだ風が服から出ている腕や顔に生ぬるい感触を残して纏わり着くように撫でていく。
体の関係のある男といるのが嫌だった。
つい二週間ほど前までは平気で肌を重ねた男。今までに何度も肌を重ねた。
それでも、あの男は追ってくるようなことはしない。
他のどんな相手も、それなりの期間が過ぎれば連絡を取ることはなかった。
けれど、あの阪口だけは違っていた。
自分たちの関係をちゃんとわかっているからかもしれない。
ある意味で似たもの同士なのだろう。
阪口の言う通り、自分は誰かに義理を立てたり、操を立てたりはしないタイプだった。
そして、それは阪口も一緒…。
楽しければそれで良い。
恋愛は落ちるまでが楽しくて、落ちてしまってはつまらない。
ノンケなら尚更。
誰かを本気で好きになったこともなければ、好きだと思う感情すらわからない。
お気に入り程度の感情ならわかるけれど…。
物心ついた時から、その手のことで不自由をした覚えがない。
男性にしか興味が持てない…そういう性癖であっても、困った記憶が一度もなかった。
28歳の今までは……

見上げた空は暗かった。
店から放たれるネオンの明かりが明るく照らしているから余計にそう見せるのかもしれない。
行き交う視線が尾を引いているのがわかる。
以前なら微笑んで返したそれにも、答える気持ちはこれっぽっちも沸いてはこなかった。







「言いたい?」

「はい」

「私たちの関係を?」

「……はい」

「誰に?」

「先輩、とか…友達……とか……周りの人…とか」

週末、いつものようにマンションにやって来た自称私の彼氏であるらしい池田さんに夕飯を振舞った後、
珍しくベッドに雪崩れ込むことはなく、食後のコーヒーを並んで座って飲んでいるとき、
急にそんな事を言い出した。

「わかっているのですか?男性同士でそういうことを言って、世間の目がどういう反応をするのかを」

怒っているつもりはなかったけれど、苛立ちに声が棘のように鋭くなった。

「だって…」

「だって?」

「佐々木さん、綺麗でしょ?だから……そのっ…あの…他の人に取られるんじゃないかって気が気じゃなくて……」

私の声とは対照的に、徐々に小さくなる声を聞きながら、
何でそんなことを今更言い出すのかわからなかった。
自分の顔の造形が整っていることは把握している。
男女ともに好感を抱かれることも。
持って生まれた才能の一つだとも思う。
だけど、それはお互い様のような気もする。
自称私の彼氏らしい池田さんだって、黙ってさえいれば整った部類に入る。
今が楽しければそれで良い。
先の事なんて考えたくない。
誰かに取られてしまうのは、……そりゃあ少しは嫌だけど
私が他の誰かに惹かれることと、皆の前で公表すること…
それが同じ線の上にあることのようには思えなかった。
だから……

「嫌です」

きっぱりと言い放つ。

「……やっぱり」

「やっぱり?……わかっているのなら、どうしてそんな事を考えるのですか?」

「言ってみないとわかんないかなって思って……ひょっとしたらいいって言ってもらえるかもしれないじゃ……ないですか…」

大きな体をしているのに、どんどんとその存在が小さくなっていくのは、
私の顔の表情の変化を見てしまったからだろう。
下から見上げるように見えた目は犬が怒られているようにしか見えなかった。

思いのほか大きな溜息が漏れる。
こんなに頭が悪いだなんて思いもしなかった。
少し考えればわかることを、言ってみなければわからないだなんて……

「公表はしません」

念を押すように、もう一度言った。

「わかりました。佐々木さんが嫌だって思うことはしたくない…だから、機嫌を直してくださいよ」

馬鹿な子ほど可愛い……とは良く言ったものだと思う。
心底自分にほれ込んでいる様をあからさまに見せるところが、
彼を気に入ったところなのかもしれない…。
そんな様に満足を得た笑みを浮かべた瞬間、隣に座る大きな犬がごくりと唾を飲み込んだ。

「私の…機嫌の直し方は覚えていますか?」

言うなり、コクコクと首がはずれるような勢いで頷く。

「じゃあ、直して下さいな」

「……はい」

蛍光灯の灯りを遮り、影が顔の上に落ちる。
唇が重なり、離れた隙間に言葉が滑る。

「……今日はどっちの気分ですか?」

抱かれたい――

そう思ったから、彼の首に腕を回し、唇に噛み付く。
お互いの顔の間にあった眼鏡がカシャリと音を立てた。
池田さんがそれを抜き取り、長い腕がテーブルの上にそっと置く。
それを確認して、首に回したままの腕に力を入れて引き寄せた。
そのまま後ろに重なるようにして倒れこみ、教え込んだ彼のリードに、体を預けた。


お題をお借りしています
『悪魔とワルツを』





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